二期会公演「ばらの騎士」
梅雨が明けたとは言え、台風の接近もあってスッキリしない7月下旬の首都圏、29日の土曜日に上野の文化会館大ホールで行われた二期会公演の「ばらの騎士」を見てきました。いや、聴いてきましたというのが正しいでしょう。
何分にも登場人物が多く、スタッフも極めて多彩な方々が加わった公演。歌手たちの名前を挙げるだけでも大変で、あるいはタイプ・ミスがあるかも知れません。その辺りはご容赦を。
またキャストの殆ども触れることが出来ませんでしたが、例えば公演監督が多田羅迪夫氏であったり、言語指導に佐々木典子氏の名前があったりと、省略するのが憚られるほど。更には見事な仕事をされた証明のミミ・ジョーダン・シェリン氏の名前だけは記しておかねば、と色々悩ましい記録ではあります。
当日は二期会公演には珍しくプログラムが来客全員に配られましたから、どうか保存版として手元に長く置いておかれることをお勧めしておきましょう。
リヒャルト・シュトラウス/歌劇「ばらの騎士」
元帥夫人/林正子
オックス男爵/妻屋秀和
オクタヴィアン/小林由佳
ファーニナル/加賀清孝
ゾフィー/幸田浩子
マリアンネ/栄千賀
ヴァルツァッキ/大野光彦
アンニーナ/石井藍
警部/斉木健詞
元帥夫人家執事/吉田連
ファーニナル家執事/大川信之
公証人/畠山茂
料理屋の主人/竹内公一
テノール歌手/菅野敦
3人の孤児/大網かおり、松本真代、和田朝妃
帽子屋/藤井玲南
動物売り/芦澤佳通
元帥夫人の下僕/坂詰克洋、森田有生、岸本大、東嶋正彦
給仕/坂詰克洋、森田有生、岸本大、篠木純一、東嶋正彦
オックス男爵の庶子/石井一也、五十内成明、川ノ上聡、浜田和彦、保坂真悟、寺内一真
オックス男爵の子供たち/NHK東京児童合唱団
モハメッド/ランディ・ジャクソン(文学座)
レオポルト/光山恭平(文学座)
メイド、モデル/岡庭瞳、清水茜
クチュリエール/森彩乃
代理人、指揮者/神谷真士
フロイト/若泉亮
レオポルトの彼女/秋戸美奈子
動物売りの犬/新井きのこ
合唱/二期会合唱団
管弦楽/読売日本交響楽団
指揮/セバスティアン・ヴァイグレ
演出/リチャード・ジョーンズ
私が聴いたのは二つの組の前の組で、26日と29日の2公演行われた内の二日目に当たります。別の組は27日と30日の公演ですから、そちらで堪能された方も多いでしょう。感想は日によっても異なるのがオペラの常、ここは29日の感想としてお読みください。
さて本題に入りますが、前置きが長かったので、簡単に要点だけを列記しておきます。
先ず当公演はグラインドボーン音楽祭との提携公演で、グラインドボーン音楽祭製作の舞台が使用されました。恐らく指揮者も違うのでしょうが、現時点では確かめていません。
もちろん演出はジョーンズ氏のもので間違いないでしょうが、これが実に面白かった。舞台装置の色彩感覚も日本人の想像を超えるもので、真に新鮮な印象を残してくれたと思います。
歌手が多いのは作品の性格上当然なのですが、歌わない登場人物、つまり黙役にも様々な考察と配慮が施されていて、時には「?」が付くような場面があったのも事実です。
いくつか思い出すと、例えば第1幕、元帥夫人のモノローグの場面では不思議な老人が座っている。後でキャストを嘗め回して分かったことですが、どうやらこれはフロイトらしいのです。心理学と言うか哲学と言うか、ジョーンズ演出は作品の特性の一つをこのような形で客席に伝えているのでしょう。
他にもモハメッドの扱いが独特。この黙役は第1幕の最後で銀のバラを預かったり、全体の最後でハンカチを拾いに登場するのが通常の演出ですが、この演出では明らかに元帥夫人に恋い焦がれている人物、という設定。配役は外国人で、文学座に所属しているそうなので、それなりに意味を持たせているバイプレイヤーなのでしょう。
人物ではないものの、この舞台で特に目に付いたのが肖像画を多用すること。最初は何の気無しに見ていましたが、第1幕ではオペラには登場しない陸軍元帥ヴェルデンベルグ公爵の肖像画と、元帥夫人のそれとが並んで飾られています。
また第2幕でも、ソフィーの亡き母の肖像画と思しきものが壁に掛けられている。ゾフィーが“亡くなった母”という台詞を歌う時に肖像画に触れるので間違いないでしょう。
この他にも第1幕で本来の男性としてのオクタヴィアンの肖像画を見せたり、第3幕ではオックス男爵と息子レオポルトの顔を肖像画で確認する場面もある。
斯様に、音だけ聴いていては絶対に判らないような演出の面白さ、意外性を見て取れるのが観劇の真骨頂で、この辺りは演劇では一過言ある英国人が作った舞台であることを痛感した次第です。
これを更に強調していたのが、既に述べた照明の見事さ。第1幕で情事の後、カーテンを開けて朝の光が差し込む場面など、具体的な小道具を使わずとも劇的な効果を挙げていました。
各幕に使われる椅子、長椅子の扱いも極めて深い意味が隠されているようで、第1幕後半の長椅子では、元帥夫人とオクタヴィアンが両端に座して歌い、二人の間に生じた亀裂を象徴的に表しているのでしょう。
また第2幕は幕が上がる前から舞台の上手と下手に極端に離して二脚の椅子が置かれている。これはもちろんオックス男爵とゾフィーが絶対に相いれないことの象徴。
第3幕の長椅子が只の椅子からベッドに変わる仕掛けは爆笑もの。ここは妻屋男爵の名演が客席を沸かせていましたね。通常ならオクタヴィアンとの剣による決闘で腕を怪我することになっているオックス男爵ですが、ここでは銀のバラに尻を突かれ、それが長椅子に触れて更に苦痛を呼ぶという設定も秀逸。ここは存分に笑わせてくれました。
象徴と言えば第3幕、舞台が大きく三角形に区割りされ、三つのドアが設置されているのが、最後の元帥夫人・オクタヴィアン・ゾフィーの歌う三重唱への伏線であることは、このオペラを初めて見た人でも判るでしょう。
このドアは輻輳した多くの人物たちの出入りに効果的に使われますが、最終的には3人の世界こそがこのオペラの最大の見どころであることに集約されて行きます。
もちろん歌い手たちにも演出の意味が伝わる様に工夫されていることが多く、その好例がゾフィーでしょうか。
第2幕冒頭では機械仕掛けの人形のように余所余所しく歌い、花婿殿のお里が知れてくると突然自身の本性が噴出し、実に人間的、女性的な歌唱に変わっていく。
ま、仕掛けが多面に亘っているので、私が理解できたのはこの程度ですが、2度3度と見れば新しい発見がある、という印象を残してくれた「ばらの騎士」でした。
歌手たちは夫々に素晴らしく、特にオックス男爵の妻屋氏は歌唱も演技も圧巻。単に日本人歌手に止まらず、海外でも堂々と主張できるオックス男爵と呼んでも過言ではないでしょう。
相変わらず素晴らしい林元帥夫人、幸田ゾフィー、目と耳を瞠るような小林オクタヴィアンも忘れ難き印象を残してくれました。もちろん所謂脇役たちの充実ぶりも見落としてはいけません。
しかし最も雄弁にシュトラウスを聴かせてくれたのは、何と言ってもヴァイグレ指揮の読響。重厚でいながら色彩感に満ち、肝心な場面では決して歌い手たちに負担を掛けないヴァイグレのコントロールも見事。
「ばらの騎士」は久し振りに見、聴きましたが、改めて思うのがシュトラウスの音楽の素晴らしさ。最後の三重唱から恋人たちの二重唱に掛けて、どうしても目頭が熱くなってしまうのは、音楽の力以外の何物でもありますまい。
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