サルビアホール 第41回クァルテット・シリーズ

12月に入って最初の演奏会通いも鶴見のサルビアホール、3週連続で行われたシリーズ12の最終回は、最早チェコの老舗と言えるウィハン・カルテットでした。チラシのキャッチコピーは「21世紀最高の「アメリカ」を聴く!」であります。
ウィハンは去年の5月にもサルビアホールに登場しており、今回が2回目。私自身もナマで聴くのは2回目になります。彼等は今回が13回目の来日ということですから、筋金入りの日本通でもありましょう。昨夜のプログラムはチラシが全てを物語っていました。

ハイドン/弦楽四重奏曲第43番ト長調作品54-1
ベートーヴェン/見学四重奏曲第6番変ロ長調作品18-1
     ~休憩~
ドヴォルザーク/弦楽四重奏曲第12番へ長調作品96「アメリカ」

さて結成からずっと同じメンバーで通してきたウィハンでしたが、ヴィオラのイジー・ジィックモンドが一身上の理由で長期の活動休止になったとのことで、今回はヤクブ・チェピツキーに代わっていました。ファーストを務めるレオシュ・チェピツキーの息子ということで、ウィハンの同質性には何の変化もありません(と聴きました)。
レオシュは一世代下の年齢でしょうが、父親と違って髪が薄い(失礼!)こともあって、見た目の違和感はありません。むしろどっちが親なのか判らない位で、良く見れば同じ顔が二つ並んでいます。

さてチラシに拘りますが、アメリカがサルビアのクァルテット・シリーズに登場するのは何と今回が初めて。番外編では弾かれたのかも知れませんが、3回で1シーズンとしている例会では初めて取り上げられることになります。
弦楽四重奏はクラシック音楽の中では最も地味なジャンルで集客に苦労するそうですが、「死と乙女」と「アメリカ」だけは入ると聞いたことがあります。前回のウィハンを含めて個別の楽章がアンコールで弾かれることはありましたが、アメリカが41回目にして初登場は意外、当シリーズの特性を良く表していると思いました。
ウィハンのプロフィールに付いては繰り返しません。彼らのホームページも新メンバーに一新されています。

最初のハイドン。ハイドンには二つとして似たような作品は無いというのが私の持論ですが、この日の作品54の1は、エステルハージー侯のオーケストラで弾いていたヨハン・トストのために書いた6曲(作品54と55の3曲づつ)の一つ。
トストは強かな人だったらしく、この6曲と2曲の交響曲をパリの出版社に売りつける実業家としての顔も持っており、ハイドンも結構な報酬を受け取ったようですが、トストも相当額をピンハネ。ハイドンはトストを余り信用していなかったようですね。それでもトストが弾いたであろうファースト・ヴァイオリンのパートは結構難しく、技術的には確かだったことは間違いないでしょう。

この1番にも独特な個性がいくつかあります。例えば全楽章を通して同音進行というのでしょうか、同じ音が鳴り続ける。泳いでいなければ死んでしまうマグロのような音楽で、回遊魚クァルテットとでも呼びましょうか。
終楽章のロンドに騙し効果があったり、最後が pp で終わる意外性(この曲には pp が3か所しか無い)も面白いのですが、何と言っても第3楽章のメヌエットが最高の個性でしょう。
古典派の音楽は、多くが4小節を一単位として書かれるもの。しかしこのメヌエットは5小節が一単位で、続いては倍の10小節単位という冒険が試みられています。従って字余りの印象が付き纏い、何となく据わりが悪いのですが、これはハイドンが態としていること。この辺りがハイドンの前衛性と言えるでしょう。

ウィハンはこれを楽々と、余り据わりが悪いような印象も与えずに弾き切ってしまいました。最後の pp も、その前の p と余り落差を付けずに終了。ハイドンの茶目っ気には頓着していない様子でした。
ハイドンが終わると、彼等は舞台裏に戻ることなく直ぐに着席してベートーヴェンへ。前回もヴォルフに続いてモーツァルトに直行したのですが、あの時はヴォルフが短い単一楽章だったためかと思いましたが、今回も同じ。どうやら前半は舞台に出たら全部演奏してから引っ込むというのがウィハンのスタイルのようです。

ベートーヴェンは既に全曲をニンバスに録音し、レコード各誌で絶賛されているレパートリー。安心して聴いていられる練達の演奏と言えましょう。
第2主題の前、展開部に入る前など、フレーズの区切りをキチンと区別し、やや速目のテンポで良く歌っていく。このスタイルも前回確認したのと同じ印象でした。

後半は愈々アメリカ。お国物のドヴォルザークとあれば、こちらもあれこれ詮索することも無く、彼らの成すがままに委ねれば良い。第2楽章など、ウィハンにとっては演歌も同然、譜面なんか見なくっても弾けちゃうレヴェルなんでしょうね。
セカンドのヤン・シュルマイスターが捲っているパート譜の表紙、何と「ドヴォルザークの第6番」と印刷されていました。そう、私のクラシック入門当時、「新世界」は交響曲第5番、「アメリカ」は弦楽四重奏曲第6番でしたっけ。
もちろんウィハンが結成された1985年には既に番号は新しくなっていたはずですが、彼等は戦前の、あるいは先輩たちから受け継いだ譜面で演奏しているということ。つまりチェコの長い伝統的な演奏スタイルを守り、現在でもドヴォルザークの「心」を紡いでいるということの象徴でもありましょう。私はこれを否定しないし、その音楽を十二分に堪能してきました。

第3楽章のリズムが耳に快く響いてきたときに気が付きました。この音楽は見事なほどに4小節が一単位。何処にも字余り的な個所は無く、それはトリオ部も同じ。数えてはいませんが、楽章数は4で割り切れるでしょう。だから演奏する方も、聴く方も間違うことも無く、流れに逆らうことも無い。
これですよ、ハイドンとの違いは。前に書いたように、ハイドンは4小節単位を敢えて放棄して実験を試みた。時代的にはもちろんハイドンの方が古いのですが、音楽的にはハイドンの方が新しい。これは2曲を譬えにしているだけで、ドヴォルザークにも斬新な発想があることを付け加えておかねばなりませんが・・・。

アンコールもありました。チェロのアレシュ・カスプジークの一言。“Yest by Beatles”。意外な曲でしたが彼等は録音もしていて、ホームページを見るとCDコーナーのトップに挙がっている1枚。ルボシュ・クルティッカ Lubos Krticka という人のアレンジのようです。

最後にチョッと意地悪な感想。ハイドンとドヴォルザークを比較してしまいましたが、先週はシューマンQを二度も聴いてしまいました。そのせいか、今回のウィハンは若干不利だったかも。
普通はヴェテランの団体と結成間もないグループとを比較すると、どうしてもヴェテランに一日の長ありと判定されるもの。しかし私だけかもしれませんが、この二つは逆に感じました。それだけシューマンQが凄かった、ということでもありましょう。

 

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