2016クラシック馬のプロフィール(5)
今週はアイルランドのギニーに勝った2頭を取り上げて行きます。どちらも英ギニー勝馬が本命になっていたのでプロフィールの手間は省けると思っていましたが、どうやら甘かったようで、結局今年のギニーは英仏愛全て勝馬が異なる結果になってしまいました。
さて愛2000ギニーの勝馬アウタード Awtaad は、父ケープ・クロス Cape Cross 、母アシェーラー Asheerah 、母の父シャマーダル Shamardal という血統。レース回顧でも紹介したように、アイルランドのヴェテラン調教師ケヴィン・ブレンダーガスト師に40年振りとなる愛2000ギニー勝利を齎しました。
40年と言えば、ファミリーを辿れば4代か5代は遡ります。最初に書いてしまいますが、この牝系は5代遡らないとGⅠ級の馬は登場してきません。もちろん全てプレンダーガスト師が拘わってきたファミリーではありませんが、奇しくもこの牝系を象徴するように、5代を経て漸くクラシック馬を輩出したということになります。
アウタードのオーナーはドバイ首長国の副首長でもあるハムダン・アル・マクトゥーム氏で、3代母から4世代に亘ってプレンダーガスト厩舎で地道に走ってきた血統。オーナーの忍耐力と言うか、辛抱強さが報われたギニーだったとも言えそうです。
母アシェーラー(2008年 鹿毛)もマクトゥーム氏のシャドウェル・スタッドで生まれ、殿下の所有、プレンダーガスト師が管理してきた馬。2歳から3歳まで走り、通算で13戦1勝の成績を残しました。
2歳の9月にフェアリーハウスの7ハロン戦でデビューし4着、以後レパーズタウンの7ハロンで3着、ダンダルクの1マイルで2着と、徐々に着順を上げながらも未勝利で2歳シーズンを終えます。
3歳になったアシェーラーは、4月のライムリック競馬場の7ハロンからシーズンを開始して待望の初勝利。この時は馬場が soft で、重得意はアウタードにも受け継がれたようです。
続いて臨んだのがネイヴァン競馬場のリステッド戦サルサビル・ステークス(10ハロン、馬場は yielding)で、サイレンズ・ソング Siren’s Song の2着。勝ったサイレンズ・ソングは次走の英オークスで7着に入っていますから、アシェーラーにとってはこの2着が内容的に最も優れたレースだったと言えるでしょう。
3歳の3戦目でG戦に初挑戦。ブルー・ウインド・ステークス(GⅢ)は10頭立ての最下位に敗退しましたが、この時は goot to firm と固い馬場で、やはりスピード不足を露呈してしまったようです。このあとG戦に出走したのは7月カラーのキルボイ・エステート・ステークス(GⅢ)のみで、11頭立ての9着。残るレースはほとんどがハンデ戦で、入着することは一度もありませんでした。
アシェーラー現役最後のレースは、ナース競馬場のナース・オクトーバー・ハンデ。初めて12ハロンの距離に挑みましたが、重馬場ながら15頭立ての15着最下位に終わり、オーナーのシャドウェル・スタッドで繁殖生活に入ります。
アウタードは、その初産駒。
ここでアウタードの父についても簡単に触れておきましょう。
ゴドルフィンの勝負服で走ったケープ・クロスは、ロッキンジ・ステークス(GⅠ)、クィーン・アン・ステークス(当時はGⅡ、現在GⅠ)などに勝ったマイラーでしたが、種牡馬としては意外にも長距離で活躍する馬を何頭も輩出し、ダービー/凱旋門賞のシー・ザ・スターズ Sea The Stars 、同じくダービー/凱旋門賞のゴールデン・ホーン Golden Horn 、英愛オークスのウイジャ・ボード Ouija Board 、パリ大賞典のベーカバッド Behkabad 等々。
自身にスタミナがあったというより、牝系の血をうまく引き出すタイプの種牡馬と評して良さそうです。逆に言えば自身の個性はあまり強くない、ということにもなりましょうか。
父はこれだけにして、アウタードの2代母アダーラ Adaala (2002年 鹿毛 父シェイム Sham)に行きましょう。名前から判るように、この馬もハムダン・アル・マクトゥーム(通称シェイク・ハムダン)所有、プレンダーガスト厩舎で2歳から3歳まで走り、13戦3勝2着2回3着2回の成績を残しました。
勝鞍は2歳時の7ハロン、3歳時の9ハロンでのもので、7月にカラーで勝った3勝目はキルボイ・エステート・ステークス。実は娘のアシェーラーも参戦(上記の様に9着)したレースですが、この当時はリステッド戦でした。娘と同様に3歳シーズンで繁殖に上がりましたが、現在の所目立った活躍馬は出ていません。それでも繁殖成績を一覧表にしておくと、
2007年 アルシャーバー Alshahbaa 鹿毛 牝 父アルハース Alhaarth シェイク・ハムダン/プレンダーガストとは無関係で7戦1勝、シルヴァー・フラッシュ・ステークス(GⅢ)2着
2008年 アシェーラー
2009年 アーラース Aaraas 鹿毛 牝 父ハーフド Haafhd シェイク・ハムダン/プレンダーガストで13戦1勝、キラヴュラン・ステークス(GⅢ)3着、ブルー・ウインド・ステークス(GⅢ)2着
2010年 ダイムーナ Daymoona 栗毛 牝 父ピヴォタル Pivotal シェイク・ハムダン/プレンダーガストで9戦2勝、G戦出走経験無し。勝鞍は9ハロンと10ハロン。
2011年 アブシャーマー Abushamah 鹿毛 牡 父ナイェフ Nayef 売却されてオーナーも調教師も別。現役で現在まで22戦3勝。勝鞍は7ハロンで2勝、1マイルで1勝。
2012年 アーレド Aared 鹿毛 牡 父シャマーダル シェイク・ハムダン/プレンダーガストで現役。現在まで13戦1勝。勝鞍は1マイル。
2013年 アルマンサー Almunther 鹿毛 牡 父インヴィンシブル・スピリット Invincible Spirit 現時点で未出走。
3代母アルシューグ Alshoowg (1995年 鹿毛 父リヴァーマン Riverman)もシェイク・ハムダンが所有していましたが未出走。ハムダン氏はこの馬を競りで購入し、自身の基礎牝馬として選びました。現時点でアルシューグから出た活躍馬は、アウタードに繋がる娘たちだけのようです。
4代母はガシュター Ghashtah (1987年 鹿毛 父ニジンスキー Nijinsky)と言い、この馬も未出走馬でアメリカ産。2歳の時に英国に渡りましたが、後にアメリカに買い戻されたようです。
英国の生産者が敢えて購入したのも、アメリカの生産者が更に買い戻したのも、この馬の血統が素晴らしかったから。
それが5代母マイ・チャーマー My Charmer (1969年 鹿毛 父ポーカー Poker)。現役時代は32戦6勝、フェア・グラウンズ・オークスに勝った程度ですが、彼女の3歳時は未だアメリカにグレード制は導入されておらず、後にフェア・グラウンズ・オークスはGⅢに格付けされます。(このレースがGⅢになったのは1982年)
しかしマイ・チャーマーは、その初産駒に米三冠馬シアトル・スルー Seattle Slew (1974年生まれ)を出して一躍その名を世界に知られることになりました。
これに留まらず、6年後に産んだローモンド Lomond (1980年生まれ)がニューマーケットの2000ギニーを制し、大西洋を挟んだ両国のダブルでクラシック馬の母に輝きます。
更には1984年生まれのシアトル・ダンサー Seattle Dancer が破格の値段で取引され、クラシック制覇は成らなかったもののガリニュール・ステークス(GⅡ)、デリンスタウン・スタッド・ダービー・トライアル(GⅡ)とG戦に2勝し、パリ大賞典で2着。
成績を上回る血統が買われて種牡馬となり、一時は日本でも供用されていたことを記憶されている方も多いでしょう。シアトル・ダンサーの日本での代表産駒は、NHKマイルや毎日杯に勝ったタイキフォーチュン、関屋記念2回にセントウルステークスのエイシンガイモンなど。シアトル・ダンサーはその後ドイツに輸出され、そこが終焉の地となります。
この他マイ・チャーマーの産駒には、ロイヤル・ロッジ・ステークス(GⅡ)勝馬デザート・シークレット Desert Secret を産んだクランデスティーナ Clandestina 、日本に輸入されたチャーミング・ティアラ Charming Tiara などがいます。
ファミリー・ナンバーは13-c。1872年生まれのスターリー・ショット Stary Shot を基礎とする牝系です。
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