サルビアホール 第60回クァルテット・シリーズ
連休明けの金曜日、6日に鶴見に出掛けたばかりですが、昨日9日もサルビアホールで60回目となるクァルテット・シリーズが開催されました。前回から未だ3日しか経っていません。
今回も会場前には「完売御礼」の告知が。来月に迫ったショスタコーヴィチ・プロジェクトの前触れでしょうか。
今回はサルビア登場が3回目となるライプツィヒQ。開館5周年を迎え、早や3回目となるのはウィハンQに次いで2団体目となります。今回のプログラムは、
ワーグナー/ジークフリート牧歌(弦楽四重奏版)
ドヴォルザーク/弦楽四重奏曲第12番ヘ長調作品96「アメリカ」
~休憩~
ブラームス/弦楽四重奏曲第2番イ短調作品51-2
ライプツィヒ・クァルテット
彼等の初登場は一昨年の5月でしたから、毎年来日している計算。実は私は初回こそ聴きましたが、去年の6月はサントリーのミロと重なってしまい止むを得ずパスしていました。従って個人的には2年振り2度目のライプツィヒとなります。
前回、ファースト・ヴァイオリンのステファン・アルツベルガーの個人的な事情により別の奏者が代演したと聞いていましたが、今回もアルツベルガー氏は参加できないとのことで、去年に続いて元ペーターゼン・クァルテットのファーストだったムック氏がファーストを受け持ちます。
改めて昨夜の奏者を紹介すると、ファーストがピンチヒッターのコンラート・ムック Conrad Muck 。恐らく今後もファーストを受け持っていくのでしょう。セカンドがティルマン・ビューニン Tilman Buning 、ヴィオラはイフォ・バウアー Ivo Bauer 、チェロがマティアス・モースドルフ Matthias Moosdolf 。全員黒づくめというのは前々回と同じでした。
2014年と違う所はもう一つ。その時はモーツァルト、ベートーヴェン、メンデルスゾーンというプログラムで、前半の古典派はチェロ以外は立って演奏し、メンデルスゾーンだけは全員椅子に座って演奏していました。
しかし今回は起立演奏は1曲も無し。古典派の作品が無かったからかも知れませんが、仙台や札幌で演奏したハイドンはどうだったのでしょうか? ということで、今回は札幌・仙台での演奏会のあとが鶴見。これが終わると中国ツアーに出る由。
プログラムを見て最初に気付くのは、ワーグナーで始めてブラームスで終える選曲でしょうか。ワーグナーとブラームスと言えば、当時の音楽界を二分するライヴァル関係。この二人を取り持つように、ドヴォルザークの超有名作が演奏されるという趣向が面白いと思います。
そもそもワーグナーには室内楽と呼べるような作品は無く、今回は管弦楽作品、あるいは13楽器による一種の室内楽でもあるジークフリート牧歌を弦楽四重奏用にアレンジしたものです。
ところが冒頭、オヤッと感ずる様な出だし。アレンジが変なのではなく、演奏上のスタート・ミスのような瑕疵がありました。以後も何となく落ち着かない雰囲気で、最初に聴いたライプツィヒの印象とはかなり乖離していたのが気になりました。
この感覚は次のドヴォルザークでも同じ。
実はブログには書きませんでしたが、全日の8日に代々木の白寿ホールでクァルテット・エクセルシオによる同曲を聴いたばかり。比較するなと言われても無理な話ですが、贔屓目でなくとも遥かにエクの「アメリカ」の方が優れた演奏でしたネ。
これに比べるとライプツィヒのは細部が磨き上げられておらず、未だ団体として作品のコンセプトが創り上げられていない感じ。専門のサラブレッドに譬えると、レース本番前2か月程度の調整段階とでも言えるような仕上がり具合なのです。ドヴォルザークに必要な「憧れと懐かしさ」がほとんど感じられない。
ライプツィヒを聴くと、エクが積み上げてきた方法論の大きさと、その努力を微塵も感じさせない演奏姿勢の自然さに改めて感動するのでした。音楽家はネーム・ヴァリューじゃなく、実力だ。なぁ~んちゃって。
後半のブラームスに期待したのですが、これも完成度は今一。そもそもブラームスのクァルテットは、ベートーヴェンに比べると焦点がぼけているように感じます。逆にそれが美点なのか。
ブラームスがベートーヴェンに異常なほどのコンプレックスを持っていたのは有名な話で、交響曲ではベートーヴェンに匹敵する曲が書けるまではと試行錯誤を繰り返し、第1番が完成したのは40歳を過ぎてから、というのはどんな解説書にも出てきます。
室内楽も同じ。ブラームスがこの分野で作品を書き始めたのは、ベートーヴェンが手を付けていない分野か、傑作と呼べるような作品をモノにしていないジャンルばかり。ブラームスの室内楽で名曲とされるのは六重奏曲、弦楽五重奏曲、ピアノ五重奏曲、ピアノ四重奏曲等々、ベートーヴェンには作品がほとんど残されていない曲種だけです。
それでも40歳前後に弦楽四重奏曲を書きましたが、全体でも3曲だけ。どれもベートーヴェンの様な深遠な世界には達しておらず、明らかにベートーヴェンと比較されるのを避けた構成だと思わずにはいられません。
今回演奏された2番にしても、ソナタ形式で書かれたのは第1楽章だけ。モットー主題のF・A・Eを使いながら展開部は50小節チョッとで終わってしまい、楽章全体340小節程度の6分の1か7分の1ほど。ブラームスにしてはバランスが悪すぎるようです。
第2楽章も第3楽章も三部形式で、動きはモデラートと中庸の美徳。終楽章も基本的にはロンドで、中程にカノンを登場させて体裁を整えてはいるものの、全体的には「緩い」印象に終始。
SQSでもベートーヴェンに比べてブラームスが演奏される機会は圧倒的に少なく、第2番は2012年12月にロータスが取り上げて以来のことでしょう。第1番も登場したのは一度だけだし、3番に至っては未だSQSでは未体験。
今回のライプツィヒ、それなりに纏まった演奏ではありましたが、今回の選曲も含めて「緩さ」を感じさせる演奏会だと思いました。何も緊迫感と迫力だけが音楽の楽しみではないので、今回の様にリラックスした演奏もまた一興。
これまでの2回はアンコールにバッハを演奏してきた彼等も、今回は何と「ローレライ」の四重奏版。この夜の雰囲気を象徴するようなアンコールでした。
弾き始めて直ぐに飛び込んできたメロディー、良く知ってはいるものの直ぐには曲名を思い出せません。暫くして「なじかは知らねど♪」が口を衝いて飛び出します。全員で合唱! とでも言いたくなる雰囲気。3番まである歌詞が、ファースト→チェロ→ヴィオラの順に装飾を変えながら繰り返される編曲は誰のものでしょうか。
そう言えば2か月弱もすればライン下りを楽しむのは誰だっけ? 船に乗ったらローレライの一つも歌わなきゃならんでしょ。タイミング良過ぎ・・・。
我々の世代は教科書に載っていたローレライ。フリードリッヒ・ジルヒャー作曲、ハインリッヒ・ハイネ作詞、近藤遡風訳で歌わされた名歌は、「なじかは知らねど♪ 心わびて♪ 昔の伝えは♪ そぞろ身にしむ♪」。すまん、後は忘れた。
出掛けるまでに覚えなきゃいけませんね。ドイツ語で。あったあった、これだ↓
編曲と言えばもう一つ大収穫。前半が終わった所でホワイエに出、ワーグナーの弦楽四重奏版の編曲者について尋ねたところ、Glynn Davies という方の編曲の由。
早速帰宅してからググッて見ると、ありました。英国人ではなく1973年生まれのオーストラリア人だそうで、チェロを学び、「エッセンシャル・ストリングス」という団体を結成して結婚式、誕生会などで編曲した有名ピースを演奏しているという経歴の持ち主。もちろんオリジナルの自作もあるそうですが、詳しくはホームページを↓
http://www.scoreexchange.com/profiles/glynndavies
この中から Orchestral Reductions, arranged for String Orchestra/Quintet/Quartet のタグをクリックするとジークフリート牧歌が出てきます。面倒臭いという方は直接これ↓
http://www.scoreexchange.com/scores/64789.html
このページはプリントも出来るようですから、プライヴェートに演奏するなら問題ないでしょう。こういう情報は演奏会に出掛けて初めてゲットできるもの。
改めてネット社会の便利さ、恐ろしさに驚かされました。
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