パシフィカ・クァルテットのショスタコーヴィチ・プロジェクトⅣ

個人的には先週の木曜日から8日間連続となった演奏会通い、昨日の木曜日はパシフィカ・クァルテットのショスタコーヴィチ・プロジェクトで目出度く締めとなりました。
シミンを聴ける殆ど最後の機会となる鶴見、流石にコアな室内楽ファンが集って会場は満席。ホールは梅雨空を吹き飛ばすような熱気に包まれていました。

コンサート開始前の会話。サルビアではショスタコーヴィチはどのように演奏されてきたかも話題でしたが、記録をひっくり返してみると、今プロジェクト前に取り上げられたのは1・2・7・8・9番の5曲のみ。パシフィカが前2回で2番と8番を演奏しており、夫々今回が2回目。
1番と9番はアトリウムがロシア・プロの前半で演奏し、7番は今秋に再登場するパヴェル・ハースが取り上げていました。更に1番はシューマンQも弾いたし、2番はモルゴーアが。やはり人気のある8番はカザルスQとエクセルシオも取り上げており、ショスタコでは今回で最多の4回目の演奏と言うことでした。

従って、第4夜に取り上げられる4曲は全曲がサルビア初登場、この面からもショスタコーヴィチ全曲が完成することになるのですね。
それにしても最後の4曲は、これまでの作品とは別の意味でもタフな曲々。演奏者の意向もあって、最初の2曲の後に小休憩を挟んで第14番。休憩の後に最後のクァルテットという順番となりました。

ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第11番ヘ短調作品122
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第13番変ロ長調作品138
     ~小休憩(5分)~
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第14番嬰へ短調作品142
     ~休憩(20分)~
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第15番変ホ短調作品144

これまでの3回と同じように作品内容にも触れて行けば、第11番はベートーヴェンQの第2ヴァイオリン奏者・故ワシリー・ペトロヴィチ・シリンスキーの想い出に捧げられた作品。ショスタコーヴィチの11番から14番までは全て、これまで作曲者の弦楽四重奏曲のほとんどを初演してきたベートーヴェンQの奏者たち一人ひとりに捧げられています。
全7楽章、というよりも7つのタイトルが付けられた短いピースが続けて演奏され、単一楽章として聴こえてくる組曲風の構成が、ショスタコーヴィチ独特の世界。序奏→スケルツォ→レシタティーヴォ→練習曲→ユモレスク→エレジー→終曲の順に進んで行きます。
ソナタ形式の複雑さは避けられ、曲想の変化、万華鏡的な世界を静かに楽しむ一品、とでも申せましょうか。

4人が同時に演奏する個所が極めて少ないのがショスタコーヴィチ後期のスタイルで、第11番はファーストのソロで始まります。最後に参加するチェロが奏するのが全曲の基本動機。
第2楽章もファースト・ソロが極めて音域の狭いテーマ(3度以内に収まってしまう)を奏して開始され、時折色を添えるグリッサンドが効果的。第3楽章は初めて ff の強音が響き、これを静かにコラールが受け継ぐと、直ぐに第4楽章。ここでも前楽章で出たコラールが支え、チェロの激しい16分音符の連続が駆け抜けると、セカンド・ヴァイオリンがカッコウの鳴き声を模して第5楽章。
コラールとレシタティーヴォが回想され、重い付点リズムで第6楽章へ。最後の弦楽四重奏でも一貫して登場する葬送リズムが次第に弱まって最後の終曲。それまでの楽章が思い出の様に耳を過り、最後はファーストの高いC音で消えて行きます。

一度だけ舞台裏に戻ったパシフィカ、拍手が続く中、直ぐに第13番が演奏されます。スコアには楽章番号は一切無い単一楽章で、ヴィオラ奏者ワジム・ボリソフスキーの70歳を祝して書かれた作品。
ヴィオラ奏者に献呈されただけに、常に主導権を任されるのがヴィオラ。冒頭のソロは4つの音が3組、即ち第12番と同じように12音で構成されるテーマで開始されます。第2主題はロシア正教の祈りのよう。跳躍の大きいエピソードが fff で決然と奏されると、音楽は唐突にジャズの世界。
ここは中間部に相当し、12音主題に基づくジャズを彩るのが、ジャム・セッションを模した打撃音。このノイズ音は楽器の横や裏、時には底を弓の裏側で叩くもので、ヴィオラからセカンド、最後はチェロも参加して行きます。

ジャズが収まると、エピソード再現から主部のアダージョに戻り、ヴィオラの長いソロによる聴かせ所。作品の最後はやはりヴィオラが独り残り、ジャム・セッションの名残が遠くで響くよう。
特異なのは最後の30数小節で、チェロはここから最後までは一音も発しません。ヴィオラのソロにセカンドが僅かに打撃音を6回だけ叩き、最後の4小節はヴィオラにセカンド、ファーストが続いて高い「シ」音を pp から sffff まで急速にクレッシェンドして突如の終結。これをチェロが静かに見つめるという、これまでに無い様な「弦楽四重奏曲」の終わり方で聴き手を驚かせます。

息詰まるような緊張感から解放され、一旦は短い休憩に。

この日の3曲目は、チェロ奏者セルゲイ・ペトロ―ヴィチ・シリンスキーに捧げられた第14番。全3楽章ですが、第2楽章と第3楽章はアタッカで繋がれ、大きく言えば二つに分かれた作品。その意味では第3夜に演奏された第12番と似ていなくもない。
これまた4人が一斉に弾く箇所は少なく、最初はヴィオラとチェロだけ。それもヴィオラは Fis を長く保持するだけで、チェロが独りテーマを奏するのは、チェリストに捧げられたため。第24小節になって最後に漸くセカンドが加わるのは、亡くなったセカンド、シリンスキーを追悼する意味があるのだとか。第1楽章後半でヴィオラがバッハ風のシャコンヌを一人独奏するのは、これもヴィオラ奏者で鬼籍に入ったボリソフスキーを偲ぶため。このシャコンヌの逆行形の様なソロをチェロが奏し、第1楽章を終えます。

淡々とした第2楽章のアダージョは三部形式。この楽章で登場する美しいチェロの歌は、ショスタコーヴィチ若き日の回想のよう。最後に一人残ったファーストのピチカートが、やがてメロディーに変化して行く所からが第3楽章。このテーマは捧げられたチェロ奏者セルゲイの愛称である「セリョージャ」の綴りをロシア語音名に当て嵌めたものだそうで、シリンスキーを意味します。私はロシア語に不案内なため、何処がどうなのかはサッパリですが。
このセリョージャ、ショスタコーヴィチの歌劇「ムツェンスクのマクベス夫人」の第4幕で主人公カテリーナが歌う「セリョージャ、私の大好きな人」から引用されているそうで、2日目に演奏された第5番と第8番でも引用されたテーマ。ショスタコーヴィチの謎めいた世界そのものでしょう。
ロンド楽章も全員が同時に合奏する個所は極めて少なく、最後は嬰へ長調の明るい和音が静かに消え入り、全曲を閉じます。

本物?の休憩の後は、愈々プロジェクト最後の作品、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲としても最後の第15番です。もちろんショスタコーヴィチはこれを最後にする積りではありませんでしたが、後世から見れば最後のメッセージ。全6楽章がアダージョという特殊な構成が、より「死」と結びつけてしまうのではないでしょうか。
それにしても何と言う音楽。全体はエレジー→セレナード→間奏曲→夜想曲→葬送行進曲→エピローグで構成され、この点では最初に演奏された第11番と似ています。しかし全てアダージョで書かれていることもあり、ペシミスティックな風貌は隠せるものではありません。聴き手にも異様な緊張感が要求されるでしょう。

冒頭はセカンドが歌い出すドリア旋法によるコラール。ファーストが和しますが、チェロ、ヴィオラが加わるのはかなり楽章が進んでから。何処まで弱音の世界が続くのかと思っている内に、ファーストが急激にクレッシェンドを掛けて第2楽章。このクレッシェンドがファースト→セカンド→ヴィオラの順に12回続いて、激しいピチカートが遮ります。ここから漸くチェロが参戦。音楽はワルツに移行しますが、テンポはスローで不気味、とてもセレナードという雰囲気じゃありません。
チェロが独り残る所、唐突にファースト・ヴァイオリンが狂ったようなパッセージを ff で弾き始めるのが第3楽章。チェロはホ音を保持したまま動きません。
全員が弱音器を付けて弾く第4楽章は、やはり夜想曲というロマンチックな曲想とは裏腹。ヴィオラがテーマを弾きますが、ファーストが参加してくるのは楽章も23小節を過ぎてから。最後には次の楽章、葬送行進曲を予告するリズム主題が顔を出します。

この葬送行進曲、一般的な解説ではベートーヴェンの月光ソナタの引用と解説されますが、私はどうしてもエロイカの葬送行進曲を連想してしまいます。連想と言えば、特に書かれている解説は見たことがありませんが、ワーグナーのトリスタン主題も聴こえてくるよう。何でも無いフレーズさえも何かの引用として聴いてしまうのは、聴く方が悪いのか。
これまた隙間だらけの譜面を追って行くと、愈々最後のエピローグ。頻繁に出るトリルは幽霊の出現と解説する批評家もいます。弔いの鐘、と評されるピチカートの連続、葬送行進曲のリズム回想を経て、コーダはヴィオラのソロがトリル(幽霊)に替り、変ホ短調の主音と属音で静かにショスタコーヴィチ・ツィクルの幕が下りました。

パシフィカQによる稀有な体験となったショスタコーヴィチ・プロジェクト。4人を讃える拍手は終わることを知らず、何度も続くカーテンコールがツィクルスの成功を証明していました。
終演後も後ろ髪を引かれたファンたちでロビーは一杯。二人の可愛い娘を連れてシミン/ブランドン夫妻がサイン会に現れると、再び盛大な拍手。4人の雄姿を収めようとスマホを翳す人たち、サインを求める長い列。

驚いたことに、彼等はこの日の深夜便で帰国の途に就くとのこと。現代の演奏家は演奏そのものだけでなく、無茶な移動に耐える体力も必要なのだと、改めて感服してしまいました。タフな連中だからこそ可能な演奏会であり、楽旅なのです。
改めてファースト/シミン・ガナートラ、セカンド/シッビ・バーンハートソン、ヴィオラ/マスミ・バーロスタード、チェロ/ブランドン・ヴェイモスに感謝を送りましょう。ブラヴィ~!!
残念ながらシミンは間もなくパシフィカを去ります。次に彼等に出会える時には、新しいファーストも決まっている筈。さようなら、そして有難う、シミン。

 

 

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