今日の1枚(1)

湯水のように時間が使えるので、今まで出来なかったことをやろうと思います。その一つがCDをチャンと聴くこと。チャンと、というのはスコアを参照して細かいことに拘るという意味。
一日1枚。三日坊主で終わるかも知れないけれど、私なりに気になったことを備忘的に綴ります。1枚ということは、1枚しか聴かないということでもあります。無理はしません。
ということで最初に手が伸びたのは、東芝EMIの「永遠のフルトヴェングラー大全集」の1枚、TOCE-3705 。オリジナル・ジャケットを使用しています。

①モーツァルト/交響曲第40番
②モーツァルト/ピアノ協奏曲第20番
③モーツァルト/歌劇「魔笛」~私の運命は苦しみに満ちて
④モーツァルト/歌劇「魔笛」~復讐の心は地獄のように

以上の指揮は全てウィルヘルム・フルトヴェングラー。オケはピアノ協奏曲のみベルリン・フィル、他はすべてウィーン・フィル。
ピアノのソロはイヴォンヌ・ルフェビュール Yvonne Lefebure 、③④のソプラノがウィルマ・リップ Wilma Lipp 。
①は1948年12月7・8日と1949年2月17日、ウィーンのムジークフェラインザール、②は1954年5月15日、ルガーノのアポロ劇場でのライヴ。③④は1950年2月3日、ウィーンのブラームスザールでの録音。全てモノラル。
プロデューサーは協奏曲以外は Walter Legge 、協奏曲は不明。
エンジニアは交響曲が Douglas Larter 、歌劇のアリアが Anthony Griffith 、ライヴの協奏曲は当然ながら不明。


第1楽章と第3楽章の繰り返しは実行、第2楽章と第4楽章は省略。
クラリネットなしの第1稿による演奏で、この版による演奏は圧倒的少数派。第3楽章メヌエットの13小節目もスタッカートで通しており、手持ちのスコア(クラリネット版)とはアーティキュレーションが異なる。
フルトヴェングラーの解釈というより、第1稿の譜面がそうなっているのかも。第1稿はベーレンライターの全集版に含まれているものしか入手できないはずで、今の私には確認できない。
当初からテンポが速過ぎるとして不評だったもの。聴きなおしてみると、終始イン・テンポでデモーニッシュな迫力充分。第1稿による傑出したディスクだと思う。最初に書いた批評家の意見が固定概念になった悪例の一つ。
録音は時代を反映してレンジが狭いが、決して聴き辛いものではない。
参照楽譜 ユニヴァーサル(フィルハーモニア) No.27


第2楽章中間部(短調の箇所)の繰り返し、1回目は実行、2回目は省略。
カデンツァは第1楽章、第3楽章共ベートーヴェン作のものではない。ライナーノーツ(平林直哉)によれば、ルフェブュールの夫君フレデリック・ゴールドベックのものらしい。ゴールドベックなる人物については調査不能。
最後に拍手が収録されている。
ルフェビュールはライナーノーツによれば1904年生まれだが、オックスフォード音楽辞典では1898年エルモン生まれとある。両者に6年もの開きがあるが、どちらが正しいか不明。ピアニストだけでなく教育者、著述家としても活動。
このコンサートはフルトヴェングラーによる人選と言われているそうだが、別資料では当初予定のエドヴィン・フィッシャーが急病、コンラート・ハンゼンに代役打診も不可能。最終的にルフェブュールが抜擢された由。
ピアノは単音がとても美しく、もしかすると楽器がスタインウェイではないかも。録音はライヴ故のムラやアンバランスがある。
ピアノが入ってくると唸り声が聞かれる。多分ピアニストの声だと思うが、女性にしては低いような。誰の声? 本当にルフェビュールの演奏? という疑問も。

参照楽譜 オイレンブルク No.721

③④
スタジオ録音ながら永く未発売だったもの。
リップは1925年にウィーンに生まれたソプラノ。録音当時25歳。
デビューはウィーンでセヴィリアの理髪師のロジーナ(1943年)。ウィーン国立オペラは1945年から、ザルツブルク音楽祭は1948年から、コヴェントガーデン1951年、バイロイト1951など。
録音は交響曲より1~2年を経過しているので、いくらか良くなっている程度。

参照楽譜 オイレンブルク No.912

 

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