読売日響・第556回定期演奏会

読響シーズン最後の定期はドイツのヴェテラン指揮者、ツァグロゼクの読響初登場です。もちろん初来日ではなく、これまでN響も振ったことがあるそうですし、オペラを率いて来日したこともある由。
私はN響も海外オペラの引っ越し公演も縁が無いので、今回が初めてのナマ体験でした。プログラムはナポレオン繋がりの以下のもの、中々捻った選曲ですね。月刊オーケストラにも小宮正安氏の「ナポレオンと音楽」というエッセイが記載され、コンサートをサポート。

ベンジャミン/ダンス・フィギュアズ(日本初演)
コダーイ/組曲「ハーリ・ヤーノシュ」
     ~休憩~
ベートーヴェン/交響曲第3番
 指揮/ローター・ツァグロゼク
 コンサートマスター/ダニエル・ゲーデ
 フォアシュピーラー/伝田正秀

ツァグロゼクは初めてですが、以前に読響聴き所というコーナーを勝手に作っていたことがあり、その時に確かシュレーカー作品を紹介するに当たって「退廃音楽シリーズ」の1枚を買って試聴したことがありました。手元にあるCDはこれだけ。
またシュトゥットガルト歌劇場による指輪シリーズをNMLで一部摘み食いしたこともありますが、これは4夜全て演出家を変えるという試みで、CDのみならず映像ソフトも販売されていたと記憶します。
ということで私の中でツァグロゼクは専らオペラと20世紀作品の指揮者と言う認識。実際、今回のプログラム誌に掲載されたプロフィールでもその通りに紹介されていました。

ところが今回の2種類のプログラムはベートーヴェンとブラームスの交響曲がメインで、オペラが無いのは当然としても、現代音楽は定期の1曲だけ。ツァグロゼクの本領を聴くには些か物足りないのでは、と危惧しながら出掛けました。
それでも定期を聴いてみると、かなり個性的な指揮者。今回の3曲でも夫々に特色ある表現を味わうことが出来たと思います。
初めてなので全体的な印象を記すと、先ず11月生まれなので今年73歳でしょうか。それにしては動きは機敏で、何よりスマートな体型に驚いてしまいました。メタボな印象は皆無、どうすればあのようなスリムな躰を維持できるのでしょう。

指揮棒を使いますが、振り方は地味ながらも的確。棒もキビキビして曖昧な所が無く、左手も表情豊か。これならオーケストラも見易く、現代作品を得意にしていることが良く理解できます。
ベートーヴェンだけは暗譜で振りましたから、古典派やロマン派の名曲もしっかりレパートリーに組み込まれているのでしょう。

さて演奏の印象。今回は①現代音楽(同時代の音楽)、②近代の有名作品、③古典派の交響曲という三つの異なるジャンルで三様のアプローチを繰り広げた、と聴きました。
冒頭の①、ベンジャミンは1960年に亡くなったオーストラリアのアーサー・ベンジャミンではなく、1960年に生まれた英国のジョージ・ベンジャミン George Benjamin の方。9歳で作曲したという天才型ですが、我が藤倉大の師匠筋だと言えばより親しみが沸くかも。
今回が日本初演というダンス・フィギュアズは短い9楽章から成る作品で、第1曲から第6曲までがアタッカで続けられ、第7曲から第9曲までも休みなし。つまり大雑把に言えば2部分から構成される15分ほどの作品で、直近の演奏も3年前にイタリアでツァグロゼクが振ったコンサートでした。過去には大野和士も取り上げています。

ベンジャミン作品の出版社はフェイバー・ミュージックですから、この作品もフェイバー・スコア・ライブラリーで閲覧することが出来ます。↓

http://scorelibrary.fabermusic.com/Dance-Figures-22263.aspx

またナクソスのNMLではナッセン指揮の音源が配信されていますから、譜面を見ながら音を聴くこともできます。以前の予習では譜面を海外から取り寄せ、CDも輸入ショップで探さねばならず、お金も時間も掛かりました。その割には効果が余り感じられなかったのも事実ですよね。
最近は便利になったもので、敢えて追加の出費も無く、一夜漬けの予習も可能。私もその手で二度ほど聴いてから演奏会に臨みましたが、言うまでも無くナマ演奏の方が圧倒的に面白く聴けました。特に第9曲の音色の面白さは格別で、ツァグロゼクの面目躍如と言った所。

続くコダーイはオーケストラ曲の定番ですが、ベートーヴェンのエロイカと組み合わせるのは私にとっては初めてのことだと思います。
しかし演奏会で良く顔を合わせる知人によると、この曲をナマで聴くのは初めてとのこと。かつては定期演奏会の常連だったこの作品も、昨今の大曲主義の犠牲になった一品であると改めて気付かされた次第。金管のファンファーレが菓子メーカーのCMに使われていたのも過去の話になってしまいました。

この傑作、第2曲の「ウィーンの音楽時計」では弦楽器は完全なお休みですし、第4曲「戦争とナポレオンの敗北」ではフルート3人が全員ピッコロに持ち替えるという「見所」も出てきます。CDで音だけ鑑賞していては判らない場面もあり、音楽はナマ演奏に限るという一例でもありましょう。
ツァグロゼクのアプローチは極めて丁寧、かつ細部までスコアを読み取った表現で、単なる譜面再現者の演奏ではありません。遅目のテンポでじっくりと濃密に歌われたクシャミの楽章。普段なら主旋律に埋もれてしまう和音の支えパートに光を当てるなど、ツァグロゼク只者ならず、という印象でした。
この演奏、往年の個性派コンスタンティン・シルヴェストリを思い出したのは私だけでしょうか。

最後は一転してベートーヴェン。舞台からは多くの楽員が仕事を終えて退出し、ベートーヴェンの指定通り2管編成にホルンのアシスタントが一人。弦も14型のスッキリした配置が並びます。ティンパニも昔風の一セット。
ツァグロゼクのアプローチは原典主義に、時折古楽器奏法を交えたもの。繰り返しは全て実行し、巨匠風のスコア改竄は一切無し。当然ながらテンポは速目に成らざるを得ません。
一言で言えば先日亡くなったアーノンクールの手法を現代楽器の読響に適用したもので、アーノンクール追悼の意味もあったのでしょうか。

音楽は斬新、刺激的でピュアな響きを追及していましたが、第3楽章まで差し掛かると些か肩が凝り、気分も窮屈になってきてしまいます。ベートーヴェンの時代はこのように響いたという理想形で、最初に取り組んだアーノンクールは偉かったと思いますが、今となっては二匹目の泥鰌の感も。
要は好みの問題でしょうが、私は感心はしても納得せず、という立場です。

以上、もしツァグロゼクが再び読響の指揮台に立つとすれば、私が聴きたい順番は①現代作品>②近代名曲>③古典作品 の順になりますネ。

ところで今回、3年間読響のコンマスを務めてきたダニエル・ゲーデ氏が契約満了により退団となりました。実はゲーデのコンマス、私はほとんど接したことがありません。
当ブログでは判る範囲内でコンマスとフォアシュピーラーの名前を紹介してきましたが、ブログ内で検索してもゲーデが定期でコンマスを務めたのは3年間でカンブルランが指揮したマーラー第6の回と今回だけ。もちろん名曲シリーズなどでは度々登場していたのでしょうが、私には余り印象に残るコンマスではありませんでした。
それでも読響会員の皆さんは暖かいもので、カーテンコール終了後もゲーデ氏に拍手が贈られていました。楽屋裏のことは知りませんが、舞台上では各オケでも恒例となっている花束贈呈などのセレモニーは無かったようです。

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