読売日響・第547回定期演奏会

前シーズンをヨーロッパ公演で締め括った読売日本交響楽団の新シーズンが開幕しました。4月、最初の定期はヨーロッパ楽旅を率いた首席指揮者カンブルラン、相変わらずの拘りプログラムで臨みます。

リーム/厳粛な歌―歌曲付き(日本初演)
~休憩~
ブルックナー/交響曲第7番(ノヴァーク版)
指揮/シルヴァン・カンブルラン
バリトン/小森輝彦
コンサートマスター/小森谷巧
フォアシュピーラー/長原幸太

今シーズンの読響最大の目玉は、9月に2公演が予定されている「トリスタンとイゾルデ」の演奏会形式全曲上演でしょう。カンブルランが次に登場するのはこの9月プロですから、大一番前の定期ということになります。
例によって読響ではプレトークのような予習活動は一切なく、4月定期にしてもホームページで若干の情報をアップしているだけ。カンブルランの意図や聴き所は会員が自分で考えなさい、ということでしょう。

今回はカンブルランが読響では初めて取り組むブルックナーがメイン。読響のブルックナーと言えば前常任のスクロヴァチェフスキが常任時代に番号無しの作品も含めて全曲を取り上げましたし、首席を辞したあとも毎年の様に客演して何曲も再演してきた作曲家です。
ミスターS以外にも最近では首席客演の下野もブルックナーで勝負していますし、故アルブレヒトにしても元首席の尾高にしても折に触れて取り上げてきました。現在の日本でブルックナーと言えば読響、とレッテルを貼っても間違いないでしょう。
にも拘わらずカンブルランが敢えてブルックナーを取り上げるのは、それなりに強い意欲があってのこと。実際、某所でカンブルランは首席就任当初からブルックナーを振りたがっている、という噂を耳にしたこともありました。
既に手兵南西ドイツ・フィルと何曲も録音しており、実は私もナクソス・ミュージック・ライブラリーで第7を予習して出掛けたほど。これ、超優秀録音で真に優れた演奏ですから、是非皆さんも試されては如何でしょう。因みにナクソスでは第3・4・6・7・9番を聴くことが出来ます。

しかし先ずはブルックナーと組んで演奏されたヴォルフガング・リーム作品から。日本初演とありますが、この曲の前半に相当する純粋に管弦楽だけによる「厳粛な歌」は既に東フィルとN響でも演奏されたことがあり、日本初演はあくまでも歌曲付きのヴァージョンに対してのもの。
ところでここ数日、当ブログにN響第1655回定期の記事へのアクセスが多くなっていて不思議に思っていましたが、自分で検索してみたところ、リーム作品が演奏された会であることが判りました。やはり予習に迷って拙ブログに行き着いたものと思われます。

ということで私も過去の記事を読んで思い出したリーム、高音楽器を排した楽器編成からも判るように、真に暗い響きを持つ作品です。(詳しい楽器編成はN響放送の感想に書いたので省略)
以前ならスコアを取り寄せて予習した所ですが、年金生活の昨今では日銀総裁の誘導策による円安の影響で、とても現代音楽の高価な楽譜を取り寄せるのは無理。スコアも見ることが出来ず、当日のプログラムだけを頼りに日本初演を聴きました。(そもそも歌曲付き版は貸譜ですが、歌曲の無い版は最近になって売譜も出ているようです)
イングリッシュ・ホルンのソロが活躍する同曲、N響との演奏ではシベリウスを連想したのですが、今回のナマ体験では、後半(最後の5分ほどで登場)にバリトンのソロが入ることもあり、「トリスタンとイゾルデ」のマルケ王のモノローグを連想してしまいました。

ゲオルク・ビュヒナーの言葉から採られた短い歌詞には「Schmerz」「Tod」「Klagen」「Mude」(もちろんUウムラウト)などドイツ語独特の厳しい単語が鏤められ、小森の的確な歌唱によって増々トリスタン的苦悩がホール一杯に広がるのでした。
作品は最後に前半の管弦楽部分の回想(?)で締め括られるのですが、恐らくカンブルランの意図は、同じくワーグナーの死に想いを致すブルックナーの第7交響曲と共に演奏することによって、9月のトリスタンへの前奏曲としたのではないでしょうか。
余計なことでしょうが、演奏後の野蛮なブラヴォ~は如何にも興醒め。この作品は静かに余韻を味わうのが筋であって、如何に演奏が良くとも雰囲気をぶち壊すオオカミの遠吠えは止めて貰いたいと思います。

メインのブルックナー、予想したように定番とされてきたドイツ風ブルックナーとは趣の異なるもの。私のクラシック入門当時、ブルックナーは最も難解な音楽で、ドイツ・オーストリア以外では全く理解されない、と聞かされてきました。
カンブルランはフランス人、往年のフランスの大指揮者でもブルックナーを振る人は皆無だったと思います。しかし最近は独墺系以外の指揮者でも振るようになり、ブルックナーが世界標準になったことを改めて感慨深く感じた次第。

カンブルランのブルックナーは、ドイツ人特有の重さからは開放され、恰も教会のステンドグラスを通して光が当たる様なカラフルで温かみを湛えたもの。同じ敬虔なカトリック信者のメシアンに繋がる様な感覚さえ覚えました。
さすがに第2楽章は深々とした重厚さが支配していましたが、終楽章など軽やかな踊りを踊っているようなブルックナー。これまで屹立する岸壁が登山者を阻むが如き高峰のイメージだったブルックナーも、自然を楽しむようなハイキング・コースに変貌しているのです。

今年6シーズン目を迎えたカンブルラン、今シーズンは上記トリスタンの他にもマーラー第7交響曲など、どちらかと言えばドイツ系大曲に焦点が当てられている模様。このあともブルックナーが度々取り上げられるような予感がします。透明で軽やかなブルックナー、これもあり、かな?

 

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