日本フィル・第674回東京定期演奏会
日本フィルの10月東京定期は、先週の横浜定期に続いてラザレフ首席登場。シリーズとして取り上げているショスタコーヴィチの交響曲がメインですが、ラザレフならではの捻った選曲で客席を唸らせました。それは、
≪ラザレフが刻むロシアの魂 Season Ⅲ ショスタコーヴィチ4≫
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「妖精の口づけ」
~休憩~
チャイコフスキー(タネーエフ編曲)/二重唱「ロメオとジュリエット」
ショスタコーヴィチ/交響曲第9番
指揮/アレクサンドル・ラザレフ
ソプラノ/黒澤麻美(ジュリエット)、原彩子(乳母)
テノール/大槻孝志(ロメオ)
コンサートマスター/木野雅之
フォアシュピーラー/千葉清加
ソロ・チェロ/辻本玲
一見するとロシア名曲集ではありますが、ショスタコーヴィチを別にすれば何でストラヴィンスキーとチャイコフスキーなの? 更にチャイコフスキーは有名な序曲じゃなく、二重唱なんてあったかしら。
ストラヴィンスキーは組曲(ディヴェルティメントの名前で時々演奏される)じゃなくて全曲バレエをやるの? という凝りよう。予備知識の無いままにコンサートを迎えるにはあまりにも勿体無いじゃありませんか。
ということで、最初の2曲は演奏の感想と言うより、作品の解剖を試みましょう。
先ずストラヴィンスキー。つい先頃アカデミアの店舗にも並ぶようになった新刊「ダニエルズ・オーケストラル・ミュージック」第5版によると、ストラヴィンスキーのバレエ「妖精の口づけ」には以下のような作品史があります。
①1928年 イダ・ルービンシュテインの委嘱を受けてバレエを作曲
②1934年 バレエ音楽を基に「ディヴェルティメント」を再編
③1949年 「ディヴェルティメント」を改訂
④1950年 バレエ全曲を改訂
現在一般的に取り上げられるのは③で、今回は④が演奏されたことになります。共にブージー・アンド・ホークス社から出版されていて、この日ラザレフが使用していたのもバレエ全曲改訂稿のブージー版。
私はディヴェルティメントを何度かナマで聴いたことがありましたが、全曲に接したのは初めて。もちろんCDは何種類か出ていて、私も古いアンセルメ盤とディジタル録音のネーメ・ヤルヴィ盤を予習して臨みました。記録に当たって見ると、1987年にマキシミウクが都響で演奏したことがあるようです。恐らくこれが日本初演だったのでしょう。
4つの場面から成るバレエはチャイコフスキーの想い出に捧げられたもので、余り知られていないチャイコフスキーの音楽からの引用が出てきます。折角ですから私が調べた範囲で分かったものを列記しておくと、
冒頭に2本のフルートが3オクターヴで奏する美しいテーマは、恐らくチャイコフスキーのピアノ曲・6つの小品 作品19-4「夜想曲」の引用でしょう。これは短い第4場にも出てきます。
幕が上がると、最初に登場するチェロのピチカートに乗って歌われるフルートのメロディー(練習番号4)は冒頭主題の発展形のようにも聴こえますが、これは明らかに歌曲集「16の子供のための歌」作品54から第10番の「嵐の中の子守歌」。これが第1場の中核を成します。
音楽が盛り上がり、アタッカで第2部に突入するとホルンに登場してくるのが、作品10「2つの小品」というピアノ曲集の第2曲「ユモレスク」。
やがて音楽は鄙びたワルツに移行しますが、このワルツはチャイコフスキーのピアノ曲集「6つの小品」作品51-4「ナタ=ワルツ Natha-valse」というもの。これはホルンの相当に難しいパッセージが引き継ぎます(今回は読響に移籍した日橋ソロが復帰して吹いていました。ブラヴォ~)。
第3部でも引用は続き、練習番号143からオーボエが吹くイタリア・バロック風のメロディーも実はチャイコフスキーの作品で、冒頭でも引用された作品19の小品集から第3番の「アルバムの綴り Feuille d’album」。
そして極め付けは第3部の最後、情景と題された練習番号207からの一節で、これは有名な歌曲集「6つの歌」作品6から第6曲の「ただ憧れを知る者だけが」。流石にこれだけは判った人がいたようで、私の知人も気が付きました。
私が確認できたのは以上ですが、多作家チャイコフスキーのこと、他にもありそうです。第3部の大きな構成要素である「パ・ド・ドゥ」はAからDまでの4部分に分かれていますが、この美しいメロディー群も怪しいですね。
ということで、初体験のバレエをラザレフの飽きさせない指揮で堪能。ストラヴィンスキーの影からチャイコフスキーを覗く楽しい一時となりました。
休憩を挟んで最初に演奏されたのが、そのチャイコフスキー未完の絶筆ともなった二重唱。聴けば直ぐに判りますが、誰でも知っている幻想序曲「ロメオとジュリエット」のメロディーをそのまま使った二重唱で、途中で二人の逢瀬を注意する乳母の歌も入ってきます。
ロメオとジュリエットは指揮者の横で歌いましたが、乳母役のソプラノはヴァイオリン群の後ろから呼びかける設定。
実際にオーケストレーションを完成したのは、チャイコフスキーの葬儀でその棺を担いだ一人でもあった弟子のタネーエフ。“チャイコフスキーよりいいじゃん”などと辛口の意見を述べた方もいましたが、チャイコフスキーの死後に作品を完成させてユルゲンソン社から出版されました。
その譜面はネットで見ることが出来ますし、これもネーメ・ヤルヴィが録音したシャンドス盤をネット配信で聴くことができます。
http://burrito.whatbox.ca:15263/imglnks/usimg/4/4c/IMSLP18725-PMLP44330-Tchaik_Romeo_duet_full.pdf
メインはラザレフのショスタコーヴィチ・シリーズ。今期は大曲が続いた全シーズンとは趣向を変えて比較的短めなシンフォニーが取り上げられます。
第9番は渡邉暁雄氏が得意にしていたもので、私も日フィルで少なくとも2回は聴いたことがあります。更に上野時代のN響でマタチッチが素晴らしい演奏を聴かせてくれた記憶があり、ショスタコーヴィチの交響曲では最も親しめると言えるでしょう。
今回はやや久し振りとなった第9体験でしたが、やはりラザレフは他とは一線を画す独特な世界。例えば第2楽章中間部の弱音器付き弦楽器の pp などはラザレフ・スペシャル。終楽章コーダのアレグロは単なるアレグロじゃなく、リニア新幹線並みの超高速で突っ走りました。
第9交響曲はベートーヴェン流の偉大な讃歌を期待していた共産党幹部を裏切ったとしてジダーノフ批判に繋がった作品ですが、本音を語らないショスタコーヴィチの隠語が隠されているような気がしてなりません。
どうしても勘ぐってしまうのは第4楽章。ここはトロンボーンとチューバの重々しい ff によるラルゴで開始され、これをファゴットの独奏がカデンツァで受けます。
私はいつも思うのですが、金管の威圧するパッセージは死刑宣告。これにファゴットが被告人の弁明で答える様子を。そう、リヒャルト・シュトラウスのティルの最後を連想してしまうのですよ。
更にファゴットの弁明。ここはファ→ド、と4度下降で始まりますね。もう一つの第9(もちろんベートーヴェン)は、第4楽章でファンファーレのあと低弦がラ→ミ、と5度上向で始まります。
これって単なる偶然じゃないでしょ。ショスタコーヴィチの物言わぬスターリンへの抵抗・皮肉と解釈しても罰は当たらないかも。そのファゴットの弁明が、そのままフィナーレの人を食ったようなおどけたテーマに流れ込む。“今のは冗談だよ”と、ペロリと舌を出すショスタコーヴィチ。
以前の様にマエストロ・サロンがあれば、マエストロ・ラザレフ自身の口からその見解が聞けたでしょうに・・・。
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