サルビアホール 第44回クァルテット・シリーズ

3月最初のコンサート行は弦楽四重奏の聖地、鶴見のサルビアホール。前回から未だ1週間ですが、第13シーズンの最終回は弦楽器の聖地、チェコから迎えたクァルテットです。

クロンマー/弦楽四重奏曲変ホ長調作品5-1
マルティヌー/弦楽四重奏曲第7番「室内協奏曲」
~休憩~
スーク/古いコラール「聖ヴァーツラフ」による瞑想曲
スメタナ/弦楽四重奏曲第1番ホ短調「わが生涯より」
シュパチェク・クァルテット Spacek Quartet

チェコでは昔から数多くのクァルテットが活動してきましたが、今回の「シュパチェク」は名前も含めて初めて聴きました。最初に見たチラシには“若きコンサートマスター率いる名門チェコ・フィルの精鋭”とあって、この謳い文句からは新しい団体の様にも取れます。
更に読み進むと、1992年にチェコ・フィルの主要楽員によって「チェコ・フィル・ストリング・クァルテット」として結成。2011年にヴァイオリン奏者2名が定年のためチェコ・フィルを退団、代わって24歳にしてチェコ・フィルのコンマスに就任したヨゼフ・シュパチェク等が加入し、改めて「シュパチェク・クァルテット」として活動しているとのこと。

いろいろネットでも検索してみましたが、「シュパチェク・クァルテット」の名前ではホームページなども無いようですし、CD録音も存在しないようです。また「チェコ・フィルハーモニー弦楽四重奏団」という団体もありますが、どうもシュパチェクとは別団体のよう。今一つ設立の経緯やメンバー構成が判りません。
プログラムに紹介されているメンバーは、ファーストが団名にも採用されているヨゼフ・シュパチェク Josef Spacek 、セカンドはミラン・ヴァヴジーネク Milan Vavrinek 、ヴィオラをヤン・シモン Jan Simon 、チェロはヨゼフ・シュパチェク・シニア Josef Spacek, Sr. という人たち。名前から判断すれば、ファーストはチェロの息子さんなのでしょう。明らかに低声部の二人はヴァイオリンの二人より年上の世代。
チラシの文章から判断しても、彼等は現在もチェコ・フィルのメンバーで、あくまでもオーケストラの下部?組織としてのクァルテットで、常設の団体ではないでしょう。クラシック音楽以外にポピュラー音楽の人気作品もレパートリーに取り込み、クラシック音楽の普及に熱心に取り組んでいるというのが彼らのプロフィールです。

今回のプログラムは、一言で言えばチェコ音楽200年史。4人の作曲家が取り上げられましたが、全てモラヴィアを含めてチェコを代表する音楽。最も古いクロンマーが生まれたのが1759年で、最も現代に近いマルティヌーの没年が1959年、正に丁度200年にスッポリと入る計算です。
更に4人の生没年を眺めていると、この200年に切れ目が無いことにも気が付きます。即ちクロンマーが未だ活躍中の1824年にスメタナが生まれ、スメタナが没した1884年にはスークは10歳、マルティヌーはスークが16歳の時に産まれているという具合。シュパチェクQのメンバーの生年は判りませんが、古参のメンバーはマルティヌーの生きていた時代と同じ空気を吸っていたのではないでしょうか。

この作曲家4人に共通しているのは、何れもヴァイオリン奏者だったこと。クロンマーは若い頃、ブルノやハンガリー各地をオルガニストやヴァイオリン奏者として遍歴していましたし、マルティヌーは当時のチェコ・フィルのヴァイオリン奏者でもありました。
スークは有名なボヘミア四重奏団の第2ヴァイオリン奏者として活躍したことは余りにも有名。スメタナはピアニストとして相当の腕前だったようですが、幼少の頃はヴァイオリンを弾いていました。伝記には5歳の頃には弦楽四重奏団で弾いていたと書かれていますが、5歳でクァルテットを弾けるものでしょうか?

今回のプログラムにはもう一つ、些かこじ付けではありますが、オーケストラ繋がりという共通点もありそう。クロンマー時代の四重奏はディヴェルティメント的な性格もあったでしょうし、マルティヌー作品には珍しい「室内協奏曲」というタイトルが付けられています。
スーク作品は後に作曲者自身が弦楽オーケストラ用に編曲していますし、スメタナの「わが生涯より」も後にジョージ・セルが管弦楽用に編曲していますよね。オケにも通ずる4曲を並べた辺りも、管弦楽の団員としての活躍がメインのクァルテットと言えなくもない。

ということでシュパチェクQ、チェコの伝統である弦楽器の響き、母体であるチェコ・フィルのエッセンスをギュッと固めた音楽を楽しみました。前半のクロンマーとマルティヌーは、私も初めて聴くレパートリー。先ずそのことから書いておきましょうか。
フランツ・クロンマー(1760-1831)はモラヴィアのカメニーチェに生まれた人で、スラヴ風にはフランティセク・クラマルジュが正式の名。クロンマーはあくまでもドイツ風の呼び方ですね。1818年にコーツェルフの後を継いでウィーン宮廷のカペルマイスターに就任していますが、コーツェルフはこのポストをモーツァルトから引き継いだわけで、クロンマーが如何にウィーンで人気があったかが想像できます。確かウィーン宮廷の楽長はクロンマーが最後だったのじゃなかったかしら。
現在ではほとんど忘れられた存在のクロンマーですが、昔はクラリネット協奏曲がLPで聴けたものです。今回の四重奏曲は如何にもウィーンの好みに合うといった感じのロココ風のもので、IMSLP(International Music Score Library Project)でもパート譜しか見当たりませんでした。Allegro Moderato (4分の4)、Allegretto (4分の2)、Rondo Moderato (4分の2)の3楽章制で、極端な感情表現は出てきません。シュパチェクQも茶色く変色した時代物のパート譜を用いて演奏していましたが、一般にはスコアの形で見ることは出来ないのでしょう。解説にはアウグスブルクのゴンバルト社から出版されたとありましたが、どんな出版社なのでしょうか。

一転して20世紀のマルティヌー(1890-1959)。マルティヌーは番号付きの弦楽四重奏曲を7曲残していますが、これは最後のもので、最も平明で明るい作品。これも3楽章制で、特に第3楽章のテーマにはハイドン風のユーモアさえ感じられました。
作品の中核は恐らく第2楽章で、下降2度や3度の所謂「嘆きの音程」が頻繁に登場する印象的な楽章。特に最後にチェロのハイ・ポジションに登場するメロディーは、マルティヌーが書いた最も美しい旋律の一つでしょう。

スーク(1874-1935)の小品は、鶴見では2012年11月のアポロン・ミュザゲートに続く2回目の登場。その時にも感銘を受けましたが、シュパチェクはやや速目のテンポでストレートにスークの魅力を紹介してくれました。
作品は良く言われる「戦争3部作」の一品で、作品番号は35のa。前半は全員が弱音器を付けて淡々と進み、弱音器を外して3連音符で心臓が鼓動を始める所からが後半。最後は魂が昇天するように上向音形が pp の静寂の中に消えていきます。
印象としては、前半が遠くの教会からコラールが響き、後半は教会の中で合唱に和す、という風景。この作品で、シュパチェクの豊かな音楽が聴き手の心を一気に捉えました。

最後は、恐らく誰でもが知っているスメタナ(1824-1884)の名曲。チェコから見て外国の団体が演奏する「わが生涯より」に比べてテンポはずっとゆったりとしたもので、堂々たる大曲として表現されていきます。パパ・シュパチェクが切れた弓の糸を処理する姿も如何にも大家のそれで、慌てず騒がず作品にじっくりと対峙する姿勢が感じられました。
これを聴いていて思い出したのは、遥か昔にチェコ・フィルが初来日して新世界よりなどを演奏した時のこと。所謂「本場もの」の演奏が意外にアッサリしたもので、自然に作品の滋味を醸し出していく姿でした。
シュパチェクQのスメタナも然り。ハッタリめいたことは一切せず、全力をぶつける様な弾き方はしませんが、それでいて楽器は鳴りに鳴る。恐らくチェコの弦楽器奏者は筋肉の使い方が違うのでしょう。自然に楽器に接すれば、音楽は自ずとそこから流れ出す。

チェコの音楽家にとって、スメタナは如何に大切な作曲家であるか、ということに改めて想いを馳せた演奏会です。
アンコールが2曲。最初はプログラム本編には選ばれなかったもう一人の大作曲家、ドヴォルザークのユモレスク。もう一つは音楽の父バッハの有名なアリア。素敵なデザートに、思わず“御馳走様でした”と頭を下げてしまいました。

 

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