第350回・鵠沼サロンコンサート

立春を迎えたばかり、春は名のみの寒さを衝いて鵠沼のサロンコンサートに出掛けました。何と今回が350回と言う記念の演奏会でもあります。
このサロンは原則として毎月火曜日の夜に開かれますが、1月と2月は日曜日のマチネー、午後3時からの開催。聞く所によると、“冬の夜は寒くてかなわん”という会員の声に応えてのことだとか。確かに昨日の夜は冷えましたからね。

真冬にも拘わらず出掛けたのは、機会あるごとに平井プロデューサーがカウンター・テナー、イェスティン・デイヴィスの素晴らしさを触れて回っていたから。氏の推薦に間違いナシ、今回は余り得意では無いルネサンス音楽をたっぷり楽しむことにしました。
この分野の知識はほぼ皆無ですから、取り上げられた作品について一つ一つ論ずる能力はありません。「ど」が付くほどの素人の感想として読み流して下さいませ。

さて噂のデイヴィス、率直な感想は、月並みな表現ながら歌声が「ビュアー」だということに尽きるでしょうか。余分なヴィブラートは全く無く、かと言ってノッペリした声では全然なく、何処までも届くようなパワーを宿している純声。
私がルネサンス音楽に関心を持っていたのは、未だ皆川達夫氏や柴田南雄氏が放送などで盛んに啓蒙していた頃。当時このジャンルのLPは日本ではほとんど販売されておらず、聴くには外盤を探すしかなかった時代でした。ですから両氏が放送で紹介してくれた音源で聴いた程度ですが、カウンター・テナーの世界では故アルフレッド・デラーの名唱でいくつかの作品を知ったものです。
従って、今回デイヴィスの歌声は、私にとってはほとんど処女地のようなもの。こんなインティメートな世界が未だ存在したとは、鵠沼サロンコンサートに感謝しなければならないでしょう。

プログラムによると、デイヴィスはケンブリッジ大学で考古学と人類学を専攻したという知識人の由。別で調べた所では、父はショスタコーヴィチの全曲盤で有名なフィィツウイリアム弦楽四重奏団のチェリスト、ヨーアン・デイヴィスとのこと。イェスティンは父からチェロではなく、ピアノとリコーダーの手ほどきを受けたというから驚きます。歌手としてブレイクする前にはオーボエ奏者だったことも。
要するに音楽界のサラブレッドとでも称すべき人で、彼が歌うシングリッシュ・マドリガルズが英国の教養人にとって真に心の慰めとなり、精神的な糧となっていることを、自分の耳で体験できたことになるのです。

一方、リュートを見事に弾いた若きダンフォードは、これまた父がフランス古楽界の大御所であるガンバ奏者のジョナサン・ダンフォード。確か母もガンバ奏者で、シルヴィア・アブラモヴィチさん。これまた音楽界のサラブレッドで、3人で共演したマレー作品集のCDが出ていたと記憶します。
今回彼が弾いたリュートは、ルネサンス絵画に描かれているような典型的なリュートではなく、竿の長い大型のタイプ。ネットなどで調べてみるとリュートには時代や音域などで様々な種類があって、古い時代のものは通常は4弦です。
しかしダンフォードが弾いていたのは14弦もある大型の楽器で、アーチリュートとかテオルボ、又はキタローネとも呼ばれる種類の楽器でしょう。弦の数が数えられるのは、奏者との距離が最短で2メートルの近さで聴ける鵠沼ならではのこと。これが少しでも大きいホールでは音量的にも厳しかったのではないかと想像します。これも鵠沼に感謝、ですね。上記マレー盤のブックレットでは、彼が弾いてるのは1994年製の復元楽器だそうですが、確かめたわけではありません。

ということで、今回は以下の順に演奏されました。既に名古屋の宗次ホール、武蔵野でもコンサートがありましたが、プログラムは全て同一だったようです。

ロバート・ジョンソン/あなたは見たか、晴れやかに咲く百合を? Have you seen the bright lily grow?
トーマス・キャンピオン/あんな女どもに用はない I care not for these ladies
ロバート・ジョンソン/安らぎをもたらす眠りよ Care-charming-sleep
ジョン・ダウランド/前奏曲、夢、ファンシー(リュート・ソロ)
ジョン・ダウランド/見よ、この奇跡を Behold a wonder here
ジョン・ダウランド/流れよ、水晶のような涙よ Go Crystal Tears
ジョン・ダウランド/デンマーク王のガリヤード(リュート・ソロ)
ジョン・ダウランド/私の過ちを許してくれるか Can she excuse my wrongs
ジョン・ダウランド/暗闇に住まわせておくれ In darkness let me dwell
     ~休憩~
ジョン・ダウランド/戻っておいで、甘い夢 Come again sweet love
ジョン・ダウランド/流れよ、わが涙 Flow My Tears
ジョン・ダウランド/ダウランドはつねに悲しむ(リュート・ソロ)
ジョン・ダニエル/悲しげな音の響き Can doelful notes
トーマス・キャンピオン/雨風にもまれた船ほど Never weather beaten sail
ジョン・ダウランド/ラクリメ(リュート・ソロ)
ジョン・ダウランド/悲しみよ、とどまれ Sorrow stay, lend true repentant tears
ジョン・ダウランド/今こそ別れの時 Now O now I needs must part (リュート独奏「蛙のガリヤード」と共に)
 カウンター・テナー/イェスティン・デイヴィス Iestyn Davies
 リュート/トーマス・ダンフォード Thomas Dunford

中心に置かれたのはダウランド(1563-1626)で、他に取り上げられたジョンソン(1583-1633)、キャンピオン(1567-1620)、ダニエル(1564-1626)も全てダウランドと同時代に同じイギリスで活躍していた作曲家たちの作品です。
通称エリザベス時代の音楽で、ヘンリー8世の娘が女王として即位、エリザベス女王と名乗ったがその時代。英国音楽はダンスタブルが活躍した時代から長い低迷期を迎えていましたが、このエリザベス時代に至って空前絶後の黄金時代を迎えたと言えるでしょう。タリス、バード、モーリー、ファーナビ―、ギボンズ等々の中にあって、ダウランドはその中心的存在でもありました。
またこの時代は音楽家たちに留まらず、シェークスピア、ベン・ジョンソン、ジョン・ダンなどの大詩人たちが優れた歌詞を大量に提供したことで、ルネサンス歌曲の黄金期を形成したのでした。文学と音楽の幸福な結婚を創出した偉大な時代の、膨大な遺産の一部を堪能できたマチネーでもありました。

ダウランド作品は多くが4巻に纏められた歌曲集 Book of Songs に含まれていますが、今回選ばれた歌曲は全てこれ等の曲集に収められています。
また多くが3声部で書かれており、出版された譜面は3方向から見るように書かれたもの。当時は円卓を囲んでアンサンブルが可能なように印刷されていました。(ペトルッチのサイトでダウンロードできます)
従ってデイヴィスは、ダンフォードと並んで椅子に座って歌いました。これは当時の歌手が円卓を囲んで「座って」歌ったことを再現したもので、鵠沼では特製の(堤御大自らドリルで穴を空けたという曰く付きの)チェロ台に椅子を置いてミニ舞台を設けるというレアな光景を見るという特典も。

上記の様に当時の歌曲は大詩人が作詞したものが多いのですが、後で私が調べた範囲では、ダウランド作品については全て作詞者不詳ということでした。
ただ、冒頭に歌われたジョンソンの「あなたは見たか、晴れやかに咲く百合を?」は、あのベン・ジョンソンが作詞したもので、もう一つの「安らぎをもたらす眠りよ」は、ジョン・フレッチャーとフランシス・ボーモン作詞の由。更にキャンピオンの「雨風にもまれた船ほど」はキャンピオン自作の詞、ということも。

当時もそうだったのでしょうか、前半のダウランドのリュート・ソロによるデンマーク王のガリヤード(舞曲の一つ)と「私の過ちを許してくれるか」は切れ目無く続けて演奏されましたし、後半の「今こそ別れの時」は蛙のガリヤードを間奏の様にして続けられたようでした。「ようでした」というのは、私にこの分野の知識が不足しているから。
演奏はどれも息を呑むような素晴らしさでしたが、やはり圧巻はダウランド。特に「見よ、この奇跡を」は詞の起承転結が見事に歌唱にも反映され、作品の構成としても聴く者を飽きさせません。
また、ダニエル作品には「半音階の歌は」という歌詞が出てきますが、ここは実際に音楽も半音階を上がったり下がったり。ダウランドの「悲しみよ、とどまれ」に出る「下へ、下へ、下へ、下へ」と繰り返される個所も、歌は下降音型を続けるという具合で、歌詞を見て聴けば一層楽しい時間が味わえました。

今回は昔懐かしい金澤正剛氏の対訳が付けられていましたが、これは正に永久保存版でしょう。

最後にアンコールに付いて。
「ありがとう」と日本語で挨拶されたデイヴィス、アンコール作品はもちろん英語で。それによればヘンデルのオラトリオ「サウル」から1曲歌うのですが、その前にリュート・ソロを置いてから、とのこと。
これが良くは聞きとれませんでしたが、どうやらダルツァという作曲家のカラータ Calata というリュート・ソロ曲だったようです。後で調べた所では、ダルツァとはヨアン・アンブロシオ・ダルツァ Joan Ambrocio Dalza という16世紀初頭に活躍したイタリアのリュート奏者のこと。その生涯は不詳で、主に当時のポピュラー・マーケットを活躍の舞台にしていた人のようです。
彼にはカラータという作品がいくつもあり、1508年にヴェニスで出版された42曲が残された作品の全てだそうな。アンコールで弾かれたカラータがどのカラータだったのかは知る由もありません。(これもペトルッチで閲覧可能)

一方ヘンデル作品は、サウルでは最も有名な第1幕のアリアで、タイトルは「おお主よ、あなたの慈しみは限りなく」 O Lord, whose mercies numberless とのこと。
更にこの日来られていたコアなファン氏によれば、本編の最後に歌われた「今こそ別れの時」の間にもエリック・クラプトンの「Tears in Heaven」という一品が挿入されていたのだそうです。これも後に調べた所では、1945年生まれのクラプトンが映画「ラッシュ」の主題歌として作曲したもので、クラプトンが息子の死を悼んで書いたピース。ダウランドの「今こそ別れの時」に忍びこませるには最適の作品で、当時も今も音楽にクラシックとポップスの境は無い、ということの暗示でもありましょうか。

なお、先日武蔵野で行われた演奏会がNHKによって収録され、3月のクラシック倶楽部で放送される予定の由。聴き逃した方も、ナマで体験された方も、二人の創り出すルネサンス・ワールドをお楽しみあれ。

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