2016クラシック馬のプロフィール(6)
前回に続いて重馬場のアイルランド1000ギニーを制したジェット・セッティング Jet Setting のプロフィールです。
ジェット・セッティングは父ファスト・カンパニー Fast Company 、母ミーン・レー Mean Lae 、母の父ヨハネスブルク Johannesburg という血統。
いつもは母から順次遡って行く手法ですが、今回は逆に基礎牝馬から年代を追って考察することにしました。というのも、最初に紹介するようにこの牝系はB3、いわゆるジェネラル・スタッド・ブックの第1巻には登場しないファミリーなのです。
そもそも現在まで使われているファミリー・ナンバーはブルース・ロウが整理し、ポーランドの血統アナリストであるボビンスキーが「ファミリー・テーブル」の中で細分化したもの。ロウの時点でクラシック・レースを含む大レースの勝鞍が多い順にファミリー・ナンバーを振ったのが始まりです。
その後は競馬も次第に各国に広がり、血統も更に世界的な拡がりを見せると、ジェネラル・スタッド・ブックに記載されている基礎牝馬には遡れない馬が大レースに勝つようになります。
こうした牝系を、例えばアメリカで反映するものはアメリカン・スタッド・ブックに記載してアメリカン・ファミリー「A」と称するようになります。同じように豪州と南アフリカ(共に英国の植民地だったので競馬が盛んだった)はコロニアル・ファミリー「C」、アルゼンチンは「Ar」、ポーランドを「P」、ウルグァイは「Ur」として区分して行きます。
この中に英国の半血種から反映してきたグループがあり、これ等はブリティッシュ・ハーフ・ブラッドとして登録されます。それが「B」に纏められたファミリーなのですね。これらは、現在は国際血統書委員会という組織が管理しているようですが、ここから先は素人の私には詳しいことは判りません。
こうした血統は日本にも少なからずあって、日本ダービーに勝ったヒカルイマイ、皐月賞のランドプリンスなど、現在日本でGⅠに格付けされているレースに勝った馬の牝系では、実に9系統が未分類です。(もちろん他にも多数あるはず)
現在ではこうした希少牝系は淘汰されてしまったと思われますが、競馬史という観点からは見直されるべきで、何れは「J」ファミリーとして登録されるのが望ましいと思いますがどうでしょうか。
前置きが長くなりましたが、ジェット・セッティングが属するB3というファミリーは、生年不詳のペリオン・メア Perion Mare まで遡ることが出来ます。
このペリオン・メアから6代を経て生まれたのが1908年生まれのフィナーレ Finale 。フィナーレの娘ヴァーディクト Verdict (1920年生まれ)がコロネーション・カップで牡馬を破って優勝したのが、このファミリーの最初のGⅠ(もちろん現在のレース・システムで)級勝馬でした。
ヴァーディクトは母としても優れており、1932年生まれのクァシェッド Quashed がオークスとアスコット・ゴールド・カップを制し、B3から出た最初のクラシック馬となりました。
しかしこの牝系を今日の隆盛に導いたのは、ヴァーディクトのもう1頭の娘ヴァーシクル Versicle (1930年生まれ)で、彼女の娘ファール Firle (1938年生まれ)から2頭の牝馬に分岐して行きます。
その1頭がラヴァント Lavant (1955年生まれ)と言い、彼女はジュライ・カップの勝馬ラスカランド Luscaland (1962年 牝馬)と、同じくジュライ・カップとナンソープ・ステークスに勝ったスプリンター、ソー・ブレスド So Blessed (1965年 牡馬)とを輩出。
更にラスカランドの2頭の娘がクラシック馬の祖となり、我が国にも重要な牝系を形成して行きます。
ラスカランドの娘ランド・ホー Land Ho からは、3代を経て出たアトラクション Attraction (2001年生まれ)が1000ギニー、愛1000ギニー、コロネーション・ステークス、マトロン・ステークス、サン・チャリオット・ステークスに優勝。
また6代目に当たるのがメジャーエンブレム(2013年生まれ)で、桜花賞こそ敗れたものの阪神ジュヴェナイルフィーリーズ、NHKマイルに勝ったのはつい先日のこと。
更にラスカランドの娘ラックハースト Luckhurst (1972年生まれ)がフォルマス・ステークス勝馬のスタンプド Stumped (1977年生まれ)の母になり、スタンプドの娘が名牝ソニック・レディー Sonic Lady (1983年生まれ)。
ソニック・レディーは愛1000ギニー、コロネーション・ステークス、サセックス・ステークス、ムーラン・ド・ロンシャン賞、フォルマス・ステークス2回と、世代を超えてマイルのGⅠ戦を総なめした強豪でした。
このソニック・レディから3代を経たのが、東京優駿のロジユニヴァース(2001年生まれ)。日本ではロジユニヴァースとメジャーエンブレムの2頭が、B3を代表するGⅠ馬ということになります。
話を少し遡り、ファールには1960年生まれのヤスミン Yasmin という娘がいました。この系統は長い間優れた競走馬とは無縁でしたが、7代を経て漸く出現したのが、今年の愛1000ギニー馬ジェット・セッティングなのです。
以下順に母の名前だけでも列記して行くと、
ヤスミンの娘マ・グリッフ Ma Griffe (1966年 鹿毛 父インディアン・ルーラー Indian Ruler)が、1勝馬エッティー Etty (1978年 鹿毛 父レルコ Relko)を産み、
エッティーがリブルスデール・ステークス(GⅡ、1マイル半)に勝って愛オークスで4着したミス・ボニファーチェ Miss Boniface (1985年 鹿毛 父タップ・オン・ウッド Tap On Wood)を出します。彼女はアメリカでも走り、セリマ・ステークス(GⅠ)で3着でした。
ミス・ボニファーチェの娘クラシック・ファン Classic Fan (1994年 鹿毛 父レア―・ファン Lear Fan)はイギリスで3歳時のみ5戦して未勝利。
更にその娘ブルーム・ルージュ Plume Rouge (2000年 鹿毛 父ピヴォタル Pivotal)はケヴィン・ブレンダーガスト師が管理し、アイルランドとアメリカで走り、13戦2勝。この馬がジェット・セッティングの2代母に当たります。
ブルーム・ルージュはリステッド戦のフェアリー・ブリッジ・ステークス(7.5ハロン)に勝ち、愛1000ギニーは5着。
そして娘ミーン・レー(2006年 鹿毛)はジム・ボルジャー夫人がオーナーとなり、ボルジャー厩舎で2歳から4歳まで15戦して1勝。勝鞍は7戦目、3歳時にダンダルク競馬場の7ハロンのハンデ戦で記録したもので、G戦での出走経験はありませんでした。
ミーン・レーの初産駒ソフィラ・シルヴァー Sophira Silver (2012年 芦毛、牝 父ヴァーグラス Verglas)は、現時点では8戦して未勝利。続く2番仔が今年の愛1000ギニー馬ジェット・セッティングです。
以上、基礎牝馬から18代を駆け足で見てきましたが、これだけ世代を経れば英国の半血種と雖も血統的なハンデはほとんど消え去っているでしょう。愛1000ギニーに関しては、ジェット・セッティングはこの牝系では3頭目、クラシック・レースについては5頭目・6勝となりました。
特に日本では今後もクラシック馬を輩出する可能性があるのではないでしょうか。
最後にジェット・セッティングの父ファスト・カンパニーに付いて。
この種牡馬はデインヒル・ダンサー Danehill Dancer を父に持ち、競走馬としては2歳時に3戦2勝の実績しか残していません。それでもロイヤル・アスコットでアコーム・ステークス(GⅢ)に勝ち、デューハースト・ステークス(GⅠ)では2着。
シェイク・ハムダン・ビン・ラシード氏が現役途中で将来性を見込んで購入、ジェット・セッティングは2年目の産駒に当たります。初年度産駒には愛1000ギニーで3着したデヴォンシャー Devonshire が出ており、活躍はこれからという種馬でしょう。
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