神奈川県民ホール「さまよえるオランダ人」
3連休の中日、前日に続いて横浜に出向きました。今年になって3本目のオペラ鑑賞となる「さまよえるオランダ人」、神奈川県民ホールが毎年春に続けているオペラ・シリーズ2016です。
びわ湖ホールと神奈川県民ホールが東京二期会と共に共同制作しているオペラ・シリーズは平成19年にスタートし、今年が9年目。共にウォーターフロントに位置する劇場での公演、神奈川県民ホール公演は2011年に大震災のため中止されましたが、毎年日本オペラ界に大きな話題を提供してきました。
去年からは大分の iichiko 総合文化センターも加わり、国内3か所で同じ舞台が味わえます。東京都心部では見られない、という所が面白いところでしょう。
この企画、私も最初の2年は「バラの騎士」(ホモキ演出)と「トゥーランドット」(粟國演出)を楽しみましたが、その後何故か足が遠のいていました。別にオペラが嫌いになったわけではなく、時間と資金の運が私に微笑まなかったからでしょう。
沼尻が引き継いだびわ湖オペラにしても、最初の「こびと」と「サロメ」は大津に遠征したものです。
空白だった期間の演目、指揮者と演出家だけでも記録しておくと、
2010年 プッチーニ「ラ・ボエーム」 沼尻竜典 アンドレアス・ホモキ
2011年 ヴェルディ「アイーダ」 沼尻竜典 粟國淳
2012年 ワーグナー「タンホイザー」 沼尻竜典 ミヒャエル・ハンぺ
2013年 ヴェルディ「椿姫」 沼尻竜典 アルフォンゾ・アントニオッツィ
2014年 ワーグナー「ワルキューレ」 沼尻竜典 ジョエル・ローウェルス
2015年 ヴェルディ「オテロ」 沼尻竜典 粟國淳
となります。そして今年は、
ワーグナー/歌劇「さまよえるオランダ人」
オランダ人/青山貴
ダーラント/妻屋秀和
ゼンタ/橋爪ゆか
エリック/福井敬
マリー/小山由美
舵手/清水徹太郎
合唱/二期会合唱団、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部(合唱指揮/三澤洋史)
管弦楽/神奈川フィルハーモニー管弦楽団(ゲスト・コンサートマスター/鈴木裕子)
指揮/沼尻竜典
演出/ミヒャエル・ハンぺ
装置・衣裳/ヘニング・フォン・ギールケ
今回は19日と20日の2公演でしたが、私が観たのは2日目のキャスト。びわ湖公演は既に終わっており、残るは大分公演(指揮は大勝秀也に替ります)だけとなりました。未だ躊躇っている九州の皆さん、これは見逃したら損しますよ。
オランダ人には3つの幕を区切って上演する版と、一気に3幕を通して公演する版の二通りがありますが、今回は3幕ぶっ通し版。開演前にトイレに行っておくことを忘れないように。
第1幕はノルウェー船、第2幕がダーラント家の広間、第3幕が再び海岸と場面が転換するので、通し公演では舞台転換をどのように克服するかが問題。この点でハンぺ演出によるチームは見事な解決策を見出したと言えるでしょう。
現在はワーグナーのメッカであるバイロイトでも台本通りの演出は行われず、場面は抽象的に設定されるのが常識。先日テレビで見た去年のトリスタンでも所謂読み替えが目立ち、その演出には大いに疑問を感じていました。
そして今回のハンぺ演出、ギールケの装置も相俟って、ワーグナーが台本に書いた舞台をかなり忠実に再現してくれます。もちろん映像や恐らくCGテクニックを駆使しているのでしょう、迫りくるオランダ船がリアルに再現され、目は幕開きから舞台に釘付けになってしまいました。
冒頭はノルウェー船の舳先が舞台。“帆は赤く、マストは黒い”オランダ船が遠くに出現し、一気に近付いてノルウェー船に激突して水しぶきが上がり、タムタムの一撃が轟く場面の目覚ましい効果は特筆もの。
映像と照明を巧みに組み合わせた舞台ですから、舞台転換もスムーズ。いつの間にかオランダ船は姿を消し、ダーラント家の広間が瞬時に出現します。人力による装置の移動は一切無く、ノイズも出ないし時間的にも経費の面でも最大限の効果が期待できるでしょう。
この第2幕、例えば「エリックの夢語り」の場面では広間は消えて岸壁に一変。更に「オランダ人とゼンタの二重唱」も満天の星空の元で歌われるという具合。恐らくワーグナーが想定しても実現不可能だった場面もリアリスティックに再現されていきます。
第3幕冒頭の合唱。水夫たちの合唱にオランダ船のゾンビたちが割り込む辺りは、眼前に広がるオランダ船が大揺れに揺れ、客席に座っている我々も船酔いを起こしたのではと勘違いするほど。実際にオドロオドロしいゾンビが多数登場して歌う二重合唱が、これほどスリリングに演じられる公演は初めて見ました。
一連の映像技術に圧倒されましたが、ハンぺの演出も良く考え込まれたもの。それを代表するのが、普通は端役でしかない舵手の扱いでしょう。
嵐を避けて入港したノルウェー船、ダーラントが休む間に舵手がバラードを歌って眠り込むまでは普通の演出と変わりません。ところがオランダ人が登場し、ダーラントに起こされた舵手が異変に驚く辺りからこの演出の本領が発揮されます。
舞台中央に眠りこけた舵手、本物?のテノールが起き上がっても、「もう一人」の舵手は横たわって眠ったまま。その入れ替わりの巧みだったこと、暫くは気が付かなかったほどです。彼はそのまま最後のシーンまで眠り続け、時折うなされた様な動きを見せるのでした。
この舵手は何を意味するのか? 実はもう一人の舵手、最後にゼンタの犠牲死によってオランダ人が救済された後、漸く夢から覚めたように立ち上がり、村人たちの祝福を受けるという演出。
オランダ人の伝説そのものが夢だった、という解釈もあるだろうし、実はこの舵手こそ悪魔の呪いによって7つの海を永遠にさまよう宿命を負わされたオランダ人そのものだったという解釈も成り立つのではないでしょうか。いや、あの舵手こそワーグナーその人だ、という深読みし過ぎの解釈も・・・。
もう1点挙げれば、第2幕で歌われるオランダ人とゼンタの二重唱。舞台上手のオランダ人と下手のゼンタの間には相当な距離があり、二人は近付くことも無く、一歩も動かずに歌い切ります。常に愛がテーマのイタリア歌劇では有り得ない動きでしょう。
この距離こそ、オランダ人というオペラの核心でもありましょうか。
思えばオペラはイタリアで誕生したもの。モーツァルトがドイツ語でジングシュピールを書いた辺りから「ドイツ・オペラ」という意識が芽生え、ベートーヴェン、ウェーバーと時代を下って徐々にドイツ語オペラも盛んに創作されるようになってきました。
しかしフィデリオにしても魔弾の射手にしても、根本的なスタイルはイタリア歌劇の応用編。ワーグナーにしても初期の恋愛禁制やリエンツィではその域を出ませんでした。恋愛禁制の序曲を聴いてごらんなさい。
そこに登場したのがオランダ人。このオペラこそ真の意味でドイツ・オペラと呼べるもので、オランダ人とゼンタの関係もドイツ的。プログラムの解説(東条碩夫氏)では第3幕冒頭の踊りを「ワーグナーがこれほど陽気でリズミカルな音楽を書いたのはめずらしい」と書かれていましたが、私はこの意見には反対です。
一拍目に強烈なアクセントを置き、これに合わせて脚を踏み鳴らして歌う音楽こそ正にドイツ的であり、ワーグナーそのもの。陽気でリズミカルとはほど遠く、この極めて武骨な響きこそ、イタリア・オペラに離縁状を突き付けた瞬間ではないでしょうか。
私が聴いた組のキャストは、夫々各方面で活躍中の今が旬の歌手たち。超低音に苦しみながらも克服した青山オランダ人、貫録十分の妻屋ダーラント、ジークリンデでブレイクした橋爪ゼンタには盛大な歓声が浴びせられていましたし、福井エリックとマリー小山の両ヴェテランも大健闘。
そして、当シリーズを最初から牽引してきた沼尻竜典の見事な指揮にも盛大なブラヴォ~が。毎年ピットに入る神奈川フィル、オペラ経験が更にステップアップの梃子になるのは間違いなく、今後最も注目しなければならないオーケストラでしょう。
舵手を歌った清水が、もう一人の黙役舵手とカーテンコールでガッチリ握手していたのは、この演出を象徴するよう。
一言で表せば、「海洋スペクタクル」を見せてくれたハンぺ演出と、映像の勝利と言える公演でした。
来年から始まるハンぺ/沼尻のニーベルングの指輪。神奈川で実現するのかは未定ですが、「神々の黄昏」の幕が下りるのが2020年の予定。オランダ人を序章として、指輪にも大いに期待が高まります。
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