サルビアホール 第56回クァルテット・シリーズ

サルビアのSQS、第17シーズンの最終回はロータス・クァルテットによる大作2曲というプログラムでした。彼等の師匠に当たるメロスQで結成時からチェロを務めたブック翁をセカンド・チェロに迎えたシューベルトの五重奏がメインです。

ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131
     ~休憩~
シューベルト/弦楽五重奏曲ハ長調D956
 ロータス・クァルテット
 ペーター・ブック Peter Buck (第2チェロ)

最初にデータ的な事柄から入ると、ロータスがサルビアに出演するのは2012年12月に続いて2回目。その時の感想ももちろんアップしているので、そちらもご覧ください。前回はベートーヴェンの番外へ長調と作品130、それにブラームスの2番というプログラムでした。
この日前半に演奏されたベートーヴェンの作品131は、意外なことにSQS初登場の作品ということになります(あくまでもシリーズの一環で開催されたコンサートでのことですが)。ベートーヴェン作品で未だ取り上げられていないのは、10番「ハープ」と12番の作品127だけになりました。

ほぼ2週間に亘って行われる今回のロータス日本ツアー、私は火曜日の鵠沼サロンに続く演奏会で、彼らが選択した作品のほぼ全てを体験できたことになります。
改めてメンバーを紹介することも無いでしょうが、4人は前回サルビアと同じ小林幸子、マティアス・ノインドルフ、山碕智子、斎藤千尋の面々。幸松氏によれば、ファーストは結成初期に2人目と代わり、セカンドは実に7代目とか。ヴィオラとチェロは結成時からのメンバーで、現在のセカンドは2005年から継続していますから、今回のチームでも10年を超えることになります。

それにしてもベートーヴェンの後期作品を前半、シューベルト最後の室内楽作品が後半と言うプログラムは前代未聞じゃないでしょうか。鵠沼でもベートーヴェンのラズモとシューベルト最後のクァルテットという重~いプログラムで度肝を抜きましたが、鶴見はそれをも凌ぐ重厚さ。開いた口が塞がりません。
しかもその2曲、ロータスは最初の一音から最後の和音まで極度に高い集中力と高い技術を以て弾き切り、退屈さは勿論、些かの長さをも感じさせない名演を繰り広げたのでした。

それ以上付け加えることも無い感動的な演奏でしたが、特にベートーヴェンで今回感じたことは、晩年のベートーヴェンが意識していたのはバッハではなかったか、と言うこと。
冒頭アダージョの sf を強調したフーガは、時にマタイ受難曲を思い出させるほどに求道的な精神に貫かれていました。緊張度がありながら無駄な力が抜け、一気に演奏される7楽章は天衣無縫、ベートーヴェンが到達した無我の境地とでも言いたくなるような自由で斬新な空間が広がります。

一方のシューベルト。鵠沼の15番ではシューベルトの独特な形式感に想いを馳せましたが、五重奏はそれを更に上回るもの。第2楽章の天国(持続音と魂の鼓動の様なピチカート)と地獄(3連音符とシンコペーションの嵐)を同時に体験するような宇宙的な響き。第3楽章のトリオで4拍子のアンダンテ・ソステヌートが使われるという奇想天外な発想。
ベートーヴェンとシューベルトが共に晩年を過ごした1820年代とは、恐らく人間の精神性が最も高貴な高みに達していた時代だったのではないでしょうか。黄金の20年代であり、西洋文明の頂点。この2曲は現在でもなお斬新であり、将来もそうあり続けると確信します。

一つ細かい点に拘泥すると、シューベルトの第1楽章繰り返しは指定通り実行しましたが、提示部最後の fz による和音(ト長調)だけは、繰り返し時には省略されました。まるで提示部は1番カッコと2番カッコがあるような扱いでしたが、2種類の版が存在するのでしょうか(手元のスコアはブライトコプフの旧シューベルト全集からの抜き刷り)。
因みに、今やナクソスのNMLでも鑑賞可能になったメロスQとロストロポーヴィチの共演盤(DG)でも同じ処置になっています。一方新しい世代、例えばクスQとペレーニの録音では旧全集版の通り、fz 和音も含めて繰り返されていました。
今回はメロスの重鎮ブック氏が加わり、しかもメロスの後継団体と自他ともに認められているロータス、言わば「メロス版」による演奏だったのは当然でしょう。同じコンビで録音されているCD(ライヴ・ノーツ盤)を買ってサイン会に並び、メンバーに質問しようかとも考えましたが、それは不適切でしょう。自分の胸の中に潜めておくことにしました。

もう一つだけ。先日都内某所・某オケでアッテルベリの「ドル交響曲」を聴く機会がありましたが(ブログの記事にはしませんでした)、フィナーレ楽章の第2主題として登場するのが、このシューベルト五重奏の第4楽章で第2主題に相当するメロディー。
同じ旋律が全く異なった衣裳で登場してくる事に驚くと共に、時代と国が変わればかくも扱いが変化することを改めて興味深く聴いたものではありました。

繰り返しになりますが、恐らく世界的に見ても最高水準のアクースティックを誇るサルビアホール。奏者の息遣いが直接に伝わる環境にシューベルトの最後の和音が響き、余韻が消えてなお数秒待って客席からの拍手がジワッと起こります。そのタイミングの絶妙なこと。
サルビアに集う聴き手は、ホールと同様に極めてレヴェルが高く、コアなファンたち。何を聴き、何処をどのように称賛することを弁えた耳たちというしかありません。熱心な聴き手を育てたことも、サルビアホールの功績と評すべきでしょう。
一つだけ苦情を言えば、このホールで室内楽を聴いた後は、どんな高名なホールで聴いても不満が残ることでしょうか。

以上で第17シーズンを満了した鶴見のSQS、次回第18シーズンからはサルビアホール開館5周年に入ります。それを記念して弦楽四重奏フェストが第1弾から第4弾(現時点では)まで発表されていますが、何と言っても最大の話題はパシフィカQによるショスタコーヴィチ・プロジェクト。
ヴィグモア・ホールなどでも絶賛を博したパシフィカのショスタコーヴィチ全曲が聴けるのはサルビアだけ。その点から言っても鶴見は、都内の有数なホールを既に凌駕してしまったと言えそうです。

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