2016桜花賞馬のプロフィール

今年もクラシック馬の血統を紹介して行く季節がやってきました。当初は英国のクラシック馬から始めたシリーズでしたが、アイルランド、フランスと欲を出し、今では日本の5大クラシックの勝馬も対象にしています。
今年の第一弾は4月10日に行われた桜花賞。その牝系を時代を遡りながら考察していますが、今回は逆に、世代を下りながら見て行くことにしました。

ということで桜花賞をハナ差という際どい勝負で制したジュエラー、英語表記では「Jeweler」となりますから「宝石商」とでも言う意味でしょうか。そのダイヤモンドの様な牝系を探っていきましょう。
ジュエラーは父ヴィクトワールピサ、母バルドウィナ Baldwina 、母の父ピストレ・ブルー Pistolet Blue という血統。ファミリー・ナンバーは1-n、シェランドリー Chelandry を基礎牝馬とする牝系です。

1号族ということで判るように、ブルース・ロウがサラブレッドの牝系を分類した時に最も優れた馬を数多く輩出してきたのがこのファミリー。その後ボビンスキーがファミリー・テーブルに纏めた際には「1-w」にまで分岐され、現在では更に「1-x」にまで広げられているようです。
ジュエラーが属する1-nというファミリーは、第5代ローズベリー伯爵 Earl が生産し所有していたシェランドリーを基礎として独立させた牝系。シェランドリーは1894年生まれ、自身が優れた競走馬で、英国の桜花賞に相当する1000ギニーに勝ち、オークスとセントレジャーでも2着となったレッキとしたクラシック馬でもありました。
もう少し詳しく現役時代の成績を見て行くと、2歳時には既に頭角を現し、ウッドコート・ステークス、グレート・サリー・フォール・プレート、ナショナル・ブリーダーズ・プロデュース・ステークス、インペリアル・プロデュース・ステークスと、当時の重賞競走を総なめ。3歳時には上記の様にクラシックで優勝し2着も2回とトップクラスを維持しました。4歳も現役に留まりましたが未勝利に終わり、ローズベリー伯の元で繁殖生活に入ります。

現役時代も然ることながら、シェランドリーが優れていたのは母としての成績。1900年から1915年までの16年間、1年の空胎も無く子供を出し続けたのでした。内訳は牡馬が6頭、牝馬が10頭。特に10頭の娘たちは夫々が繁殖牝馬として成功し、全てが今日のGⅠ戦に相当するレースの勝馬の祖先となるという驚異的な繁殖成績を残してきました。もちろんジュエラーもその1頭。
シェランドリーの牡馬6頭の中では、1904年生まれのトラケアー Traquair に先ず注目。この牡馬はウッドコート・ステークス、コヴェントリー・ステークス、ジュライ・ステークス、ナショナル・ブリーダーズ・プロデュース・ステークスと今日まで続いている2歳の大レースをいくつも制し、オーストラリアに輸出されて現地の種牡馬として成功します。
続いては1907年生まれのネイル・ゴウ Neil Gow 。2000ギニー、エクリプス・ステークスなど10戦7勝し、英国で種牡馬。マッチェム系を代表するサイアー・ラインを形成しました。

そして10頭の娘たちを紹介しましょう。全てを詳論するスペースは無いので、生年順に主な特質を箇条書きして行きます。
①1900年 スカイスクレイパー Skyscraper シェランドリーの初産駒でチーヴリー・パーク・ステークス勝馬。母として大ファミリーを成し、名馬は数知れず。中でも二冠馬ネヴァー・セイ・ダイ Never Say Die は日本でも有名。
②1901年 シェリス Chelys 豪州で繁殖生活に入り、オーストラリア各地のダービー馬を複数輩出
③1902年 サムファイア Samphire 英国は勿論、アメリカにも繁栄の輪を広げ、ダービー馬オーシャン・スウェル Ocean Swell 、ケンタッキー・ダービーに勝った女傑ジェヌイン・リスク Genuine Risk などの祖。
④1905年 ポピンジェイ Popinjay アスター卿の基礎を築いた牝馬。種牡馬として大成した名馬の基礎として大ファミリーを成し、特にチューダー・メロディー Tudor Melody 、フォーティー・ナイナー Forty Niner が重要。日本でも桜花賞馬ソールレディー、天皇賞馬アサホコを出す。
⑤1908年 マーシャル・ノート Martial Note アメリカで多数のGⅠ馬の基礎。
⑥1909年 イッピンゲール Yippingale 豪州とアメリカで多数のGⅠ馬を出す。
⑦1912年 ダーク・フライト Dark Flight シェランドリーの10頭の娘の中では最も目立たない存在ながら、アイルランドでフェニックス・ステークスに勝った子孫がいる。
⑧1913年 ボボリンク Bobolink 今年の桜花賞馬ジュエリーの祖。詳しくは後述。
⑨1914年 ぺヌラ Pennula 英国のクラシック馬の祖で、英仏1000ギニーを連勝したラヴィネラ Ravinella 、英2000ギニー馬ジーノ Zino の祖。
⑩1915年 シェルソネーゼ Chersonese 豪州GⅠ馬の祖。

以上、現在では活躍馬の連鎖が途切れた娘もいますが、特に①と④は現在でも優れた競走馬・種牡馬を出し続けており、今後もその流れが止まることは無いでしょう。
そして⑧ボボリンクから数えて9代目に当たるのがジュエラー。以後はその流れに絞って行きます。

ボボリンクは英国産。母と同じローズベリー家が生産した馬ですが、1戦未勝利のままアメリカに売られて繁殖生活に入り、ボブルス Bobbles を産みます。このボブルスには7頭の娘があり、その1頭ディクシアナ Dixiana がフランスで走り、フォレ賞(現在はGⅠ)とアスタルテ賞(現在はGⅠのロッシルド賞)などに優勝。
その全妹(父ヤコポ Jacopo)で1937年生まれのデセプション Deception は8戦1勝、更に娘のファー=フロム=ホーム Far-From-Home も8戦未勝利と目立たないままフランスに輸出。そこでブレスキア Brescia (1953年 鹿毛 父ニコロ・デラルカ Niccolo dell’Arca)という牝馬を産みます。
ブレスキアも未勝利でしたが入着したことはあり、母として3頭の娘を残します。この3頭の中で最も出世したのが1963年生まれのベルガーム Bergame で、仏オークスで2着。夏にはドーヴィルでポモヌ賞(現在はGⅡ)に勝ち、⑧ボボリンクの後裔では2頭目の重要な勝馬となりました。

ベルガームは母としても成功し、3代を経て出現したバルボネラ Balbonella (1984年生まれ)がロベール・パパン賞(GⅠ)に勝ち、仏1000ギニーとフォレ賞で4着。ヨーロッパにパターン・レース制が導入されてから⑧ボボリンク系では最初のGⅠ馬となります。
バルボネラは母としてもジュライ・カップとモーリス・ド・ギースト賞勝馬のアナバー Anabaa 、仏1000ギニーのオールウェイズ・ロイヤル Always Loyal を出して遂にクラシックを制覇。オールウェイズ・ロイヤルの孫娘に当たるショウナンアデラ(母はオールウェイズ・ウィリング Always Willing)が一昨年の阪神ジュベナイルフィリーズに優勝したことはご存知の通りでしょう。

さて、ブレスキアのもう1頭の娘バルボナ Balbona (1964年 鹿毛 父ソレイユ・ルヴァン Soleil Levant)もフランス産で1勝馬。4頭の娘があり、12戦して2勝したバンガロア Bangalore (1973年 鹿毛 父カドマス Cadmus)がジュエラーの3代母ということになります。
バンガロアには調べた限りでは8頭の産駒があるようですが、その多くはフランスの平場競走と障害競走にも走った二刀流。特に名のあるレースに勝った馬は無く、バンガロアの5番仔に当たるバリオカ Balioka (1985年 鹿毛 父トゥーランゴー Tourangeau)がジュエラーの2代母。

バリオカもフランスで平場と障害を股にかけ、19戦して10勝入着2回は中々のもの。障害のポー大賞典というステークスで3着に入った実績があるそうです。
バリオカの産駒で記録があるのは11頭。母と同じようにフランスの平場も障害も経験した馬が多く、初産駒のバロロ(せん馬)は8勝、3番仔のビルボケ Bilboquet も7勝、2005年生まれのバルダメル Baldamelle (牝馬)はトゥルーズの平場2400メートルで勝鞍があるようです。

このバリオカ産駒では2頭が重要。先にジュエラーの母の2年年下に当たるバイエ Baie (2000年 鹿毛 父グリーン・チューン Green Tune)を紹介すると、彼女はフランスとアメリカで12戦3勝。3歳時にリステッド戦のフィンランド賞(1900メートル)に勝ち、クレオパトラ賞(GⅢ)で2着、仏オークスに挑戦して4着と健闘し、プシケ賞(GⅢ)でも2着とG戦には一歩届きませんでした。
このあと北米に遠征し、ベルモントのG戦で4着、カナダはウッドバインのG戦での6着で現役を終え繁殖に入りましたが、現時点では目立た産駒は出ていません。

そしてジュエラーの母になるのがバルドウィナ(1998年 鹿毛)。オーナーはゲーリー・田中、管理したのはフランス・ローカル界の雄でもあるフランシス・ロホー師で、ロホーは彼女の生産者でもありました。
3歳でデビューしたバルドウィナは、モン・ド・マルサン競馬場の2000メートルでデビュー勝ちし、サン=クルーの2100メートル戦、同じサン=クルーの2100メートルでクレオパトラ賞(GⅢ)と一気に3連勝します。続いて仏オークスに挑戦するも12頭立ての11着とGⅠの壁。
夏のドーヴィルではミネルヴァ賞(GⅢ、2500メートル)で5着し、ヴェルメイユ賞(GⅠ、2400メートル)で二度目のGⅠに挑戦。この時は我が武豊とのコンビで臨みましたが、12頭立ての8着とまたも敗退。その後ロワイヤリュー賞(GⅡ、ロンシャンの2500メートル)9着最下位、アメリカ遠征のメイトリアーク・ステークス(GⅠ、ハリウッドの9ハロン)が15頭立て10着で現役を終えます。通算成績は8戦3勝でした。繁殖に上がってからの成績は次の一覧で。

2004年 バルドヴィナ Baldovina 牝馬 鹿毛 父テイル・オブ・ザ・キャット Tale of the Cat イギリスの平場と障害、イタリアのリステッド戦5着など12戦未勝利。ライアン・ムーアが一度だけ騎乗したことも。
2006年 ワンカラット 牝馬 黒鹿毛 父ファルブラヴ Falbrav 26戦5勝 フィリーズレビュー(GⅡ、阪神1400メートル)、函館スプリントステークス(GⅢ、1200メートル)、キーンランドカップ(GⅢ、札幌1200メートル)、セントウルステークス(GⅢ、中山1200メートル)と短距離のG戦に4勝。桜花賞は4着、秋華賞は7着でした。
2007年 スノーボール 牡馬 青鹿毛 父フジキセキ 6戦未勝利。
2009年 サンシャイン 牝馬 黒鹿毛 父ハーツクライ 20戦3勝 エルフィンステークス(京都1600メートル)、マレーシアカップ(小倉2000メートル)、愛知杯(GⅢ)2着。
2010年 ベアトリッツ 牝馬 鹿毛 父ディープインパクト 28戦3勝 勝鞍は全て1600メートル。
2011年 トップアート 牡馬 鹿毛 父ディープインパクト 現時点で20戦2勝 勝鞍は1600メートルと1800メートル。
2013年 ジュエラー

以上が2016年桜花賞馬の牝系です。オークスに挑戦するということですが、2400メートルの距離適性は、正直なところ走って見なければ判りません。
父ヴィクトワールピサはご存知の様に皐月賞、有馬記念、ドバイ・ワールド・カップに勝っており、2500メートルまでの勝鞍はあります。但し2400メートル前後の距離ではダービー、凱旋門賞、ジャパン・カップなど敗戦も多く、一概にスタミナに問題無しとも言えないでしょう。
牝系は健闘してきたように、2000メートルまではスタミナ不安は無いと思慮しますが、400メートの延長は馬場状態、レース展開、そしてもちろん相手関係に左右されるでしょう。母が一貫して2400メートル中心に走っていたことは、ロホー陣営が中長距離馬と見ていたことの証左とも言えそうです。当欄としては二冠を達成してくれれば、クラシック馬のプロフィール調べが1頭手間が省けるというものですが・・・。

 

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