今日の1枚(225)

前回も紹介したように、フリッチャイが頭角を現し始めたのは戦後直ぐのことで、田代秀穂氏の「世界の指揮者」の最後に最も期待される若手としてカラヤンと並んで紹介されていたことを思い出します。
戦後の復興からドイツ・グラモフォンが早々と25センチLPの発売を開始、その最初のリリースの中にフリッチャイの「真夏の夜の夢」がありました。私がクラシックを聴き始めたのはそれから間もなく、毎月の様にフリッチャイの新譜がレコード誌を賑わせていたものです。

しかし初心者ながら疑問もありました。当時は亡くなったフルトヴェングラーの後任にカラヤンが選ばれ、ベルリン・フィルとのコンビで来日も果たしたばかり。それなのに何故ドイツ・グラモフォンはカラヤンではなくフリッチャイなのか、と。
そんなある日、岩城宏之氏がNHKのラジオに出演され、仕入れて来たばかりのヨーロッパ情報を語ってくれました。それによるとフリッチャイには女性の辣腕プロデューサーが付いていて、彼女の推薦のお蔭でフリッチャイがDGのトップ・アーチストの座を射止めた由。
当時はそんなこともあるのかと聞き流していましたが、遥か後になって真実を知ることになります。

フリッチャイを引き立てた辣腕プロデューサーとは、エルザ・シラー女史のこと。オーストリア出身の彼女はブダペストでドホナーニやコダーイに学んだピアニストで、戦争中は強制収容所で過ごした後、1947年からベルリンRIAS放送局クラシック部門のチーフから音楽部長にまで上り詰めます。
そのシラー女史をドイツ・グラモフォンがスカウトしてチーフ・プロデューサーに抜擢し、女史が華々しく西側デビューしたフリッチャイを起用して戦後の録音を牽引したということが、DG100周年の記念誌に書かれていました。
1959年にカラヤンを獲得したのも実はこのシラー女史で、彼女の慧眼が同社の隆盛を築く礎となったのですから、先ずはシラー/フリッチャイ・コンビの録音が今日のDGのスタート点だったとも言えるでしょう。フリッチャイの遺産CDはほとんど全てエルザ・シラーがプロデュースしたもの。今日のDGサウンドは彼女の耳から生まれたものなのですね。

さてフリッチャイの2枚目は、次の3点。

①ベートーヴェン/序曲「レオノーレ」第3番
②ベートーヴェン/交響曲第3番
③モーツァルト/歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」序曲

①と②はベルリン放送交響楽団との演奏で、③はベルリンRIAS交響楽団。どちらも同じオーケストラであることは前回触れました。
ホームページの資料によると、①と②は1961年2月5日のライヴ録音。拍手はカットされており、モノラル録音ですが、フリッチャイが亡くなる直前の記録として極めて貴重な音源です。

1950年代、白血病を発症するまでのフリッチャイは、どちらかと言うとスピード感に溢れ、余り情感を表に出さないタイプの指揮者でした。しかし病気を経、死を意識するようになってからのフリッチャイは豹変、恰もフルトヴェングラーを思わせるような濃密な表現で聴く人を圧倒させます。
①と②はその代表的な録音。例えば①では二度のファンファーレに挟まれる pp の経過部分のテンポの遅さ、少しでも長く音楽に触れていたいとでも思わせるような濃厚な表現を聴くことが出来ます。
②も同様で、特に第2楽章開始の付点リズムの恐ろしい程の引き摺り様は他では絶対に聴けないもの。フリッチャイはスコアに手を入れることは一切せず、繰り返しも通常の第3楽章のみであるにも拘わらず、全体の演奏には56分も要しています。時間的にもそうでしょうが、体感的にも史上最遅のエロイカです。

これに対して③は50年代の颯爽たるフリッチャイ。1951年1月18日の放送録音だそうです。

参照楽譜
①オイレンブルク No.914(フィデリオ全曲版)
②フィルハーモニア No.9
③オイレンブルク No.920(歌劇全曲版)

 

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