日本フィル・第317回横浜定期演奏会

6月の日本フィルは首席指揮者ラザレフ漬け。週の初めには日フィル創設60周年記念の特別演奏会がありましたが、残念ながら私はパス。横浜と東京の定期だけを鑑賞する予定です。
横浜のプログラムは以下の様に如何にも名曲を並べたもの、ラザレフとしては珍しいレパートリーですが、さいたまと相模原でも演奏する三日間連続の演奏会でもあります。横浜はその中日。

モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」序曲
モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K219「トルコ風」
     ~休憩~
ベルリオーズ/幻想交響曲
 指揮/アレクサンドル・ラザレフ
 ヴァイオリン/渡辺玲子
 コンサートマスター/千葉清加
 フォアシュピーラー/齊藤政和
 ソロ・チェロ/菊地知也

ラザレフの指揮、やや久しぶりに聴く渡辺玲子のソロとあって期待は大きかったのですが、やはり実力者二人、その期待は裏切られませんでした。というより、「さすがぁ~」と感服してしまう納得の名曲・名演です。

例によって小宮正安氏のプレトークから聞きはじめましたが、今回は作曲当時の「検閲」の話が中心。モーツァルトのフィガロは内容に政治批判が含まれていることは知っていましたが、協奏曲でも正に「トルコ風」という所がザルツブルクの大司教への当て擦りと捉えることも可能なのだとか、これは知りませんでした。
ベルリオーズにしても1845年旧版と1855年の新版とがあり、主人公が阿片を飲んで自殺を図り、幻想の中で恋人を殺すというプログラム・ノートが検閲を意識し、微妙に変更されていることも・・・。なるほど今回は検閲繋がりプログラムか、と新知見一杯のプレトークでしたね。

さてフィガロの序曲。予想はしていましたが速い、速い。こんな快速のフィガロは初めて聴いたと思います。フィガロのテンポと言えばかつて往年の名指揮者ビーチャムが、“ゆで卵が理想的な半熟に仕上がる速度で”と指摘したのを思い出しますが、ラザレフのスピードじゃ未だナマに近い半・半熟に成っちゃうでしょう。
何でもないセカンド・ヴァイオリンの刻みなど、奏者たちが歯を食いしばって懸命にテンポに付いて行くのは見物でもあり、壮絶な風景でもありました。

半熟卵を早々に取り上げてしまったラザレフ、普通なら一旦舞台を降りてステージの配置換えを待つのですが、何と指揮台に仁王立ちのまま。まるでリハーサルを見るようでしたが、休憩中でも指揮台を降りないラザレフには英国時代の経験があるからだとか。マエストロ・サロンだったかその後の二次会だったかで聞いた逸話ですが、ここでバラす訳には行かないので話はここまで。
ヴァイオリン奏者たちは一旦舞台を降り、ステージ係が慌ただしく協奏曲用に設定するのを睨みつけているラザレフは、“早くしろ!”とプレッシャーを掛けているようにも見えますから、思わず吹き出してしまいました。

そんな中で慌ただしく登場した渡辺玲子。さすがにここはソリストのテンポでしょう、極端に速い演奏ではなく、キリリと引き締まった合奏で緊張感を保ちつつ、些かの緩みも無くモーツァルトの美しいメロディーがホールに溢れます。
渡辺玲子は決して大音量で勝負するヴァイオリンではありませんが、隅々まで張り詰めた音色がオケを突き抜けて客席に届きます。滑らかな演奏ながら時折激しい表現も織り交ぜ、モーツァルト時代よりも現代感覚を取り入れたカデンツァで聴き手を唸らせました。

アンコールが欲しい所でしたが、全体に盛り沢山なプログラムのため彼女のソロはお預け。

そして後半はベルリオーズ。事前のプレトークで終楽章にサプライズがあります、ということでしたが、これは恐らく舞台上に置かれた2台の鐘を木製のハンマーで叩いたことでしょうか。
このワン・ペアの鐘は日フィルの財産でもある名物で、これを舞台裏で叩かせては折角の立派な鐘が見えず仕舞い。日フィルの幻想では、コバケン氏を筆頭に見物になっているのは定期会員ならご存知でしょう。こうした色物を叩かせたら日本一の福島喜裕、カーテンコールではラザレフ御大が彼の手を高く掲げて称賛していましたっけ。

私にとってラザレフの幻想のサプライズは、むしろ正攻法のシンフォニックな演奏スタイル。冒頭第1楽章からしてスコアの指示にどこまでも忠実に、徹底した譜読みで一切のハッタリを排した表現に徹して行くことでした。この第1楽章は感動ものです。
オーケストラも澄み切った音色、緻密な合奏でこれに応え、リハーサルを徹底するラザレフならでは安定した幻想交響曲。譜面通りの「普通の」幻想でありながら、他の誰とも違うベルリオーズを聴かせたのは流石でした。

第1楽章提示部はスコア通り繰り返しましたが、第4楽章の繰り返しは省略。第2楽章はコルネットのソロ・パートを復活させた演奏で、首席オットーの明るく滑らかな音色がワルツを突き抜けて響きます。
演奏の核心は第3楽章。冒頭イングリッシュ・ホルンのソロ、フレージングが耳新しく聴こえましたが、スコアを確認するとラザレフのが正解でしょう。遠方から応えるオーボエは舞台下手裏から。舞台裏で吹かせたのは、終楽章クラリネットの恋人主題も舞台上手裏からでした。

小宮氏が指摘した通り、恋人殺害は第3楽章が現場と思わせる説得力に満ちた表現で、クライマックスのスリルは譜面に忠実でありながらも手に汗握るよう。4人で叩くティンパニの遠雷も、近くで落ちた様な衝撃でした。

人気の第4・第5楽章は、むしろテンポは遅目。例の金管によるマーチも音符の長さを指示通りタップリ取ってレガートを効かせ、弦楽器を圧することなく全体のバランスに配慮したもの。
終楽章も殊更にグロテスクな表現を採用する演奏が多い中にあって、オーケストラを透明に響かせながら交響曲としての構造を明らかにして行きます。
ラザレフの幻想、聴き終えてみれば正攻法の極みでありながら、余人をもって代え難いベルリオーズになっている。やはりラザレフは只者ではありません。

アンコールは、フランス繋がりでしょう、ビゼーのカルメンから第3幕への間奏曲。第13小節目からの弦のドローンを完全な弦楽四重奏にし、最後の ppp を何処までも伸ばし、ラザレフが客席を向いてピチカートで締め。
これぞマエストロのサービスをたっぷり魅せるアンコールでした。

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