パシフィカ・クァルテットのショスタコーヴィチ・プロジェクトⅢ

前日に続いて鶴見のサルヴィアホールで行われているパシフィカ・クァルテットによるショスタコーヴィチ・プロジェクト、昨日6月14日の火曜日は第3夜でした。
全15曲を4回に振り分けるので、4×4=16となり、何処かで3曲プログラムが発生します。昨日がその会で、次の3曲が演奏されました。

ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第10番変イ長調作品118
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第9番変ホ長調作品117
     ~休憩~
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第12番変二長調作品133

残るは第9番以降ですが、前半が9→10では無く入れ替えられていたのは、作品の性格によるものでしょう。11番を飛ばして後半に12番が選ばれたのも同じ。演奏効果を考えた上での配列と思われます。
ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲に精通したファンなら直ぐに気付くと思いますが、これは大変な演奏会になるぞ、と身構えたはず。初日の前半で圧倒されたパワーを再び体感することになりそう。

9番と10番は並行して作曲されており、性格的には対照的。今回もそうでしたが、2曲を並べて演奏するなら10番を先に取り上げた方がより効果的でしょう。比較的穏やかな10番は定型の4楽章制。友人の作曲家ヴァインベルグに献呈されていますが、パシフィカQはショスタコーヴィチ全集のCD番でこの作曲家の作品(弦楽四重奏曲第6番)も同時に録音しています。
譜面を見ると、音符の数よりも空白の方が目立つソナタ形式の第1楽章。再現部の後にヴィオラがスル・ポンティチェロで奏する個所の鼻を摘まんだような音色が不気味、というか面白い。
「怒ったように」と指示されたスケルツォの第2楽章は、パシフィカの独壇場。シミンがG線をタップリと鳴らす迫力に、聴き手はタジタジ。ブランドンのチェロも、トリオ部での16分音符の挑みかかる様な弾き方が圧倒的で、その目力にも圧倒されます。

ガッガッガッ、という終結に仰け反ったまま第3楽章。ここでもチェロが朗々と歌うパッサカリアに心打たれますが、アタッカで続く一見軽快な第4楽章のクライマックスで、前の楽章のパッサカリア主題が fff で再現する所は、前日聴いたばかりの第6番と同じ構成。6番と10番の共通点にも気が付きます。
全体は静かに、ファーストの高い「変ホ」が pp で3度鳴らされて終焉。

その変ホ音を主調に据えたのが、前半を締め括る第9番。ショスタコーヴィチの3人目の妻イリーナ・アントノーヴナに捧げられていますが、彼女は余程気性が激しかったのでしょうか、特に終楽章の尋常ではない迫力に圧倒されてしまう作品です。
全体は5楽章ですが、全体はアタッカで結ばれ、単一楽章のよう。中央の第3楽章自体がアーチ構造になっていることもあって、極めて構成感に富んだシンフォニックな大作。ショスタコーヴィチの全15曲の中でも最高傑作、もっと頻繁に演奏されるべきだと個人的には思います。

パシフィカの演奏は、そうした想いを裏付けするような大変な名演で、休憩時間にはロビーに思わず飛び出したほどに息詰まるまでの気迫に圧倒されてしまいました。
第1楽章冒頭にセカンドが紡ぐのは「波のモチーフ」。みれに乗ってファーストが第1主題を静かに(tranquillo)歌い出しますが、私的にはマーラーの大地の歌を連想する場面。第2楽章はベルクのヴォツェックでマリーの歌う子守歌を連想させるという解説者もいますが、ここが僅かに献呈者イリーナを想起させるのでしょうか。
ドドレドシーという一度聴いたら耳を離れない音型がファーストに出る所からが、第3楽章。音楽は直ぐにギャロップに替り、グリッサンドやピチカートが飛び交うスリリングなショスタコーヴィチ節。最後にセカンドが高い音で暗示するのが、第4楽章の主題。このコラールはファーストが密かに奏でる「波のモチーフ」に乗って三度繰り返され、セカンドとヴィオラが激しいピチカートのソロで繋ぎます。音より空白の多いアダージョ。

波のモチーフに拘っていたファーストが、同じモチーフから派生した短い動機を ff で決然と始める所からが終楽章。ユダヤ教の祝祭を思わせるようなリズムも闖入し、短い動機が各パート間でフーガ風に駆け回ると、小節線の無いカデンツァに突入。ブランドン/チェロが憑かれた様に独白を開始します。
これを全員の強烈なピチカートが遮り、再び波のモチーフに次いで第3楽章のギャロップも加わり、熱狂的な終結へ。ダンダダ・ダンダンダンダンッ!! と決然たる fff が終わると、会場は大興奮。パシフィカの9番、このメンバーでは最後となる名演奏を聴き逃した人は、生涯の悔いとなるでしょうナ。

後半は、敢えて言えばショスタコーヴィチの後期に属する第12番。第1番と最後の第15番を除くショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲13曲を全て初演してきたベートーヴェン弦楽四重奏団のメンバー一人ひとりに捧げた4曲の中の1曲で、12番はファースト・ヴァイオリンのドミトリー・ツィガーノフに献呈されたもの。
ショスタコーヴィチの後期作品には伝統的な4楽章制は1曲も無く、12番は短い第1楽章と、長~い第2楽章から成る特殊な構成。

第1楽章はチェロのソロで始まりますが、12の音を全て含んだ「12音主題」。まさか番号の12にこじ付けたワケではないでしょうが、シェーンベルクとは違って完璧にショスタコ・ワールド。やがて第9番を支配していた「波のモチーフ」が出てくるのも、プログラム構成上の妙と言えましょうか。
形としては変奏曲でしょうが、ショスタコーヴィチ得意の皮肉っぽいワルツが登場し、聴いていて誰の作品か決して間違うことの無い刻印を感じさせます。

長大な第2楽章はアレグレット→アダージョ(緩徐楽章相当)→モデラート→アダージョ→モデラート(第1楽章の再現、波のモチーフ)→アレグレット(スケルツォ相当)と変化し、最後は同音8分音符四つの動機を徹底的に繰り返しながら激しく終結します。
この間に12音主題も織り交ぜられ、作品全体は一つの統合体と言えるでしょうか。

今回パシフィカの熱演に接し、私が思ったのは、第12番の第2楽章(フィナーレ)は形こそ違えど、ショスタコーヴィチ版の「大フーガ」ではないか、ということ。もちろんフーガではありませんが、規模の大きさと精神的なタフさが、ベートーヴェンと共通していることに気が付きました。
ショスタコーヴィチ芸術の一つの頂点だと思慮します。この楽章だけ単独で演奏するのも可也、なんて、ね。

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