ミロ・クァルテットのベートーヴェン・サイクル

今年も6月6日から21日までの15日間、サントリーホールのチェンバー・ミュージック・ガーデンが行われました。と言って過去形にしてしまいましたが、記事をアップしている今日が最終日、これからフィナーレ・コンサートが行われる所です。
毎年恒例になっている看板のベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏会、今年はアメリカのミロ・クァルテットが登場しました。最初のパシフィカから数えて5団体目です。

2015年度はミロ、という情報は確か去年のチェンバー・ミュージック・ガーデンの最中に発表されたニュースだったと思いますが、その一報に狂喜、1年間心待ちにしていたツィクルスでもあります。
やがて手にしたチラシに掲載された詳しい日程は、

2015年6月7日 ベートーヴェン・サイクルⅠ

ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第3番二長調作品18-3
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第2番ト長調作品18-2
~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第1番へ長調作品18-1
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第5番イ長調作品18-5
~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第4番ハ短調作品18-4
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第6番変ロ長調作品18-6

2015年6月11日 ベートーヴェン・サイクルⅡ

ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第7番へ長調作品59-1「ラズモフスキー第1番」
~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第8番ホ短調作品59-2「ラズモフスキー第2番」
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第9番ハ長調作品59-3「ラズモフスキー第3番」

2015年6月13日 ベートーヴェン・サイクルⅢ

ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第10番変ホ長調作品74「ハープ」
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第11番作へ短調品95「セリオーソ」
~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第12番変ホ長調作品127

2015年6月18日 ベートーヴェン・サイクルⅣ

ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第15番イ短調作品132
~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第13番変ロ長調作品130(大フーガ付)

2015年6月20日 ベートーヴェン・サイクルⅤ

ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131
~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第16番へ長調作品135
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第13番変ロ長調作品130から第6楽章アレグロ
ミロ・クァルテット

というもので、夫々の会にはキャッチフレーズが添えられていて、それは以下のものでした。

第1回 28-29歳 ≪青年の大胆な主張と挑戦≫
第2回 35歳 ≪自身みなぎる一つの最高潮≫
第3回 38-53歳 ≪進化と実験、「第九」を経て≫
第4回 54歳 ≪前人未到の宇宙的な拡がり≫
第5回 55歳 ≪独創の極みから原点回帰へ≫

要するに全曲をバラバラに組み合わせて一回一回のコンサートを完結させるスタイルではなく、ベートーヴェンの作品を順番に取り上げていく方式。
それもよく行われる番号順ではなく、プログラムにヴィオラ奏者ジョン・ラジェスが解説しているように、独自の研究をもとに、単なる番号順ではなく、「作品の完成順に演奏していく」という選択なのです。

更に言えば、「ベートーヴェンがその作品を書いた年齢に自分が達した時、初めてわかってくることがある」というのがミロのコンセプトで、これまで第9番まで完成している彼らのCDは、ミロがベートーヴェンが作曲した年齢に達したものまで、所謂後期は何年か後、作曲者と同年代に入った時に録音されるのでしょう。
その意味では、未だレコーディングの無い第10番以降はナマで聴くしかなく、ベートーヴェン四重奏オタクたちには絶対に聴き逃せない機会なのでありました。

何処にも記載は無く、そうした指摘も見ていませんが、私は5回の演奏会の間隔にも注目しました。即ちガーデン最初の日曜日に初期の6曲を一気に演奏し、翌週の木曜日と土曜日に中期作品を1日間隔で全曲。そして更に1週間を隔てた週末に後期作品に全曲チャレンジする。
これは単なるスケジュールの都合だけじゃないでしょ。演奏家にとっても、そして大事なのは聴き手にとっても時代を隔てた作品には十分な考察時間を持たせて次に進む。真にミロらしい、クラシック音楽好きの好奇心を擽るようなサイクルだと考えました。
これは全曲聴いて、しかも3週間の間を置いて聴くしかありますまい。スケジュールの都合で何回か選ぶという選択は私にはあり得ませんでした。ですから苦手なネット販売に苦労して何とか通し券をゲットしたのです。もちろん割引という誘惑にも惹かれましたが・・・。

いつもならコンサートを聴いた翌日に感想文をアップ、というのが当ブログの基本方針でしたが、今回だけはサイクルを聴き終えてからにしよう、これも最初から決めていました。で、その時が来たので要点だけを記録しておくことにします。少し長くなるかもしれませんが。

第一夜
作品18を一晩で全曲取り上げるという試みは、2005年12月、彼らの二度目の来日の際にトリトンの第一生命ホールでも行われました。その時は私も聴きましたが、曲順と休憩の入れ方も今回と全く同じ。違っていたのは当時のセカンドが山本智子さんだったことだけで、微かな記憶ながら演奏のコンセプトや組み立て方も同じ。当時からミロのベートーヴェンは確立されていたものと思われます。
今回は当初から会場の緊張は相当なもので、ミロがどのような団体が、どういうベートーヴェンを演奏するかも良く理解している聴き手が大半。舞台に掛けられているプレッシャーは相当なものだったに違いありません。
そして最初の3番から早やベートーヴェンの世界。 先人の影響でなく sf f ff という音量の明確な弾き分けが徹底しているのが特徴。第1楽章再現部直前や第2楽章コーダのの3連音符での fff はこれぞベートーヴェン。
第2番の第1楽章主要主題、最後に出る時は、ほとんど認識できない位僅かにテンポを落とす配慮も。第3楽章スケルツォの軽やかなテクニックには、演奏後に思わず拍手が起きます。
第1番には二つの稿がありますが、もちろん現行版での演奏。第2楽章終結部の緊迫感と ff での3連音符は息をするのも憚られるほどの集中力で、良く言われるロメオとジュリエットの別れの場と言うより、初稿を捧げたカール・アメンダとの友情に想いを馳せます。
第5番第3楽章の変奏曲、第5変奏の圧倒的迫力にも楽章終了時に拍手が起きたほど。4番は若干疲れが感じられたものの、6番は不安を感じさせない名演で長い一日を締め括りました。第6番では特に第2楽章の6連音符や第4楽章のアーティキュレーションなどに自由さが感じられたものの、計算された遊びという印象。

第二夜
ラズモ1番の後に休憩を入れるスタイルは、去年5月の晴海と同じ。改めて考えてみると、単に演奏時間の関係というより、第1番の四つの楽章が全てソナタ形式ということが理由かも知れません。
晴海では個人的な都合で3番を聴き逃しましたが、今回初体験。改めて第3楽章の第4楽章は挑戦的なスピードで、間違いなく100メートル9秒台の速さ。
ラズモ第2の第1楽章展開部と再現部の繰り返しは、録音とは異なって実行せず。これは演奏時間が余りにも長くなり過ぎるためか。

第三夜
ここからは我々が聴くミロの新しい世界。ラジェスが指摘するように、「中年の危機コンサート」。それにしてもこの組み合わせは斬新で、作品74と作品127には目も止まらぬ速さのスケルツォがあるという共通点に気付きました。
セリオーソの凝縮した音楽は、簡潔にエッセンスだけを盛り込む作曲の難しさと、それを克服したベートーヴェンの精神的充実を感じさせる演奏で圧倒。

第四夜
当全曲演奏会の白眉でしょう。多楽章の四重奏曲2本立て、しかも大フーガ付き。聴き通せば死んでしまうかも知れないと思いつつ会場へ。
後期作品に入ると、ミロの演奏はその速度より、ジックリと歌い込む姿勢が目立ってくるようです。もちろん速い楽章のスピードは相変わらずですが、作品の特質もあって深々とした表現が勝ってくる印象。もちろんそのことを意識して演奏しているからに違いありません。
作品132は何と言っても緩徐楽章の宗教的とさえ言える感謝の歌が感動的で、楽章が終わっても暫くは身動き一つ出来ないほどの感銘。終楽章、徐々にアッチェレランドとクレッシェンドを重ね、プレストに入ってからの追末脚は圧巻。手に汗握る末脚には、思わず仰け反ります。
作品130は、ラジェスによれば全曲中最短の楽章(第2楽章:3分)と最長の楽章(大フーガ:20分)も含む多彩・難解・最大の作品。第1楽章の繰り返しを省略しましたが、演奏時間への配慮でしょうか。恐らくレコーディングする時には反復記号も忠実に実行するだろうと予想します。
去年サルビアでもアンコールしたカヴァティーナに涙し、突入した大フーガは豪華絢爛の音絵巻。最長楽章もあっという間に終わる感動の20分でした。

第五夜
長かったベートーヴェン・サイクルも愈々最終日。昨日の大作2曲プロを終えたフィナーレは、気の所為か解脱状態。作品131も全曲が通して演奏される大作ながら、ベートーヴェンの創作エッセンスが次々と飛び交い、宙を遊んでいる様な音楽に聴こえてきます。長いはずの40分はあっという間。
ベートーヴェン作品最大の特徴は、リズムの刻みにありますが131の終楽章はその典型にして最高のもの。ミロの屹立したリズムが聴き手を圧倒。
そして最後の135。ここで再びベートーヴェンの最も深遠な世界が現出し、聴き手は第3楽章の“これでいいのか?”の問いに応えなければなりません。ミロが与えてくれた“これでいいのだ!”の答えに、会場は大喝采を浴びせました。
しかしコンサートはこれで終わりではなく、恰もアンコールの様に作品130の新しい終楽章でゴールを目指します。ベートーヴェンが生涯最後に作曲した作品に相応しい愉悦と感動がサイクルを締め括りました。

鳴り止まぬ拍手。サプライズが続きます。まさか全曲演奏の後にはアンコールなどあり得ないと思っていましたが、ダニエルの英語によるスピーチに続いて演奏されたのは、130のカヴァティーナ。去年のサルビアでもアンコールされましたが、作曲者自身お気に入りのアダージョには思わず涙がこぼれました。
私の席からは背中しか見えなかったヴィオラのジョン、演奏後に舞台に下がる時には彼もまた赤くなった目頭を拭う姿さえ・・・。

やはり演奏会の締めはカヴァティーナ、と納得していた矢先、今度はそのジョンが挨拶し、何と作品18-6からスケルツォのプレゼント。何ともミロらしいツィクルの締めとなりました。

もうこれで暫くベートーヴェンは聴きません。それが全体を終えての感想でしたが、一晩眠ればまたベートーヴェンのクァルテットを聴きたい、と思うのはクラシック好きの性でしょう。この繰り返しが一生続くのだと思います。そして人生の最後に聴くのは、やっぱりカヴァティーナか?
ベートーヴェンは弦楽四重奏曲を後世のために作曲した、それがミロのコンセプトですが、過去も現代も、そして未来もベートーヴェンを必要とする世界が続くでしょう。カヴァティーナで一旦は区切りを付けた一生も、再び作品18から新たにスタートを切らなければならない。今回のミロによるベートーヴェン弦楽四重奏全曲演奏会は、その強いメッセージを発信していたのだと確信しました。

 

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