パシフィカ・クァルテットのショスタコーヴィチ・プロジェクトⅠ

サントリーホールのブルーローズではベートーヴェン・ツィクルスが進行中。その向う張ったワケでもないでしょうが、鶴見のサルビアホールでは開館5周年を祝してショスタコーヴィチ・プロジェクトがスタートしました。
もちろんショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全曲演奏会で、こちらはサントリーのベートーヴェン・サイクル第1回を3日間で弾き切ったパシフィカ・クァルテットが担当します。サルビアのSQSは基本的に異なる団体による3回のコンサートで構成されるシーズン制を採用していますが、このプロジェクトはシーズン19としての特別企画で、4回のコンサートでショスタコーヴィチ全15曲を完走の予定。
記事のタイトルは表記としましたが、今までの慣例に倣えば「第61回」から「第64回」までの4回を構成することになります。

最初に断わっておきますが、サントリーホールとサルビアホールのアクースティックには決定的な差があります。良し悪しではなく、響きそのものの本質的な相違と言って良いでしょう。赤坂のベートーヴェンと鶴見のショスタコーヴィチを同じ視点で比較する積りはありません。
と言いながらも、パシフィカのショスタコーヴィチ体験は圧巻。こういう経験が出来たことは一生の宝、とでも言いたい位。今回は鶴見のプロジェクトだけのための来日だそうで、他では絶対に聴けないパシフィカ。未だ単独券の発売もあるそうですから、一回だけでも聴かれることをお勧めします。
その初日、第61回SQSは以下のプログラムでした。↓

ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第1番ハ長調作品49
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第2番イ長調作品68
     ~休憩~
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第7番嬰ヘ短調作品108
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第3番ヘ長調作品73

2011年サントリーでのベートーヴェンでは初期・中期・後期をバランス良く組み合わせたパシフィカですが、ショスタコーヴィチは基本的に時系列でのプログラミングになっています。
今回のカラー印刷特別プログラムで渡辺和氏が書かれた紹介文によると、「ショスタコーヴィチ(の弦楽四重奏曲)は生涯に亘り創作され、スタイルの発展が力強いものである故に、時系列での演奏がより説得力がある」(セカンド/バーンハートソン談)とのことで、あとは演奏会の長さのバランスを考慮して選曲されている由。
これまでパシフィカはヴィグモア・ホールを始め幾つかの都市でショスタコーヴィチ全曲に挑んできましたが、短期一挙演奏するのは今回が初めてだそうで、彼等にとっても特別な試みだそうです。

通常のSQS回顧に戻ると、パシフィカのサルビア登場は2011年6月(第2回)と2014年6月(第34回)に続いて3度目。前2回でも夫々第8番、第2番を取り上げており、パシフィカのショスタコーヴィチは既に体験済みのゾーンでもありました。
またショスタコーヴィチ作品と言う視点から振り返れば、これまで様々な団体が1・2・7・8・9番を取り上げており、比較的聴く機会の多くなっている昨今の傾向を映し出していると言えそう。少し前までは8番が飛び抜けていて、他は珍品だったことを思えば隔世の感があります。

ショスタコーヴィチは24の調全てで四重奏を作曲する意図があった、という解説を何処かで読んだ記憶がありますが、例え時系列に並べても選曲に意味があるように感じてしまうのが如何にもショスタコーヴィチ。聴く方も作品間の関連などもついつい気になってしまうプロジェクトではあります。
その辺りも交えながら、一曲づつ衝撃を記録しておきましょう。

冒頭の1番はショスタコーヴィチ自身が「春」とでも名付けたいと呼んだ作品。交響曲のオフィシャルな顔とは異なり、くつろいだショスタコーヴィチが聴ける筈です。
主調はハ長調、第1楽章は簡潔なソナタ形式で激高することも無く、これがショスタコーヴィチかと疑う様な天衣無縫のメロディーで終了。ヴィオラで革命歌を思わせる主題が始まり、明るさを増した中間部(第4・5変奏)を挟んでヴィオラが回帰する変奏曲でありながら三部形式でもある第2楽章、嬰ハ短調で、これまた青春感満載の中間部を挟む第3楽章のスケルツォ。
ここまでは淡々と進んだパシフィカですが、やはりソナタ形式のフィナーレに入るや本性が炸裂。4本の弦が一つに纏まってホールを満たし、ハ長調の圧倒的な凱旋節で聴き手を唖然とさせました。彼等を初めて聴いたファンたちの度肝を抜いたであろうことが容易に想像できます。第1番からこの状態、この先はどうなることやら・・・。

前回も取り上げた第2番は簡潔に。
主調とは同名短調のイ短調で始まる第4楽章、序奏の後に登場する主題は、先ほど聴いた第1番の第2楽章革命歌と良く似た性格で、同じくヴィオラで始まります。1番と2番を続けて演奏することに意義すら感じてしまうほど。
これが次第に熱を帯び、最後は明るい主調に転調して行く色調の変化の鮮やかなこと。チェロの3連音が舞台の床を揺るがせ、ヴィオラがここぞとばかり叫ぶスリリングな展開は、迫力を通り越して恐怖すら覚える迫力でした。
この2曲だけでお腹一杯。ほぅ~、と溜息を吐いて思わずロビーに出てしまいます。

後半は、比較的短い3楽章の第7番から。3番→4番と順番通りでないのは、7番が短い上に、出だしが3番に良く似ているからかもしれません。
第1楽章の終わりには第2楽章が、第2楽章の終わりには第3楽章が予告の様に顔を出すのも第3番の特徴。第2楽章では4人全員が演奏している箇所が少なく、4人が揃ってもヴィオラとチェロはユニゾンだったりと、前半の2曲に比べて遥かに内省的な印象がするのは、この作品が亡き最初の妻ニーナに捧げられたためでしょうか。ショスタコーヴィチが内向きになるのは、ニーナの死が発端だったという説もあるようです。

弱音器を付けた ff で始まる第3楽章フィナーレ。鼻を摘まんだような独特な音色で始まり、ヴィオラから始まる激しいフーガ。これぞパシフィカの真骨頂で、チェロ/ブランドンの目は獲物を前にした肉食獣のよう。
第1楽章の主題が真逆の表情で圧倒的に回帰した後、音楽は不気味なワルツに豹変。第1楽章と同じように主題がピチカートで再現するのは、亡妻の追憶か。作品は安らかに pp で閉じられます。

そもそもショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲でフォルティッシモで閉じられるのは1・2・9・12の4曲だけ。後は全て消え入るような終わり方。四重奏こそがショスタコーヴィチの「本音」と言われるのもこのためかも知れません。

静かに終わる四重奏の最初を飾ったのが、この日の最後に演奏された第3番。7番と対照の如く5楽章から成り、中央に鎮座する第3楽章は激しさと攻撃性の象徴でしょう。
第3番の四重奏は交響曲の第8番と第9番をモデルにしているような趣があり、四重奏の中では最もシンフォニックな作品と言えそうです。

冒頭第1楽章は、アレッと思うほどに第3番そっくり。第9交響曲ソックリの茶化したムードも色を添えます。第8交響曲第3楽章の姉妹篇の様に始まる第2楽章は、トリオ部分でワルツに突入。この pp によるスタッカートで聴かせたパシフィカの冷笑的な表現は息を呑む素晴らしさ。
これに続くスケルツォの大迫力は第1夜の白眉だったでしょう。2拍子と3拍子の交替から来る緊迫感、4人が体を楽器にぶつける様に弾く視覚的な壮絶感、この間我々は果たして呼吸していたのだろうか。

パッサカリアの第4楽章は、悲しみと絶望。明らかに第8交響曲を想起させる楽想で、最後はヴィオラとチェロ二人による静かな会話。リゴレットと刺客スパラフチーレの場面を思い出してしまいました。
終楽章は二つのエピソードから成るロンド・ソナタですが、悲痛な前楽章のパッサカリア主題が再びヴィオラとチェロの間で激論を交わす。それも何時しか収まり、下3本の弦による持続音に乗ってファーストが第1エピソードを回想しながらピチカート3回で全体を閉じる。シミンは最後の3音にディミニュエンドを掛けていたように聴こえましたが、気の所為だったでしょうか。

第1夜の感想を一言で表現すれば、パシフィカ台風が鶴見を襲い、立木を軒並み薙ぎ倒して行った、とでも言ったらよいでしょうか。予想していたこととはいえ、改めてショスタコーヴィチの面白さ、パシフィカの凄さに圧倒されました。残り3夜がどうなるか、期待は募るばかり。こちらの体力が果たして保つか。

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