クァルテット・エクセルシオ第10回京都定期演奏会

先週の日曜日、京都でクァルテット・エクセルシオを聴いてきました。京都で彼等を聴くのは初めて、京都を訪ねるのも1年振りのことでした。
エク定期はずっと東京で聴いてきましたが、今年の秋は何かとバッティングするコンサートが多く、残念ながら浜離宮の東京定期は聴けません。そうした事情もありましたが、常々噂に高い京都のバロックザールの音響を一度は聴いてみたいという願望があって、“そうだ、京都で聴こう”ということになったワケ。バッティング云々は、ま、後からこじつけた理由でもあります。

先ず青山音楽記念館バロックザールは何処にあるんじゃ、ということでネットで検索すると、西京区松尾という番地。ホームページでアクセスを調べると、三つの行き方が掲載されていました。
その中で新幹線の京都からのアクセス2種のうち、比較的判り易そうな①を選びます。
京都駅から地下鉄烏丸線「国際会館行」に乗車、四条駅にて下車 → 阪急京都線「梅田行」に乗り換え、桂駅にて下車 → 嵐山線に乗り換え、上桂駅にて下車。上桂からは西へ300メートル、徒歩5分とあり、中々面倒臭そうなロケーションです。

私共が京都駅に着いたのは午前9時過ぎでしたが、当夜の宿の河原三条に行ってもチェックインは未だだし、預ける荷物も無い軽装。時間ギリギリで迷っても困ると思い、先ずはバロックザールの確認のために直行しちゃいましょう、ということで案内の通り烏丸線に飛び乗ります。
烏丸線は京都コンサートホールに行く時にも使う路線なので慣れたもの、二つ目の四条で下車。初めて使う阪急京都線は地下鉄構内と繋がっており、阪急のホームに着くと、特急梅田行きが到着したところ。これでしょ、と乗り込むと、特急だから途中駅をどんどん通過して、次が桂駅。なぁ~んだ一駅か、ということで些か拍子抜け。
嵐山線という如何にもローカルな名称の路線も、階段で一跨ぎすれば目の前。当然ながらダイヤも調整されていて、慌てることも無く乗車すると、駅名の通り隣が上桂。何のことはない、京都から数えて五条→四条→桂→上桂と、四つ目の駅が終着点なのでありました。

上桂からホールまではほぼ一本道。目の前の通りを西(ということは左)に向かって歩くと「山田口」という物集女街道との交差点があり、これを突っ切って直進すると、住宅街の間に瀟洒なホールが鎮座しているのでした。少しも迷うことが無いわ、ということで会場を確認。時は10時を少し回ったばかりで、プチ観光を決め込みました。
ホールの周りを掃除しておられた上品な関係者氏に聞くと、この辺りなら鈴虫寺(妙徳山華厳寺)がお薦めでしょう、とのこと。ガイドブックによると、上桂の名所旧跡は苔寺、鈴虫寺、竹の寺(地蔵院)とあります。苔寺は予め予約が必要とのことなので、鈴虫寺を目指します。

以下の行動は演奏会とは無関係なので駆け足で片付けると、紅葉が始まった日曜日ということもあり、鈴虫寺は人の列また列。時間は充分あるので、辛抱強く待って入山。法話を聞くのがルールということで、中々に味わい深い説法に耳を傾け、紅葉を楽しめば丁度昼時。
寺に面した茶店で蕎麦を啜っていると、店員嬢が“バロックザールは京都で一番音の良いホールです。私も合唱で歌いました”とか。臨席の若い女性がこの遣り取りを聞き付け、苔寺を見た後はエクの演奏会に行ってみたい由。是非是非とお勧めし、教えられるままに月読神社を経由して松尾神社へ。
七五三で賑う神社を跡に今来た道を戻り、ホールの真北に位置する竹の寺を訪れる時間も充分。ここの静謐な雰囲気は気に入りましたね。周囲を竹林が蔽い、世俗に塗れた私にも宗教的な情感が襲ってくるのでした。

前置きがやたらに長くなりましたが、開場時間の15分ほど前にホールに着くと、早くも人の列。“いつもガラガラで困っているの”と聞いていましたが、結局会場は弱冠の空席を残すばかり。京都にも熱心な室内楽ファン、エク・ファンが育っていることを実感しました。
今回のプログラムは、東京の第27回(11月24日)と同じ以下のもの。結成20周年を記念するオール・ベートーヴェン・シリーズの2回目です。
京都定期がスタートしたのは2006年、最初は年2回でしたが、札幌定期が始まると、春は札幌、秋は京都のスタイルが定着し、京都定期は今回が節目となる10回目を迎えたことになります。

ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第12番変ホ長調 作品127
~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第15番イ短調 作品132

12番の冒頭、“ジャーン、ジャッ・ジャーン”と変ホ長調の和音が響くと、ホールの残響豊かなアクースティックが心地良く耳を擽ります。AからJまでの10列、中央に通路があって横は左右に10席づつ、合計丁度200席の室内楽には最適の空間で、天上が高いことが絶妙な空気感を創り出しているのでしょう。茶店の女将の言う通りでした。
今回の127、特に第2楽章に耳を傾けていると、第9交響曲の第3楽章との繋がりを強く感じます。ベートーヴェンの後期、第9以後が本当に凄かったとは古典の田崎氏の言ですが、正に第9を経験した後の世界が後期四重奏なのです。

後半の15番も蓋し聴きもの。これまで何度も聴いてきた大傑作ですが、病癒えし者の神への聖なる感謝たる第3楽章は、ベートーヴェンが到達した更に新しい境地。この楽章の根本には、恐らくバッハのマタイ受難曲があるのではないか。京都で聴く作品132は、当方に宗教的な心情が生まれたこともあって、今まで以上に痛切に響くのでした。
その耳で接すると、最初の二つの楽章はベートーヴェンが求めている音楽を未だ見出せない状態。そう、「Nicht dieser Toene !」なのです。第3楽章で新境地を開拓したベートーヴェンは、最後の二つの楽章で悦びと感謝を謳い上げる。これは、そういう作品なのではないか。

これまでの20年への感謝、次の20年への決意を表明した大友チェロの挨拶に続くアンコールは、やはりドヴォルザークの宗教的でもある「糸杉」から第1曲。

この日、ロビーでは発売されたばかりのCDが販売されていました。ナミ・レコードがスタートした新シリーズの第2弾、この日の演目でもあるベートーヴェンの12番と16番をカップリングした1枚です。
“東京でも未だ発売していません、ホール先行発売ですっ!!”という販売員の声に誘われて私も1枚ゲット、おまけにエクのサインまで貰ってしまいました。東京ではこんなことしないんですけど、ね。

実はこの日記、このCDを聴いた後で書いています。エクのベートーヴェン後期は、世界の何処に出しても愧ずかしくない出来栄え。録音された相模原の音響も真に見事で、最後の和音が響いた後の余韻が心地良く収録されている名録音と聴きました。千葉県の某所で撮影したというジャケットも良い。こうなればエクによるベートーヴェン全集に期待するしかないでしょう。
満20歳を迎えたクァルテット・エクセルシオ、現在を弦楽四重奏世界の本殿に立った地点に譬えましょうか。このあとに続く20年、そこにはラボという権現もありましょう、プラスという散策路もありましょう、ロマン派の谷間もありましょう。しかし行路は平坦ではなく、一歩一歩「木の根道」を進まなければなりません。そして最後に待っているのが奥の院たるベートーヴェン全集じゃないでしょうか。
待てよ、それまでコッチの寿命がもつかな?

 

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