第639回都響定期

昨日も東京都響の定期を聴いてきました。サントリーホール。曲目は次のものです。

間宮芳生/合唱のためのコンポジション第4番「子供の領分」
小倉朗/管弦楽のための舞踊組曲
~休憩~
バルトーク/2台のピアノと打楽器と管弦楽のための協奏曲
バルトーク/舞踊組曲
指揮/高関健
ピアノ/田部京子、小川典子
打楽器/安藤芳広、小林巨明
児童合唱/TOKYO FM児童合唱団、世田谷ジュニア合唱団
ソロ・コンサートマスター/矢部達哉

今日もプレトークがありましたが、今回は別宮・間宮両氏が登場しました。別宮氏は我々とは時間の進み具合が異なるようで、一人淡々と話されます。隣の間宮氏は時間が気になる様子。
長時間喋った後、別宮氏は間宮氏に“あなたも何か喋ったほうがよいんじゃない”という具合。間宮氏は呆れて、“あなたが振ってくれないから喋る暇が無い”と御尤もな応対。ということで、漫才のようでした。
間宮氏談の中で、小倉作品はピアノ2台用に書かれたもので、初演は間宮氏と林光氏が行った、というのは興味を惹きましたね。

先週同様、都響は好調で、どの作品も楽しく聴けました。私はメンバーの名前と顔が一致しませんので確かなことは言えませんが、首席格の奏者は前回とは入れ替わっているようでした。

マエストロ高関は、デビューした頃には随分ブッキラ棒だな、という印象がありましたが、最近は味が出てきましたね。相変わらず速目のテンポで直截な切り口なのですが、余裕というか、作品に対する見通しが良く利いている感じを強く持ちました。そつなくこなす、という以上に作品に深く喰い込んでいる印象。

「舞踊組曲」というタイトルの2曲はオーケストラだけの作品ですが、どちらも高関=都響の呼吸が合って、管弦楽のヴィルトゥオージティが快い演奏です。

バルトークの2台ピアノ協奏曲はあまり演奏されません。私は多分2度目の体験です。前回は読響によるテレビ番組収録のための公開録画コンサートでした。
実は、何の準備もなく出掛けてしまったのですが、読響の時とは随分趣きの異なる印象を受けました。ピアノの配置が違うのです。

今回は第1ピアノが田部さん、第2ピアノが小川さんで、二人は向き合って座ります。前回は2台ピアノを左右に並べ、奏者は客席に背中を向けて座っていたはずです。
スコアには楽器配置が書かれていて、それによると、バルトークのお薦め案は「背中見せ型」なのですね。読響はそれを忠実に守っていました。

今回は、恐らく並べ方について議論があったと想像するのですが、妖艶なる女性二人のソリストという点を考慮し、「対抗型」配置に落ち着いたのではないでしょうか。女性ですから、この場合は背中が大きく開いたドレスなどで演奏するのはチト具合が悪いでしょう。
この配置は打楽器にも影響していて、ピアノが2台、デンと置かれているために、1階席では奏者の様々なテクニックが全く見えないのですね。
ピアノにしても、蓋を取り払って演奏することになりますので、普通のピアノ協奏曲のようには音が抜けてこない、という問題もあります。

まぁ、そのような細々した事情もあって、この曲は滅多に取り上げられないのだと思います。
そういうハンディキャップがあったとは言え、演奏は素晴らしいものでした。いかにもバランスの難しい作品相手に大健闘だと思います。指揮者、ソリスト、オーケストラに拍手。

ところで今回のプログラムで一点気がついたことがあります。この協奏曲の初演はバルトーク夫妻のピアノとフリッツ・ライナーの指揮で行われた、と書かれていました。
ところがブージー社のスコアによると、協奏曲版の初演はルイス・ケントナーとイロナ・カボシュのピアノ、サー・エードリアン・ボールトの指揮により、1942年11月14日にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われた、と記されているのです。
初演年月日はどちらも同じ日ですので間違いはないと思いますが、演奏者はどちらが正しいのでしょうか。う~~ん。

しかし私がこの日一番面白く聴いたのは間宮作品でした。
「子供の領分」にはドビュッシーにも同名のピアノ曲があります。ドビュッシーは Children’s Corner ですが、こちらは Children’s Field。英語の題名のほうが判り易いですね。

これは作曲当時の東京で歌われていた「わらべうた」を素材にしたものですが、当時は私も子供だったわけで、とても懐かしい思いがしました。全く聞いたことがないものもありましたが、知っているものが随分ありました。
でぇぶぅ、でぇぶぅ、百貫でぇぶぅ、なんかは当時のイジメ・ソングです。あれを通り抜けてみんな友達になったものです。仲間になるための儀式のようなもの。

最後のお手玉唄も覚えています。お手玉は女の子の遊びで、学校の休み時間の定番でした。男の子は校庭でメチャぶつけなどに興じていましたが、女の子はお手玉。中には男勝りのお転婆もいて、それらは男子と一緒になって馬跳びに夢中になっていましたっけ。
自分は教室の隅でボーッとしていたことが多かったようで、そんなときに聞こえてきたのが、“イッシンセンソー、おさらい。ニイガタケンブツ、おさらい。”でした。

物凄く久し振りにこの「わらべうた」を聴いて思ったのは、あれは「維新戦争、新潟見物、おさらい。」なんだろうということ。とすればこの文句は明治初頭からずっと歌い継がれ、皆、意味も考えずに遊んでいたのでしょう。
今の子供たちはこの唄を歌いながらお手玉で遊ぶのでしょうか。間宮氏は後世に語り継ぐためにこの作品を書いたのではないと思いますが、結果的にはそうなっていますね。外国人はもちろん、若い人にも歌詞の意味が伝わらなくなっているかも知れません。

ところで、これは東京の「わらべうた」です。家内は名古屋出身なので、私ほどには知っている歌詞は少なかったようです。“名古屋ではどんな唄だったの”と聞いてみたら、いろいろ披露してくれましたが、ミャーとか二ゃーとかいう音がひっきりなしに聞こえてきて、抱腹絶倒。所変われば品変わる、もんです。
帰りの車の中で二人して盛り上がっていましたよ。

 

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