読売日響・第557回定期演奏会

4月14日の金曜日、読響の2016年度定期演奏会シリーズがスタートしました。今期も意欲的なプログラムが並ぶ読響ですが、私にとってはこの4月定期こそが最も聴きたいプログラムで、大いなる期待を抱きながらサントリーホールに向かいます。
年間を通じて最高の聴きモノがいきなり登場してしまった、という感想。そのプログラムは如何にも下野らしい以下のもの。

池辺晋一郎/多年生のプレリュード
ベートーヴェン/交響曲第2番
~休憩~
フィンジ/霊魂不滅の啓示
指揮/下野竜也
テノール/ロビン・トリッチュラー
合唱/二期会合唱団(合唱指揮/冨平恭平)
コンサートマスター/長原幸太

この演奏会を案内するチラシに村田直樹氏が書かれているように、「高い志を感じさせるプログラム」には若干の解説が必要かも。
最初の池辺作品はタイトルにもあるように、一度咲いて生涯を終える作品ではなく、「多年生植物のように繰り返し再演されてこそ、さらに愛される本当の新たなレパートリーへと育っていく」べきもの。読響の委嘱、下野自身が世界初演した作品だけに、再演に掛ける熱意は並みのものではなかったと思慮します。

またベートーヴェンの第2交響曲は「ハイリゲンシュタットの遺書の頃に書かれており」、ベートーヴェン本人としても「再生」「再出発」を心に誓った時期の、意思に溢れた作品。池辺作品との共通点を感じさせます。
そしてフィンジ。日本で演奏される機会は貴重で、この個性的な作曲家を知るには落とせない名曲。テキストはワーズワースで、ベートーヴェンとワーズワースには1770年生まれという共通点もあるのです。「独裁者となったナポレオンに失望した点でも共通している」とあるように、一見バラバラに見える3作品が実は複数の共通点で結ばれているという辺りに、下野の慧眼と博識とを発見するのでした。

冒頭の池辺作品は、2011年1月に第500回定期演奏会を記念して初演されたもの。その時の感想はこちらを↓

読売日響・第500回定期演奏会

初演の際は4種類の駄洒落を含めてプレトークを行った池辺氏、今回は大人しく客席で鑑賞しておられたようで、再演後に下野に促されて舞台へ。客席からも大きな声援が飛んでいました。
再演だけあって今回は更に滑らかな演奏だったという印象。下野の的確な棒が、作品の構造をより明確にしてくれたようです。

様々な楽器のソロを鏤めた15分ほどの佳品は、大雑把に言えば急・緩・急・緩・急の5部構成と聴かれる「管弦楽のための協奏曲」的な内容。あるいは単一楽章の交響曲と見ても良いかも知れません。
ハートを大切にした美しいメロディーと、池辺氏の象徴でもあるような諧謔的なスケルツォ。対照的なパーツをがっちりと囲む多彩で刺激的なアレグロと聴き易く、スコアの出版が待たれます。

続くベートーヴェンは弦を12型に落しての演奏。先月のツァグロゼクのような古楽器スタイルに頼らずとも、ベートーヴェンの生年らしい意志や充分に刺激的なサウンド(特にホルンの不協和音!)を表現できることを証明して見せました。
推進力に満ちた下野の棒は後のベートーヴェン、第6や第7交響曲を先取りするような瞬間に気付かせてくれたり、いずれは第9交響曲に結晶する動機的なモチーフの扱いをも想起させて行きます。

そして期待のフィンジ。フィンジの作品では昨年12月、尾高マエストロが日フィル定期でクラリネット協奏曲を紹介してくれたばかり。英国の作曲家と言えば合唱作品の大作は必須で、合唱と言えば英国の大作曲を連想させます。
今回紹介された「霊魂不滅の啓示」Intimations of Immortality はフィンジが、ワーズワースの詩に「過ぎ去った少年時代への哀惜」を感じ取り、「人が幼い日々に持っていた清浄な魂が、大人になるにしたがい失われる悲しみが語られる」作品。

スコアの冒頭に記されている献呈者「AMVW」とはフィンジの恩人であるヴォーン=ウイリアムス夫人のアデリーンのこと。全体は大きく11の詩節から成りますが、全曲は通して演奏される40分強の大作です。
冒頭のホルンによる呼びかけは作品中に何度か登場しますし、特に最後は二人のホルン奏者が舞台裏に下がり、lontano と指示された pp で全曲を締め括ります。
また序に続いて直ぐにヴィオラに登場する忘れ難いほど美しいモチーフと、それに続くクラリネットが変ホ長調で吹く対旋律も循環首題の様に度々出現。この作品の内省的な性格を聴き手に焼き付けて行くのでした。

時にマーラーを思わせる厭世観、英国ミュージカルを連想させるような華やかさ(木琴ソロによる速いパッセージなど)をも併せ呑んで、前曲は ppp から更に音を減じて niente へ。
「端正で抒情的な声」の持ち主トリッチュラ―と、巧みにソリストの歌を呑みこんで絶妙なバランスを勝ち取った二期会合唱団が「涙よりも深く底知れぬ感動をもたらす」と歌い終えると、ホールは感動と静寂に包まれます。

こうして感動的な4月定期が終了しましたが、残念なのは長い静寂の後に起きたオオカミの遠吠えの様な歓声。感動をブラヴォ~で表現することに反対ではありませんが、今回ばかりはこの作品には全く相応しくない蛮声で、折角の感動も台無しになってしまうじゃないか!!
読響は素晴らしい演奏を聴かせてくれる世界でも有数なオーレストラですが、聴衆の質は必ずしも良質とは言えません。少なくとも私はそう感ずるのです。

ところで下野竜也氏は2016年度末で首席客演指揮者を退任される由。今回が在任中の最終定期演奏会でした。氏が読響を刺激的なオーケストラに育て上げてきた功績は計り知れず、次に彼の魅力的なプログラムを聴けるのは何時のことになるでしょうか。
因みに下野は2017年4月からは広島交響楽団の音楽総監督に就任することが決まっており、今後は広島遠征も視野に入れなければなりません。新天地での大活躍を祈念しましょう。

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