パシフィカ・クァルテットのショスタコーヴィチ・プロジェクトⅡ

6月10日にスタートしたパシフィカ・クァルテットのショスタコーヴィチ・プロジェクト、昨日13日に第2夜が行われました。基本的に時系列でほぼ番号順に演奏する今回のツィクルス、2回目は前回演奏された第7番を除く第4番から第8番まで。
偶然か意図したものかは判りませんが、プログラムの組み立てにもチョッとした工夫が施されているようにも感じられます。

ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第4番ニ長調作品83
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第5番変ロ長調作品92
     ~休憩~
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第6番ト長調作品101
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第8番ハ短調作品110

その工夫、私なりに勝手に解釈すれば、プログラム前半を閉じる第5番と後半を締め括る第8番が、共に他作品(自作も他作も)からの引用が用いられていること。これに加えて作曲者のイニシャルである「D・S(Es)」や「D・S(Es)・C・H」の音型が自身の象徴として使われていることが挙げられるでしょう。どちらもフラット系の主調で書かれていることも共通しています。
対して4番と6番は共にシャープ系の主調。特に6番はショスタコーヴィチ作品としては寛いだ気分、素朴で田園的雰囲気に満ちたもので、続いて演奏される8番の厳しく、深刻な空気とは決定的な対照が聴き取れます。一つの演奏会として聴いても、ショスタコーヴィチの様々な自画像が浮かび上がってくると言えそうですね。

パシフィカ台風は2日目も勢力衰えず、更に作品のミステリアスな雰囲気、謎めいた仄めかしの表現も適切で、より多彩な演奏会だったと言えるでしょう。

最初の第4番は全4楽章。第1楽章は主音Dのドローン(音を長く引っ張る奏法)がEに上がり、再びDに戻る小さいロンドで、その間に4本の弦が極めて高い音で議論を交わす短い楽章。第2楽章も短く、ファーストが歌うロマンスが印象的。後半はショスタコーヴィチお得意のワルツ風な音楽に変りますが、アイロニーが含まれているのは勿論のこと。
全員が弱音器を付けて演奏する第3楽章のロンドは、チェロにコッソリ出る様なテーマが革命歌風。革命を連想させる歌は初日に聴いた第1番と第2番にも共通していて、前回の衝撃を思い出します。これが調子に乗ってギャロップ風に展開して行く所は如何にもショスタコーヴィチならでは。それでも終始弱音で進行して行くので、「当局に聞かれてはまずい会話」を交わしているみたい。
このヒソヒソ話がヴィオラのフラジォレットによるハ音だけを残す所から第4楽章に突入。やがてファーストに出る主題がユダヤ旋法で、ショスタコーヴィチのもう一つの顔。ユダヤの民族祭は次第に昂揚し、チェロの歌を囃すピチカートは手拍子のよう。それも次第に弱まり、作品は第2楽章ロマンスの最後を思い出すように閉じられます。何とも意味有り気な終わり方。

4番は余り演奏される機会が無いので、ついつい長居をしてしまいましたが、次の第5番は珍品と言うほどでも無いでしょう。全3楽章ですが、楽章間はアタッカで繋がっているので、単一楽章の様な長さを持っています。
第1楽章の最初にヴィオラが奏する付点リズムを持った短い動機が、ショスタコーヴィチの頭文字を判らないように組み替えたもの。引用はこれだけではなく、第1楽章の頂点、練習番号29の fff から2本のヴァイオリンに出るのが作曲家の友人ガリーナ・ウストヴォルスカヤのクラリネット・トリオのテーマ。面白いのはチェロとヴィオラが同時にショスタコーヴィチ主題を出すことで、明らかに隠されたメッセージがあるでしょう。
ウストヴォルスカヤとショスタコーヴィチは一時恋愛関係にあったという噂もあって、この四重奏曲の私小説的な性格を証明しているように思います。葛藤は何時しかワルツに代わり、ウストヴォルスカヤが二拍子に載って舞います。このチグハグ感も態と演出しているのでしょう。

第2楽章ではショスタコーヴィチの歌劇「ムツェンスクのマクベス夫人」からカテリーナのアリア「セリョージャ、いとしい人」がファースト・ヴァイオリンに登場。この問題作、四重奏が書かれた時は上演禁止中で、この引用に気付いた人は極く一部の人だけだったはず。ウストヴォルスカヤが知っていたかを想像するのも面白いでしょう。
第3楽章はロンド・ソナタ形式でしょうが、ヴィオラから始まるワルツが耳に残ります。音楽は5拍子も交えて再び激高、またも頂点でウストヴォルスカヤが叫び声を上げます。ここを聴いていると、ベルリオーズの幻想交響曲に登場する「女性」の固定楽想を思い出さずにはいられません。何事も無かったようにワルツが戻り、またしても意味有り気な終わり方で全曲を静かに閉じます。

プログラム後半を開始するのは、ショスタコーヴィチのクァルテットでは珍しく穏やかな第6番。2番目の妻マルゲリータ・カーイノヴァとの蜜月中の作品であること、ショスタコーヴィチ自身の50歳の誕生祝の意味も兼ねていたこと故でしょう。
全4楽章、平井プロデューサーの曲目解説にも指摘があるように、各楽章の終結部が同じという凝った作りになっています。個人的な解釈ですが、これはハイドンも試みた手法で、ショスタコーヴィチのハイドン讃的な意味もあるのじゃないでしょうか。

古典への回帰という意味では、第3楽章がパッサカリアで書かれているのも注目。ショスタコーヴィチがパッサカリアを書くときは「死」を意味することが多いのですが、これは寧ろバッハへのオマージュと言う印象。変ロ短調がそのままト長調に移調し、田園的な第4楽章にアタッカで流れ込みます。
全体的には穏やかに流れますが、頂点で第3楽章パッサカリアの主題がチェロとヴィオラにカノン風に出る所が、ショスタコーヴィチはタダでは起きない、という証拠。最後はフィナーレのテーマが逆行するような工夫を取り入れながら、先立つ3つの楽章とソックリに終わるのでした。

最後の第8番は、恐らくショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲では最も演奏頻度の高い作品でしょう。実際、パシフィカもサルビア初登場時に続き2回目。4番から6番までの様に細部に触れる必要は無いでしょう。
それでも書いて置きたいことは、献呈者が「ファシズムと戦争の犠牲者の想い出に」と不特定多数になっているものの、本音ではファシズム=共産主義(スターリニズム)、犠牲者=作曲者自身であることで、それを頭に入れて聴き進めば、様々な引用や描写的場面も納得できるというもの。

パシフィカの演奏は理想的。通して演奏される全5楽章を集中して聴くのは厳しいものがありますが、聴いた後の感銘深さは他のグループ、別のホールでは味わえない圧倒的なものがありました。

最後はこちらをご覧あれ、↓

http://www.pacificaquartet.com/news.php

創設以来パシフィカを引っ張ってきたファースト・ヴァイオリンのシミン・ガナートラがパシフィカを去る、というニュースです。これは日曜日にエクの演奏会の折、同好の士から知らされた情報。簡略に言えばシミンが活躍の場を更に広げるため、教育活動にも一層傾注するためのタフな決断だったということ。
2代目のファーストが誰になるのかは現時点では発表されていませんが、シミンをリーダーとするパシフィカは恐らく今回のショスタコーヴィチが最後になる筈。
彼女の弾むようなソロ、恍惚とした表情、そして何よりもパワフルで自身に満ちたヴァイオリンの音が聴けるのはこれが最後。乗ってくると脚を少し上げて弾く彼女の演奏スタイルを残る2回、しっかりと目に、もちろん耳にも焼き付けておきましょう。

 

 

Pocket
LINEで送る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください