日本フィル・第672回東京定期演奏会

前回の神奈川フィルでも書きましたが、今月は個人的な広上月間、第2弾は昨日のサントリーホールで行われた日フィル7月定期です。
長く同オケの正指揮者を務めた広上、退任後も毎シーズンの様に客演を続けているのは有難いことで、ここ数年は7月に登場してシーズンを締め括るというスタイルが続いてきました。七夕指揮者と言われる所以。(来年は3月、春シーズンの開幕を任されているようですが)

今年の選曲は大曲が二つ、一つは英国の、もう一つも英国に因縁の深い作品で、言わばイギリス繋がりプログラムでしょう。

エルガー/ヴァイオリン協奏曲
~休憩~
メンデルスゾーン/交響曲第3番
指揮/広上淳一
ヴァイオリン/ダニエル・ホープ
コンサートマスター/木野雅之
フォアシュピーラー/千葉清加
ソロ・チェロ/菊地知也

どちらも期待通りの、いやそれを上回る名演となりましたが、何と言ってもエルガーが圧巻。今回は順序を入れ替えて後半のメンデルスゾーンから取り上げましょうか。

メンデルスゾーンのスコットランド交響曲は、広上/日本フィルでは2回目。記録を見ると前回は1990年10月のことで、今回は25年振りの再演ということになります。広上が日フィルの正指揮者に就任したのは1991年9月でしたから、1回目は正指揮者就任前のコンサートでした。
その時のメインはシューベルトのザ・グレイト、これに組み合わせるのにスコッチはどうか、というオケ側からの提案だった由。今回の再演は、指揮者とオーケストラの四半世紀に及ぶ良好な関係を総括する意味があったのかも知れません。

ところで前回、私は既に定期会員でしたが現役の勤め人で、仕事の都合だったか耳慣れない指揮者の名前に興味が沸かなかったのか、席を家内に譲ってパスした記憶があります(当時は一人だけの会員)。帰ってきた家内に感想を訊きましたが、ほとんど反応無し。
しかしその1年後に正指揮者就任記念定期でナマの広上初体験、腰を抜かすほどの感銘を受けてから今日まで追いかけ続け、早や25年が経過したことになります。それにしても我ながら良く続くものですネェ~。

前回のメンデルスゾーンはCD化されて現在でも繰り返し聴くことが出来ますが、今回の再演では時の流れ、指揮者の人間的な成長を改めて実感できました。
1990年のスコッチは若手指揮者の意欲が剥き出し、第1楽章主部など突然のギアチェンジで「個性」を主張して行きます。これが広上の魅力でもあったのですが、如何にも恣意的、繰り返し聴くには適していません。

対して2015年のスコッチは円熟の極み、故意なテンポの揺れは全く無く、真っ向勝負でメンデルスゾーンの構築性を堂々と謳い上げるのでした。かつて思い切りテンポを落とした第1楽章第1主題も、物足りない程にサラリと進入。しかしそこからの展開は、一つ一つの音に意味を籠め、慈しみに満ちた音楽。
第1楽章提示部は繰り返さず、アタッカも指定通りに自然と第2楽章に流れ込みます。時にティンパニや金管を強調する第2楽章再現部から、カンタービレを思いッ切り利かせたアダージョ。sf の活きるフィナーレも、最後の民謡主題が楽譜通りマエストーソに響き渡り、腹一杯のメンデルスゾーンを嘗め尽くすのでした。
尖がった勢いこそ失われたものの、醸し出されてきたのは小手先芸を排した堂々たる横綱相撲。あの時の若手は、最早マエストロと呼ばれる資格を十二分に備えた巨匠への道を歩みつつあります。

そんな広上追っ駆けでも舌を巻いたのが、前半に演奏されたエルガー。個人的には大好きな協奏曲ですが、一般的には取っ付き難いコンチェルトでしょう。その辺りも含めての感想です。

私がエルガーのヴァイオリン協奏曲をナマで聴いたのは、今回が3回目。初体験はやはり日フィルの2006年11月定期で、川久賜紀のソロとロッホランの指揮、2回目は2008年3月の大阪シンフォニカー(当時)の東京公演での竹澤恭子のソロ、指揮は大山平一郎でした。
どちらも見事な演奏でしたが、何より作品が素晴らしく、個人的に言わせて貰えば、繰り返しベートーヴェンやブラームスを聴くより、一度でも多くエルガーに接したいもの。

ところでこの作品、個人的には「英国ミステリーの旅」とでも名付けたいほど。スコアの最初のページに、エルガーはスペイン語で“ここに・・・・・の魂が秘められている”と謎のようなメッセージが書かれています(何故か今回のプログラムには一切触れられていません。土曜日のプレトークで紹介するのでしょうか)。
これはアラン=ルネ・ルサージュという作家の「ギル・ブラス Gil Blas」という小節の一句だそうですが、問題は「・・・・・」と五つの臥せ文字の謎。エルガーは真相を明かすことはありませんでしたが、同時代の仲間や後世の研究家が様々名前を予測し、それがこの協奏曲の難解さを助長、聴く人の好奇心を刺激するポイントにもなっているのですね。

曰く5文字は画家ジョン・エヴァレット・ミレーの娘でエルガーが「アネモネ Windflower」の愛称で呼んでいたアリス・ステュアート=ワートリー男爵夫人(Alice)であるという説。
エルガーの元カノだったヘレン・ウィーバー(Helen)だったという説。
エルガーのアメリカの友人であるユリア・ワージントン(Julia)であるという人。
更にはエルガー夫人のアリスその人、いやエルガーの母だという意見もある上に、実はエルガー本人(Elgar)が犯人だという意見も登場するほど。他にも容疑者は7~8人にも及ぶようです。

音楽も正にそれを反映し、この協奏曲には3つの楽章に登場するテーマは七つか八つほど。特に重要と思われるのはやはり女性的なテーマで、第1楽章第2主題(練習番号4から)、第2楽章の主要主題(第2楽章冒頭、所謂アネモネの主題)、第3楽章の第2主題(練習番号73から)などでしょう。
もちろん容疑者は男性にもいて、第1楽章の第1主題は冒頭に登場するテーマと、その反面とも言える副次主題(練習番号2から)から成ると見る二つのテーマは男性と見るのが妥当でしょう。しかも曲中に多く登場するのは副次主題の方で、第1楽章の再現部(練習番号23から)では副次主題だけが登場し、主要主題は姿を眩ませています。
更に重要な登場人物は、第2楽章と第3楽章でエルガー得意の表情記号である Nobilimente で出現する言わば「貴族の主題」。姿は変えていれど、第2楽章と第3楽章の同箇所に出てくるのは同じモチーフの変形で、エルガーの謎では最も怪しい容疑者の一人でしょうか。

こうした登場人物たちは三つの楽章で複雑に絡み合い、時には変奏し、時にはお互いの血縁関係を示唆するかの如くに扱われていきます。これがヴァイオリン協奏曲を難しくしている根本なのです。シャーロック・ホームズというより、アガサ・クリスティーの世界でしょう。

そしてポアロの謎解きが行われるのが、第3楽章の半分を占めるカデンツァ・アカンパニャータ Cadenza accompagnata 。ヴァイオリン・ソロが繊細極まりない技巧を披露しながら、次々に容疑者を指名して行きます。最初にやり玉に挙がるのが男性副次テーマ。
しかしながらやはり怪しいのは女性で、特に第1楽章第2主題がエルガーの発明になるという弦のピチカート・トレモロに導かれて登場。ここは指揮者にとっても困難なパッセージで、広上は指で数字の「1・2・3・・・」と指示しながら絶妙な伴奏で名探偵をサポートします。

長く息を呑むようなカデンツァの最後に名指しされるのが、貴族の主題。犯人はこいつか、と思わせておいて、オーケストラがそれとなく第1楽章冒頭の男性テーマを導き出し、犯人探しは意外な方向へ。
ヴァイオリン・ソロが犯人の名前を読み上げると思った瞬間、音楽は最後のコーダに突入します。ここでも貴族の主題が何度も登場して犯人を思わせますが、最後の最後、ホルンとチェロのユニゾンがソロの華麗なパッセージを縫うようにラ・シ・ファ♯・ミを高らかに吹き上げて全曲を閉じます。
この4音こそ、実は冒頭の第1主題の最初の4音。仮にこれがエルガー自身のテーマだとすれば、犯人はやはりエルガーだったということになるでしょう。

以上は私が勝手に下した解釈で、人に押し付けるものじゃありません。でもこうして聴くと、こんなに長くも短いヴァイオリン協奏曲は他に無く、これ程に末永く楽しめるヴァイオリン協奏曲も無二でしょう。

今回ソロを弾いたホープは、ほぼ完璧にこの作品を音にして見せました。レコード録音も含め、もちろんバックも考量した上で、私が体験した最高のエルガー協奏曲と断言して憚りません。
1742年製のグァルネリ・デル・ジェス「ex-Lipinski」から深々として且つ繊細な音色を引き出し、楽譜をタブレット端末に呼び出して奏するホープの演奏スタイルもまた斬新。オーケストラの音色、広上淳一の何処までも深読みした指揮も合わせ、正に充足のエルガーを満喫しました。

この大曲にも拘わらずアンコール。日本語を交えた紹介に会場も大喜び、何と演奏されたのはヴェストホフというバロック期のヴァイオリニストにして作曲家の「鐘の模倣」というピースでした。
帰宅して調べたところによると、ドレスデン生まれのヨハン・パウル・フォン・ヴェストホフ Johann Paul von Westhoff (1656-1705)が作曲したヴァイオリン・ソナタ第3番二短調の第3楽章で、オリジナルは簡素なチェンバロ伴奏が付せられています。
この曲はナクソスのNMLで何種類もの演奏で聴くことが出来ますし、無料の楽譜サイト IMSLP で譜面を見たりダウンロードすることも可能。何ともハイテックな世の中になりました。

 

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