ヴィシー大賞典の一世紀
昨日はフランスのヴィシー競馬場でヴィシー大賞典 Grand Prix de Vichy (GⅢ、3歳上、2000メートル)が行われました。外電が伝えているのは何処も結果だけ。レース内容や関係者のコメントなどは全く報じられていないので、メリーウイロウ流に紹介するしかないようです。
で、私が個人的に集積しているデータによれば、ヴィシー大賞典は今年が丁度100回目の記念の年になるようです。レースそのものの創設は1908年、つまり107年前のことですが、第一次大戦中の1914年から1919年までと、第2次大戦中の1940年と1944年の合計8回は中止になっていますから、今年が100回目となる勘定です。
フランスのパターン・レース・システムは所謂中央場所が中心で、ヴィシーなどのローカル競馬でG戦に指定されているのは極く僅か。ヴィシー大賞典は1976年にGⅢに格上げされましたから、G戦としても区切りとなる40回目に当たっていました。
最近ではローカルを本拠にする調教師の活躍が目立つようになり、中央場所(ロンシャン、シャンティ、サン=クルーなど)のGⅠに勝つ馬も次々と現れ、ヴィシー大賞典も単なるローカル競馬の祭典ではありません。そもそも第1回の勝馬はロア・ヘロド Roi Herode で、競走馬としてはヴィシー大賞典が唯一の勲章ですが、種馬としてザ・テトラーク The Tetrarch を産んで歴史に名を残すことになりました。
また戦後間もない1947年には1945年のフランス・ダービー馬コアラズ Coaraze が5歳馬として制覇するなど、102頭(同着が2回あります)の勝馬の中には個性的な顔ぶれが揃っている地方のG戦ではあります。
さて昨日は soft と馬場が重く、1頭が取り消して6頭立てでした。6対5の1番人気にはフレディー・ヘッド厩舎のフリー・ポート・ラックス Free Port Lux が選ばれましたが、去年秋にプランス・ドランジュ賞(GⅢ)に勝った4歳馬で、前走はシンガポールに遠征して5着。
しかしフリー・ポート・ラックスは5着に敗退し、優勝は2番人気(17対5)のエリプティク Elliptique 、1馬身4分の1差で3番人気(42対10)のマンボミス Mambomiss が2着、同じく1馬身4分の1差で4番人気(66対10)のメドウ・クリーク Meadow Creek が3着。つまり本命馬が惨敗したことを除けば、あとは実力通り、人気通りの結果だったようですね。
勝ったエリプティクは2歳時にコンデ賞(GⅢ)に勝ったこともある4歳馬で、今期は2戦目にロンシャンの条件戦(2000メートル)に勝ち、前走ラ・クープ(GⅢ)は3着。2年振りのG戦勝利となります。管理するのはあのアンドレ・ファーブル師で、騎乗していたのはマドモワゼル・アメリー・フーロン Amelie Foulon とありますから、若い女性騎手でしょう。経歴など現時点では不明ですが、ヨーロッパのG戦を女性騎手が勝つのは極めて珍しい事例。彼女の写真を見たい方は、レーシング・ポストの電子版から探すことが出来ます。
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