沼尻/ホモキによる名舞台、「薔薇の騎士」
これは大当たりです。びわ湖ホールと神奈川県民ホールの共同制作、ベルリン・コーミッシェ・オパーのプロダクションによるリヒャルト・シュトラウスの歌劇「薔薇の騎士」。たった今横浜の舞台を堪能して帰ってきたところです。
明日(3月23日)も別キャストによる公演がありますが、書いてしまいましょう。
とにかく感動しました。シュトラウスのオペラ、ほとんど日本人だけの手でこれだけの公演が出来るのは夢のようですね。私が見た最高の「薔薇の騎士」と言って憚りませんよ。
主なキャストと演奏は、
元帥夫人/佐々木典子
オックス男爵/佐藤泰弘
オクタヴィアン/林美智子
ゾフィー/澤畑恵美
ファーニナル/加賀清孝
マリアンネ/渡辺美佐子
ヴァルツァッキ/高橋淳
アンニーナ/与田朝子
警部/黒木純
テノール歌手/上原正敏
その他は省略します。ごめんなさい。
合唱/びわ湖ホール声楽アンサンブル、二期会合唱団
管弦楽/神奈川フィルハーモニー管弦楽団(ゲスト・コンサートマスター/鈴木裕子)
指揮/沼尻竜典
演出/アンドレアス・ホモキ
その他も省略です。すいません。
とにかく脱ぐオペラですね。主役の三人、ゾフィー、オクタヴィアン、元帥夫人の3人。次々に脱ぎます。と言ってもハダカになるわけではなく、夫々の衣装を脱ぎ捨てるのです。
ゾフィーは第2幕の終わりに着ている衣装を、オクタヴィアンは風紀警察の尋問により上着を、そして元帥夫人は幕切れ、自らの重々しい貴族の衣装を。
そこでスケベ根性を出してはいけませんよ、あなた。これはもちろん意味があるのです。脱ぎ捨てるのは衣装ですが、実は「古き良き時代の因習」。
ホモキの意図する演出は実に解りやすく、普遍性がある。そして大切なのは、シュトラウスが書いた音楽と、ホフマンスタールの言わんとした意図そのものに即したものであること。私はそのように見、納得したのです。
このプロダクションには二つの柱があると思いました。まず主役が元帥夫人に置かれていること。もちろんオペラとしての主役はオクタヴィアン。それは変更されていませんが、ドラマとしての主役。それは元帥夫人です。これは全体の幕切れで明確にされます。
これと密接に関連があるのが、第二の柱。「時の流れ」を描いていること。
プログラムにホモキ自身による「演出の構想についての対話」が載っています。ベルリンのプログラムからの転載ですが、ここで語られていること。行かれた方は、このテクストをじっくり読んで下さい。
ホモキは「薔薇の騎士」を “ロココ時代から始め”、“時代の層の積み重なりを明瞭に” し、主役たちを “時代の転換期の比喩的代表者として、現代に至るまでの時間旅行のような形で描いて” いるのです。
あまり詳しい内容を書くスペースも能力もありませんのでここまでに。
歌手は主役級はもちろん、隅々まで立派に歌い、演じてくれました。何より讃えなければならないのは、指揮者・沼尻竜典。沼尻、やるなぁ~。
神奈川フィル、最初はシックリ行かない部分もあったように感じられましたが、徐々に調子を上げ、素晴らしいシュトラウス・サウンドを響かせました。
ただし県民ホール、本格的なオペラハウスではないという制約のせいか、オーケストラが響き過ぎの傾向があり、歌手の声が消され気味。ここは文化会館や日生劇場と比べてピットが広い為か、ハープは2台ありましたし、コントラバスも3プルト、6本が据えられていました。もしかするとオーケストラの大きさが原因かも知れません。
しかし、その不満は最初の内。こちらが慣れてきたのか、指揮者とオケ側で上手く調整したのか、いつの間にかオペラに集中していました。いやむしろ、オーケストラが明瞭に聴こえてくる分、シュトラウスの音楽の緻密さが手に取るように聴こえてきたのが大収穫。改めてシュトラウス音楽の素晴らしさに酔い、最後は思いっきり泣いてきました。
沼尻のシュトラウス、これからは一つも聴き逃せませんな。
う~ん、もっと書きたいことが山ほどあるけれど、書けん。私の能力では。
とにかく素晴らしい舞台だった。来年の「トゥーランドット」も楽しみ。びわ湖が存続していれば、だけれど・・・。
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