読売日響・第544回定期演奏会
もうすっかり正月気分も抜けた昨日、今年最初のサントリーホール公演を聴いてきました。読響の1月定期、同オケには初登場となる準・メルクルの指揮です。
ウェーベルン/パッサカリア
シューマン/ピアノ協奏曲
~休憩~
ブラームス(シェーンベルク編)/ピアノ四重奏曲第1番
指揮/準・メルクル
ピアノ/金子三勇士
コンサートマスター/小森谷巧
フォアシュピーラー/長原幸太
プログラムにウェーベルンとかシェーンベルクの名前が躍っているためでしょうか、読響にしてはかなり空席が目立つのが気になります。インフルエンザが流行っている所為かな?
冒頭に書いたように、準・メルクルは専らN響を指揮していたので、NHKとは余り縁の無い私は演奏会指揮者としては初体験です。もちろん新国立劇場の指輪サイクルは全て通いましたが、それはかなり昔の話。メルクルの指揮の細部までは覚えていませんし、ピットの中では指揮する姿までは拝めませんでした。
準氏、最近はN響を離れて新日フィルとも初共演を果たしているそうで、各オーケストラとも垣根を越えていろいろ相性を試してみるのも良いことじゃないでしょうか。実際、今回の演奏ではメルクルの実力を知ることが出来ましたし、読響も普段とは随分異なる響きを出していました。一言で言えば「新鮮」な体験。
間近で見るメルクルは、背の高さ故かも知れませんが、アクションの大きい身振り。指揮棒を持ち、メンバーの一人一人に細かい指示を出して行く。チョッと見ると慌ただしい印象も。
右に左に素早く体を翻し、恰も踊っているようにも見えました。しかし、その指示は真に的確で、弦のアンサンブルは軽快、その上に載って管楽器の音色にも更なる明るさが聴き取れたほどです。
何と言っても圧巻は最後のシェーンベルク編ブラームスで、この曲から渋さを全て排除し、リズミックで浮き立つ様なブリオを引き出していたのに感心しました。
その指揮の細かさは、例えばテーマを一つの流れとして捉えるのではなく、1小節毎に表情を変えていくようにも感じられるのです。冒頭のクラリネット群による4小節も、シェーンベルクが付けた1小節毎のスラーをそのまま音にしているのでしょう。これを受け止める弦5部の動きにしても同じ。
表情の変化だけではなく、テンポの動かし方も独特のもの。この最たるものは第3楽章の中間部。朗々としたアンダンテ・コン・モートがアニマートに変わると、一気にテンポがアップするのには度肝を抜かれましたね。
私はこの部分を聴いていて常々思うのですが、ブラームスもドヴォルザークと同じように「鉄チャン」だったのじゃないか。ここでは機関車の疾駆を意識してしまうのです。それがメルクルの指揮ではSLじゃなく、まるでリニア・モーター・カーみたい。こんなに速いこの個所を聴いたのは初めてでした。
前半はウェーベルンの記念すべき作品1とシューマンの協奏曲。最後のシェーンベルク編では完全暗譜で指揮していたメルクルですが、ウェーベルンでは珍しくユニヴァーサルのポケット・スコアを使って指揮していました。
協奏曲は、メルクルと同じく混血のピアニスト。メルクルは母が、金子は父が日本人と言う共通点もあります。
冒頭の序奏部はやたらに速いテンポで開始されましたが、ソロが主題を弾き始めるとテンポは急激にギア・ダウン。そこにオケが入ってくると再びスピードが加速されるという具合で、指揮者とソリストの音楽が噛み合っていないのかと思いましたが、どうもこれは後半の演奏から考えて準・メルクルの意向が強く出ているのではないでしょうか。
第2楽章出だしのピアノと弦の遣り取りにしても、唯同じフレーズの繰り返しではなく、まるで恋人同士の会話みたい。繊細且つ丁寧に音楽を創って行くスタイルでしょうが、私には“シューマンのピアノ協奏曲って、いいなぁ~”という感じには聴こえてきません。この天下の名曲から何かを引き出そうとしてることは判るのですが、それが何かは判らず仕舞いでした。
いずれにしてもメルクルと読響の初共演、会場の沸き方から見ても大成功だったと思います。出来ればもっと幅広いレパートリーで、繰り返し聴いてみたい指揮者。得意とするフランス物、今回も中心に置いた近現代音楽に相性が良さそうです。
尤も読響には夫々の分野ではカンブルラン、下野が実績を上げていますから、メルクルが食い込む間隔は狭そう、というのがネックかな。
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