クァルテット・エクセルシオのベートーヴェン・サイクルⅣ

ショスタコーヴィチ2連発の後は、ベートーヴェン・サイクルの4回目。そろそろ体力の限界が近付いてきたようです。赤坂と鶴見で見回すに、流石にどちらも皆勤賞という人は少ないようですが、途中でダウンしたという熱心な聴き手もいました。
エク情報によれば6月15日の第4夜はチケット完売だったそうで、滅多な事では弦楽四重奏の演奏会には顔を出さないような○○系批評家の姿も見かけるエクのベートーヴェン・ツィクルスではあります。その第4回は、

ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第1番ヘ長調作品18-1
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第9番ハ長調作品59-3「ラズモフスキー第3番」
     ~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131

例によってプログラミングの調関係を考察すれば、今回の3曲は真ん中にハ長調の大作を置き、前半がフラット系、後半はシャープ系の作品。
それも第1番は徹底的にフラット系で、音楽的にも中心となる第2楽章もフラット一つのニ短調で書かれています。その他の三つの楽章は主調のヘ長調。

対する後半の1曲、作品131は珍しい嬰ハ短調で、シャープは4つ。周知の様に切れ目のない7楽章から成りますが、全てがシャープが二つから五つの間を行き来する調性が選ばれ、♯系調性の総合商社的な作品でもあります。
偶然でしょ、という人もいるでしょうが、やはりサイクル演奏としての意図、意志が込められていると解釈したいと思います。

この効果は知らず知らずに聴き手の耳にも訴えかけてくるようで、3曲夫々の特徴、初期・中期・後期の質感も明確に聴き取れます。時代的には時系列で進むので、ベートーヴェンが生活していた時代の社会的背景も垣間見えるよう。
繰り返しになりますが、古典的で端正な第1番。壮大で刻みのパワーが迫るラズモフスキーの第3。思索的で形式の束縛からは自由、人間がここまで至高の高みに達することが出来るのかと茫然自失するほどの作品131。どのフレーズ、どのニュアンスにも曖昧さの無い決然としたエクの演奏。

やはり最後の第14番に圧倒的な感銘を受けるのは、クァルテット・エクセルシオの演奏が優れているというだけではなく、ベートーヴェンその人が音楽的にも人間的にも進化発展の人だったからに違いありません。
もしベートーヴェンがいなかったら人類はどのような文化を所有したのか、人類自体に春夏秋冬があるとすれば、現代の我々はどの時代に活きているのか、とまで考えさせてしまうのが、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲演奏の意義なのかもしれません。

今年のサイクルも残すはあと一晩。第4コーナーを回って最後の直線、とでも言う切所に差し掛かってました。

 

 

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