日本フィル・第677回東京定期演奏会
9月開始のシーズン制を採用している日本フィルの1月定期は、1915-1916シーズン前半の締め括りとなります。2月からは30年以上続いている九州ツアーを下野竜也と回り、後期シーズンは3月からというのが同オケの定着したスタイル。
その締め括りは桂冠名誉指揮者の小林研一郎。最近はそのレパートリーを特定の作品に絞っているマエストロですが、流石に東京定期は骨っぽいプログラムを並べてきました。以下のもの。
リムスキー=コルサコフ/交響組曲「シェエラザード」
~休憩~
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」
指揮/小林研一郎
コンサートマスター/木野雅之
フォアシュピーラー/千葉清加
ソロ・チェロ/菊地知也
コバケン人気は衰えることを知らないようで、二日間ある定期のうち土曜日は既に完売とのこと。当日券が若干残るだけという金曜日の演奏会を聴いてきました。
確かに客席はかなり埋まっていましたが、それでも定期会員が来るはずの場所に空席があるのは、熱烈なファンがいる一方でアンチ・コバケンも少なからず存在するからでしょう。その独特な演奏スタイルに拒否反応する人がいるのも事実です。
手渡されたプログラム、毎回小澤一雄氏のイラストが表紙を飾っていますが、今回は思わず笑ってしまいました。リムスキー=コルサコフとストラヴィンスキーの間に描かれたコバケンは、その特徴が見事に捉えられ、“そうそう、こういう格好だよネ”と思わず合点。
膝を適度に曲げ、拳った左手を口元に持って行ってオケに謳うことを要求する。その独特なポーズを見ているだけで「炎のコバケン」の音楽が聴こえてきそう。
小林研一郎は今70代の半ばと思いますが、ステージへは駆け足で登場するし、指揮する作品は全て暗譜。肉体的にも頭脳的にも全く年齢を感じさせませんが、あの集中力は、思うに膝の屈伸運動が効果を挙げているのじゃないでしょうか。それと時折耳に入ってくる唸り声。その音楽に好き嫌いが生ずるのは別にして、マエストロの健康管理と集中力には誰もが感服する筈です。
コバケン氏の独特な表現が最大限発揮されたのが、前半のシェエラザードでしょう。ゆったりと歩むテンポ。波のうねりを表す音型は如何にも大洋を漂うよう。
特に第3楽章がマエストロの真骨頂で、コッテリしたテーマの歌わせ方は、まるでブラームスのシンフォニーかと聴き間違うほど。一音一音に籠められた作品への思いは、聴く人によっては音楽の停滞としか感じられないかも知れません。
通常ならコンサートのメインに置かれるシェエラザードが前半でしたが、後半はリムスキー=コルサコフの弟子に当たるストラヴィンスキーの難曲。こういうブログミングが許されるのも、小林研一郎ならではのことかと思慮します。
シェエラザードは1888年の作品で、春の祭典はそれから僅か25年後の1913年が初演。2管編成のリムスキー=コルサコフに対し、ストラヴィンスキーは5管編成という大編成で、その違いにも驚かされますが、敢えてこの二人を並べたプログラムで改めてその師弟関係に気が付きました。
どちらも管弦楽の醍醐味を満喫できるオーケストレーションですが、リムスキー先生が通常の2管編成であれほど豪華絢爛たる音絵巻を創り上げたことに改めて舌を巻くプログラムじゃありませんか。
さて春の祭典と言えば、演奏後の短いスピーチでマエストロも触れていたように、世界初演の大スキャンダルが有名。それは1913年5月29日のパリでしたが、初演から100年を記念したBBCのラジオ番組で面白いエピソードを知ったので紹介しておきましょう。
普通の作品解説では、スキャンダルは初演当日だけのことで、その後の再演は大した騒ぎにもならなかったとされていますが、どうやらそれは違うようですね。
春の祭典は5月にパリで初演された後、6月にはロンドンで英国初演を迎えます。ところで、拙ブログを読まれた方はお分かりのように、小生の得意分野は英国競馬。ここで音楽と競馬の興味深い関係が登場してきます。
それは、こういうこと。
1913年、英国は婦人参政権を巡る騒動で沸いていました。折も折、6月4日に行われたダービーでは、過激な婦人参政権論者だったミス・エミリー・デイヴィソンが、レース中に国王が所有する馬の前に飛び出し、歴史に残る悲惨な落馬事故が起きてしまいます。
奇跡的に馬と騎手は無事だったのですが、デイヴィソン女史は4日後に死去。ロンドンの大通では、その追悼と政府への抗議を兼ねたデモ行進が続いたと記録されています。春の祭典の英国初演はその直後(正式な日付は調べが付きませんでした)で、バレエのテーマが事件と重なり、その初演は大変なスキャンダルになりました。
バレエでは若い女性が生贄になりますが、デイヴィソン女史はミスとは言えこの時41歳。パリのケースとは異なり、女性の犠牲死というテーマが現実と重なったことがスキャンダルの要因でした。
因みに、限定的ながら英国で女性参政権が認められたのはその5年後、1918年のことです。
ということで話は逸れましたが、私がマルケヴィッチの指揮する日本フィルで初めてナマ演奏で春の祭典を体験したのが1968年。世界初演から55年目に当たっていました。
今回の小林研一郎指揮のハルサイ(サークル)は、マルケヴィッチから48年、初演からは103年後のことになります。その間にオーケストラの演奏レヴェルは世界的にも飛躍的に向上し、私の耳も大音響に慣れ切ってしまったようです。
かつて春の祭典は、ギクシャク感が却って作品の斬新さと鮮烈さを現出していました。2016年に聴くハルサイは真に耳に快く響きましたが、指揮を含めて演奏技術の進化と取るべきか、耳の退化と見るべきか。
たった100年前のパリとロンドンでのスキャンダルと併せ、改めて歴史の機微に付いて考えざるを得ない演奏会でした。
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