日本フィル・第666回東京定期演奏会
前日に引き続き、サントリーホールでオーケストラの定期演奏会です。日本フィルは定期登場が17年振りという重鎮、外山雄三を迎えて懐かしくも素晴らしいプログラムを組みました。
外山雄三/交響詩「まつら」
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」
~休憩~
バッハ(ストコフスキー編曲)/トッカータとフーガ ニ短調BWV565
バッハ(ストコフスキー編曲)/カンタータ第208番よりアリア「羊は安らかに草を食み」
バッハ(レスピーギ編曲)/パッサカリアとフーガ ハ短調BWV582
指揮/外山雄三
ピアノ/小山実稚恵
コンサートマスター/木野雅之
フォアシュピーラー/九鬼明子
ソロ・チェロ/菊地知也
外山氏は今年83歳、同期というか同じころに活動を始めた同僚たちが既に世を去った今でも、なお矍鑠とした姿を見せてくれました。背筋がピンと通り、ややブルー味の掛かったダンディな燕尾に相変わらず細身の体を包み、客席に直立不動で会釈する姿、好きだなぁ~。
指揮する時以外は決してオーケストラの前に立たない、自作であっても表に出ることは慎み、何時でもオーケストラのメンバーに敬意を表するステージ・マナーは、氏のトレードマークでもあります。
しかし最初に協奏曲から行きましょう。この日は何時ものスタインウェイで弾かれる堂々たる協奏曲。
小山氏を聴くのはやや久しぶりですが、これぞ「皇帝」と言うに相応しいベートーヴェンを聴かせてくれました。音楽的にも一段と大きくなった印象。丁寧な音楽創り、管弦楽のパートを熟知し、夫々の役割に気配りしつつも、出るべきところはハッキリとピアノを主張して行く姿勢。外山氏のバック共々、背筋のピンと通ったベートーヴェンに大満足という所でしょうか。
管弦楽は弦の編成を12型に落とし、ピアノとのバランスも絶妙。ともするとオケが被って聴き辛くなる細かなパッセージも隅々まで良く通り、協奏曲演奏の理想形を示してくれました。
オケと言えば、第3楽章のロンド主題。ピアノがソロを奏する際には必ずホルンが低音で支えるのですが、ベートーヴェンは sempre pp (いつもピアニシモで)と記しているだけ。しかし外山氏は、ピアノが ff に替る個所ではホルンも強く吹かせるという素晴らしい変更を加えてくれました。
これ、昔の録音でメンゲルベルクが採用した「手」ですが、常々ナマで聴きたいと思っていたもの。やってくれましたネ、外山御大。だから私は大ヴェテランの指揮が大好きなんですよ。
幕開けに演奏された外山の自作品。題名の「まつら」とは、唐津を含む肥前の松浦(まつら、と読む)地方のこと。古くから地名と同じ松浦家が治めていた土地で、元は豪族だったんでしょう。そのために築城された名護屋から松浦鎮信(しげのぶ)が秀吉の朝鮮出兵の先鋒となって海峡を渡ったのは、大河ドラマ・ファンにはお馴染みの一コマ。先日も末裔に当たる松浦静山(せいざん)が登場する時代劇もありましたっけ。その「まつら」です。
出兵の本拠地となった名護屋城の後に築かれたのが、現在の唐津城というワケ。
話を音楽に戻すと、日フィルの活動の重要な柱の一つである九州公演を歓迎する会場の一つが唐津。唐津市民が地元の祭礼である「唐津くんち」の祭囃子をテーマにした作品を残すべく、一人1000円の募金を集め、日フィルの活動に共感している外山雄三が作曲して生まれたのがこの作品なのです。唐津が燃えていた時代の良き遺産でしょうか。日本フィルにとっても、外山にとっても特別な作品で、楽譜は日本フィルの所有。
従って同オケの正指揮者を務めたことのある大友直人が別のオーケストラと海外公演で取り上げたいと申し出た時にも、同じく正指揮者だった広上淳一がスウェーデンのオケと録音する際にも快く貸し出しています。その際に四の五の言わない所が日本フィルの良い所、いや悪い所なんでしょうかね。
前振りが長くなりましたが、作品は13分ほど。低弦のピチカートで始まり、夜明けを思わせる情景が続き、子守歌風のメロディーが郷愁を誘います。4分の3ほど行ったところで静かにチャンチキが鳴りだし、祭囃子が最高潮に達する。突然笛だけを残して静寂が訪れますが、金管のファンファーレが闇を突き抜け、一気に終わるという内容。如何にも外山節の一品ですが、1982年の九州公演で初演(渡邉暁雄の指揮)された時は大反響だったようです。
スコアは出版されていないと思いますので、折角の機会、プログラムに載った楽器編成を転記しておきましょう。
ピッコロ、フルート2(ピッコロ持替2)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラ・ファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン2、バス・トロンボーン、テューバ、ティンパニ、大太鼓、小太鼓、トライアングル、グロッケンシュピール、チャンチキ、弦5部。
後半はバッハ作品の管弦楽編曲もの。最近はこうしたオーケストラ・ピースが定期演奏会で演奏される機会が少なく、その意味でも貴重、かつ楽しい体験となりました。
ストコフスキー編曲のトッカータとフーガは余りにも有名になりましたが、流石にオルガン奏者だったストコフスキー、改めて巧みな編曲術を楽しみました。これって、民謡を管弦楽化する手腕に長けたマエストロ外山にも通ずるところがあるでしょう。ストコフスキーを意識していない訳は無いと思うのですが、どうなんでしょうか。
次のアリアの編曲はペータースから出版され、この日もこのエディションだったと思います。しかしストコフスキーが残した録音はこれとは若干違う個所もあり、編曲と雖も試行錯誤を繰り返していたことが判って興味深い1曲ともなっています。
最後のレスピーギ編曲は、音量的にもオーケストレーションの巧みさから言ってもこの夜の圧巻。オルガンのペダル(鍵盤は別途オーケストラの中に分離して演奏)も加わる壮大な音響は、改めてオーケストラ音楽の楽しみを再確認する良い機会となりました。
ブルックナーやマーラーの長大な交響曲も良いけれど、時々はこうしたショー・ピース的な作品も味わいたいもの。レスピーギ編、戦前はトスカニーニやモントゥーも良く取り上げていましたし、オールド・ファンには懐かしく聴かれたことでしょう。
2016年4月から大阪交響楽団のミュージック・アドバイザーに就任される外山氏、いつまでも背筋の伸びた音楽を聴かせてくれることを祈念しています。
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