英国競馬1965(3)
半世紀前の英国競馬、3回目は愈々ダービーです。色々な意味でエポックメーキングだったプレミエ・クラシックを回顧して行きましょう。
最初はシーズン開幕前、2月末に各ブックメーカーが発表したオッズから。この時点での1番人気は8対1で2頭が並んでいました。どちらも英国調教馬ではなく、1頭はアイルランドでパトリック・ブレンダーガスト師が調教するハーディカヌート Hardicanute 。前年のシャンペン・ステークス、タイムフォーム・ゴールド・カップ(現在のレーシング・ポスト・トロフィー)の勝馬で、2戦2勝。
同じオッズに並ぶシー・バード Sea Bird はフランス調教馬で、2歳時にクリテリウム・ド・メゾン=ラフィットに勝ち、グラン・クリテリウムでは同厩のグレー・ドーン Grey Dawn の2着した馬。2000ギニー回顧でも取り上げたように、グレー・ドーンはギニー向きなのに対し、こちらはレース内容から見てもダービー・タイプということで評価されていたのです。
この2頭に続くのはカールモン Carlemont とプロミナー Prominer 。12対1で並んだ2頭もまたプレンダーガスト厩舎の馬で、春先は師がどの馬でダービーを勝つかが専ら話題の中心でした。現在でもアイルランドのエイダン・オブライエン厩舎がダービーにどの馬を出走させるかが噂の中心になりますが、当時も似たような状況だったのでしょう。
これからステップ・レースを見ていきますが、皮肉なことにこの3頭は何れもダービーに駒を進めることなく、プレンダーガスト厩舎は全く別の馬でニア・ミスを経験することになります。
さて2000ギニーが終わった直後、勝馬ニクサー Niksar は血統的背景もより長距離向きということで、先ずはギニー馬が8対1の1番人気に上がります。惜敗のシリー・シーズン Silly Season も距離克服の可能性が高いと見做され、ハーディカヌートなどと並んで本命に続くオッズ。一方でシー・バードはエプサムに向かうことに疑問視する向きもあり、この時点ではブックメーカーのリストから外されます。
ニクサーを管理するナイチンゲール師は同馬の本番直行を宣言、距離適性は実際に走るまでは判らない状況でした。
そのナイチンゲール厩舎、1000ギニーの翌日にアスコットで行われたホワイト・ローズ・ステークスに寮馬のアイ・セイ I Say を出走させます。3歳デビューの同馬は、デビュー戦に続いてここも楽勝(2着に5馬身差)し、ダービーに14対1のオッズが出されました。ニクサーとアイ・セイ、主戦のキース騎手にはダービーではどちらを選ぶかという質問が飛び、キースは“もちろんニクサー”と断言しましたが、不運なことにその後のレースで落馬負傷。結局2頭ともダービー出走を果たしますが、共に別のジョッキーで臨むことになります。
ギニーの翌週、チェスター競馬場で複数の重要なトライアルが行われます。先ずダービーと同じ距離で行われるチェスター・ヴァーズは、ケンプトンのギニー・トライアルで最下位に凡走したガルフ・パール Gulf Pearl が一転しての快勝。この頃は余りにも異なるレース内容を見せた馬には審判が関係者を呼んで理由を正す習慣がありました。所謂八百長に対して敏感だったこともあるでしょう。
この聴取に対しジェレミー・トゥリー調教師は、ガルフ・ストリームの血統(父は長距離馬パーシャン・ガルフ Persian Gulf)が長距離向きだったからと説明、審判からも受け入れられます。これを受けてガルフ・パールのオッズもレース前の50対1から半分の25対1に急上昇、同馬はそのままエプサムに直行します。
この二日後にチェスターで行われた10ハロンのディー・ステークスは、ダービー卿の持ち馬でややムラな成績を残してきたルック・シャープ Look Sharp が人気に応え、キャンターで5馬身差の圧勝。これを観戦していたファンは、これまでで最も強い印象を受けたトライアルとして評価、一気に7対1の2番人気に上がってきます。
しかしこのレースで2着だったアブスコンド Abscond は2000ギニーの5着馬で、ニクサーとの差は更に大きかったことにも注意すべきだったでしょう。
続いてダービーに影響を与える情報は、フランスから齎されます。5月9日に行われたオカール賞は、2年前の英国ダービー馬レルコ Relko の半弟リライアンス Reliance が5馬身差で圧勝。この馬がエプサムに挑戦してくるか、仏ダービーに留まるかは未定でしたが、一応ブックメーカーはダービーへのオッズを12対1と提示しました。
しかしより現実的な脅威は、翌週の16日に行われたリュパン賞。無敗のダイアトム Diatome 、仏2000ギニー勝馬カンブルモン Cambremont を全く問題にせず6馬身切って捨てたシー・バードを管理するエティエンヌ・ポレ師は、レース直後にエプサム参戦を言明し、オッズは一気に4対1の本命に躍り出ます。出否未定の段階で一旦はブックメーカーのリストから外れたシー・バードでしたが、ここで鮮烈に復帰、一方のリライアンスはしかと仏ダービーを目標に定めました。
リュパン賞の2日後、ヨーク競馬場の5月開催でもダービー・トライアルとして実績のあるダンテ・ステークスが行われます。チェスターでダービー2番人気に上がったルック・シャープとギニー以来となるシリー・シーズンが出走して注目を集めましたが、結果は両馬とも敗退。結果は僅差の混戦となり、バリメライス Ballymarais が半馬身差でメドウ・コート Meadow Court に先着しました。タイムも遅く、ダービー水準からは遠い内容でしたが、それでもレース前は50対1だったバリメライスは20対1、同じく100対1だったメドウ・コートも20対1とオッズが修正されています。ダンテ組からは、1・2着の他に敗れたケンブリッジ Cambridge 、シリー・シーズン、ルック・シャープがエプサムに駒を進めることになります。
ダンテ・ステークスの結果がダービーに与えた影響は、逆にシー・バードの優位を強調するような方向に働き、この時点でシー・バートのオッズは2対1にまで上がってしまいました。
更にリングフィールド競馬場のダービー・トライアルは15頭も出走、全てがダービーに登録があるという多頭数で、これがダービー出走の最後のチャンスという状況だったのは明らかでしょう。結果は2馬身以内に5頭が犇めくドングリの背比べで、もう一度同じメンバーで走れば結果は全く違ったものになるだろうという様な混戦。優勝はソルスティス Solstice で、短頭差でアルカルド Alcalde 、頭差でフットヒル Foothill が3着。4着から6着、スナチェリ、 Sunacelli 、コンヴァモア Convamore 、そしてアイ・セイまでの6頭が全てダービーに参戦します。
3着のフットヒルは前走チェスター・ヴァーズでガルフ・パールに1馬身半差の2着していた馬で、この結果を見てガルフ・パールのオッズは14対1の3番人気にまで上がりました。
こうしてダービーは24頭が残りましたが、前日になって2頭が取り消し、6月2日にエプサム・ダウンズを駆け抜けたのは最終的に22頭。2月には候補を多数擁していたアイルランドは、結局プレンダーガスト師がメドウ・コートと別の馬主のバム・ロイヤル Bam Royal の2頭のみ。フランスもシー・バードの他にヴロイテン Vleuten の2頭で臨むことになりました。
当日は暖かい日差しがエプサムの丘を照らす絶好のダービー日和。気性が激しいと伝えられていたシー・バードはパドックでも入場時のパレードでも入れ込む素振りは全く無く、最終的には7対4の1番人気に支持されていました。一昨年のレルコ、去年のサンタ・クロースと2年連続で1番人気が制してきたダービー、もしシー・バードが勝てば3年連続となります。3年連続で本命馬がダービーに勝てば、何と1899年のフライング・フォックス Flying Fox 、1900年のダイアモンド・ジュビリー Diamond Jubilee 、1901年のヴォロディオフスキー Volodyovski 以来のことになるという記録も掛かっていたのでした。
2番人気は10対1と2桁に離されてメドウ・コート。100対8の3番人気にニクサーとガルフ・パールが並び、20対1のフットヒル以下はもし勝てば伏兵という扱いでしょう。
当時はゲート方式、一発目で綺麗にスタートが切られると、ペースは決して速くはなく、スナチェリ、バム・ロイヤル、アイ・セイ、メドウ・コート、ガルフ・パール、ニクサーなどが先頭集団。シー・バードはメドウ・コートの直後に付けて2番手集団の中。
タテナム・コーナーはスナチェリ、ニクサー、アイ・セイ、メドウ・コート、ガルフ・パールがほぼ一戦で入り、シー・バードは次のグループの先頭。
直線に入ると足元不安が伝えられていたガール・パールが後退し、先ずニクサーが先頭。しかしこれを同厩のアイ・セイが交わしてリードを広げましたが、誰が見てもシー・バードが楽な手応えで伸びてくるのが見えます。残り300メートル、鞍上パット・グレノンが合図を送ると、数歩でアイ・セイを捉えたシー・バード、最後はジョッキーが馬を抑える余裕で楽勝。後続からメドウ・コートが脚を伸ばしてアイ・セイを1馬身半交わしましたが、馬なりのシー・バードは更に2馬身前をキャンターで通過していました。以下4馬身開いてニクサーが4着、コンヴァモア5着。ガルフ・パールはやはり脚部難が露呈しての12着着に終わり、このシーズンはこれが最後のレースとなってしまいます。
もしグレノンが最後まで追っていたらシー・バードは何馬身で勝っていたか、これは想像の話になってしまいますが、シー・バードの破壊力は、最後の凱旋門賞で観衆の度肝を抜くことになります。
シー・バードを生産したのは、オーナーでもあるフランスのアパレル界の富豪でもあったジャン・テルニンク氏。仏ダービーとパリ大賞典に勝ったサンクタス Sanctus も氏の生産・所有馬で、シー・バードと同じエティエンヌ・ポレ師が調教していました。テルニンク氏は、古く1950年のカマレー Camaree (1000ギニー)に続き英国クラシックは2勝目で最後となります。
エティエンヌ・ポレ師はフランスを代表する名伯楽で、1960年ネヴァー・トゥー・レイト Never Too Late の1000ギニーとオークス、1963年フラ・ダンサー Hula Dancer の1000ギニーで、既にこの回顧シリーズでも取り上げてきました。2000ギニーは1952年にサンダーヘッド Thunderhead で制しており、セントレジャーを除く4冠調教師。師は1969年に引退する予定でしたが、シー・バード産駒のジル Gyr を管理するために引退を1年延長、結果はニジンスキー Nijinsky の2着でしたね。この辺りはミノルでのダービー制覇を目指し、騎手としての引退を1年延長した保田隆芳氏の思い出とも繋がるものがあります。
ダービーの後シー・バードはサン=クルー大賞典を古馬を一蹴して楽勝、この時点で凱旋門賞を最後に種牡馬として引退することが明明白白になっていました。
その凱旋門賞、現在でも史上最強のメンバーと言われており、フランスの強豪リライアンスとダイアトムに加え、ロシアの最強馬アニリン Anilin 、ダービー2着のあと愛ダービーとキング・ジョージを制して成長著しいメドウ・コート、アメリカからもクラシック馬トム・ロルフ Tom Rolfe が参戦していました。
しかし結果はご存知の通り。残り2ハロン、僅か6歩でリライアンスを6馬身突き放したシー・バードは、タイム・フォームが145ポンドを付ける史上最強馬の評価。これは2012年にフランケル Frankel が147を叩き出すまで破られなかった数字ですが、フランケルはあくまでも1マイルから2000メートルでの評価。クラシック距離である2400メートルではシー・バードが史上最強であることは現在でも変りありません。
3歳でターフを去ることになったシー・バードはアメリカのジョン・ガルブレス氏率いるダービー・ダン・スタッドで種牡馬入り。5年契約を満了したのちは、フランスに戻り、1973年に21歳で死去します。
スプリンター系の父、フランスのローカル競馬でマイナーな成績しかない牝系、言わば突然変異的な要素の強いシー・バードは、その競馬場での強さと比較すれば種馬としては失敗だったと言えるかもしれません。英クラシックでは、上記の様にジルがダービーで2着した程度でした。
しかし死去した1973年、その娘アレ・フランス Allez France がフランスの牝馬3冠を達成し、翌年には凱旋門賞にも勝って父娘制覇を達成します。
もちろんシー・バード産駒は日本にも僅かながら入りましたが、競走馬として特別競走以上に勝ったものは見当たりません。皮肉なことに母の父として、シーバードパークやタニノスイセイが見当たるだけなのは寂しい限りです。
初めまして
時々海外競馬&クラシック音楽について博識あるブログを覗かせてもらってるものです。
今回のシーバードの英ダービーはもちろん中味の濃いさにはいつも頭が下がります。
実は僕もメリー・ウイロウさんと同じで海外競馬とクラシック音楽が趣味なんですよ(笑)。
学生時代からの趣味でクラシック音楽については、1979年にカラヤン・ベルリンフィル
を普門館で聴きましたし、海外競馬については、1986年の凱旋門賞をフジの衛星中継で
観ましたから。名刺代わりに僕の愛聴する名盤ベスト10と欧州最強馬ベスト15を書いておきます。
クラシック名盤ベスト10
1、ブラームス 交響曲第1番 ベーム ベルリンPO
2、ベートーヴェン ピアノソナタ第23番「熱情」 リヒテル (1960年スタ録)
3、チャイコフスキー 交響曲第5番 カラヤン ベルリンPO (1971年)
4、ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」 ケルテス ウィーンPO
5、ショパン バラード第1番 ホロヴィッツ (1965年カーネギーホール・ライヴ)
6、チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 アルゲリッチ コンドラシン バイエルンRSO
7、ブラームス ヴァイオリン協奏曲 オイストラフ クレンペラー フランス国立放送O
8、ベートーヴェン ピアノソナタ第17番「テンペスト」 リヒテル
9、モーツァルト 交響曲第40番 セル クリーヴランドO
10、ムソルグスキー 展覧会の絵(ラヴェル編曲) ライナー シカゴSO
欧州最強馬ベスト15
1、シーバード
2、リボー
3、フランケル
4、ブリガディアジェラード
6、ミルリーフ
7、ダンシングブレーヴ
8、ニジンスキー
9、ヴェイグリーノーブル
10、シーザスターズ
11、シャーガー
12、パントレセレブル
13、ドバイミレニアム
14、ジェネラス
15、エクスビュリ or アレッジド or ハービンジャー
ざっと思いつきで書きましたが、よろしくお願いします。
406クーペ 様
コメントありがとうございます。
日本には競馬とクラシック音楽が趣味という方は少ないのですが、私は両者にはいろいろ共通点があると思っています。ブログのタイトルにもそういう意味を含めています。
英国競馬のバイブル的な年鑑書である「レースホース」を創刊したフィル・ブル氏はクラシック音楽にも大変造詣の深かった方ですし、ご存知の通りエルガーは「狂」が付くくらいの競馬ファンでもありました。
貴兄が挙げられたベスト10もベスト15にも共感します。何か気付かれたことがありましたら、気軽にコメント頂ければ幸いです。