ブロムシュテット/N響のサントリー定期

放送音楽

この前の日曜日(2月24日)に視聴した番組。書くのは止めておこうと思ったのですが、後々の記憶のために思い直しました。N響1月のサントリー定期、ブロムシュテットの指揮で、マーラーの「さすらう若人の歌」とシューベルトの「ザ・グレイト」。

マーラーを歌ったのはクリスチャン・ゲルハーヘル。この人、「ゲアハーハー」と表記されている文献もあったはずで、実際の発音に近いのはどれなんでしょう。NHKが「ゲルハーヘル」と表記したのなら、今後はこれで統一されるんでしょうかね。人名表記は難しいです。“ギョエテとは、俺のことかと、ゲーテ言い”という川柳もありましたな。

さてマーラーの歌曲、素晴らしいですねぇ。マーラーがこのまま歌曲の作曲家で通してくれればどんなに良かったか、いつもそう思います。
マーラーの悲劇は、指揮者としての才能が人並み外れて優れていたことでしょう。カリスマ指揮者としてウィーンに君臨し、オーケストラに関しては細部に至るまで知り尽くしていました。そのために交響曲を書き続け、スコアに演奏上の注意書きをやたらに書きましたね。ですから、ボンクラ指揮者と下手糞なオーケストラでも演奏できるような交響曲が出来上がったのです。
しかし現代、はるかに水準が上がったシンフォニー・オーケストラにとっては、“俺達を馬鹿にしているのかァッ”と言うような指示もある。これ、悲劇ですよね。

ということで、マーラーの「さすらう若人の歌」。“ゲルハーヘル”は完璧な技術、柔らかい声、知的な表現力で聴かせてくれました。
ただし、ですね。このマーラー若書きを歌うには上手過ぎるような気がします。フィッシャー=ディスカウでも感ずるのですが、あまりにも知的。大昔、無名のヘルマン・プライが歌ったのを放送で聴いて感激したことを懐かしく思い出してしまいました。「さすらい」には幼稚なくらいの若々しさが欲しい、と感ずるのです。

それにゲルハーヘルの髭。あれ、何とかなりませんかねぇ。髭が悪いというのではなく、もう少し手入れしたらどうなんでしょうか。あれじゃ無精髭。
この素晴らしいバリトン、CDで音楽だけ聴いているなら問題ないのですが、あの髭面を見ながらでは興醒めです。

シューベルトの「ザ・グレイト」。これも別の意味で表記が一定しません。私が初めてフルトヴェングラーなどで聴いた頃は第9番でした。それから10番になり、7番に。今は8番ということになっているようですね。
シューベルトの交響曲はいくつあるか。昔調べたことがありますが、他人のオーケストレーションも含めると、確か16か17あったと思います。

今回の表記に従えば、第8番にも楽譜上の問題があるようで、日本フィルのマエストロサロンでジークハルトが解説してくれました。
序奏の振り方。ブロムシュテットは最新の学説を採用して「二つ振り」でしたね。でもテンポが結構遅いので、後半は「四つ振り」になってましたよ。

指揮台に置かれたスコアはブライトコプフの新版のようでしたが、よく判りません。これもブライトコプフとベーレンライターが競合しているようで、素人が首を突っ込む世界じゃありませんね。

ブロム氏、全楽章(第2楽章は元々ありませんが)の繰り返しを全て実行してました。だから長いこと夥しい。第3楽章のスケルツォ反復時だけはリピートを省略していましたが、どうせならあれも繰り返してしまえばよかったのに。

そもそもメヌエットやスケルツォのリピート、二度目の主部の繰り返しをやるべきか否かは定説がないんでしょ。ベートーヴェンの作品だったかに、二度目はストレート(繰り返しをやらずに)という指示があるそうですね。ということは、当時は繰り返すのが習慣だった、ということの証拠でもあります。

ま、それはどうでもいいんですが、ブロムシュテットさんの指揮は拍子を取るだけの単調なもの。あれを延々と見せられて辟易しました。繰り返しを全部正確にやるだけの必然性、残念ながら感じられませんでした。もう少し味付け、というか工夫が欲しいなぁ。

「歌曲」つながりの作曲家による粋なプログラム、少し複雑な感想です。

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