読売日響・名曲聴きどころ~08年5月

 名実共にサントリーホーに吹き荒れた「スクロヴァチェフスキ」台風、任期1年延長というお土産を残して去ったばかりですが、早くも5月の準備。皐月は正指揮者・下野竜也の嵐が吹き荒ぶでしょう。
ということで5月号、まずは名曲シリーズです。今回はストラヴィンスキーのぺトルーシュカをメインに、前半はイギリス音楽という捻ったプログラムですね。イギリスとストラヴィンスキーの繋がりは、ということは後にして、まずぺトルーシュカから行きましょうか。
ところでぺトルーシュカ、二つの版が存在することはご存知でしょうが、果たして今回はどちらで演奏されるのか。私としては大いに関心があったのですが、どうやら1947年版による演奏だそうですね。ということで、  
            
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                               1947年版                      1911年版                          

日本初演はこれだそうです。
1937年4月21日 日比谷公会堂 ヨゼフ・ローゼンシュトック指揮NHK交響楽団(当時は新響)第178回定期演奏会。
年号から判断して1911年版だったはずですが、このコンサートは冒頭がシュタインベルクの第3交響曲、次いでぺトルーシュカがあり、後半(多分)がベルリオーズの「ローマの謝肉祭」とワーグナーの「タンホイザー」序曲という組み合わせ。どのような紹介がされたのか興味があります。
ローゼンシュトック/N響はぺトルーシュカを何と翌月の定期でも取り上げており(5月26日)、このときはレーガー(ベートーヴェン変奏曲)とドビュッシー(海)とに挟まれていました。
同コンビは、その後1940年、1944年にも定期で演奏。N響の名物出し物になった感がありますね。
改定1947年版の日本初演が何時なのかは不明ですが、同じN響が1948年に山田一雄の指揮で取り上げています。このときは「抜粋」と書かれていますので、あるいは1947年版に収録されている別のエンディングが使われたのかも知れません。どなたかご存知の方はおられませんか?
次に楽器編成。
フルート3(3番奏者ピッコロ持替)、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット3(3番奏者バスクラリネット持替)、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、打楽器3人、ハープ、チェレスタ、ピアノ、弦5部。打楽器はトライアングル、シロフォン、シンバル、タムタム、タンバリン、大太鼓とシンバルがセットになった一組、サスペンデッド・シンバル、スネアドラム3。
参考までに、1911年のオリジナル版はもう一回り大きい編成、いわゆる4管編成で、ハープも2台使われますし、グロッケンシュピールが活躍するのが目立ちます。トランペット属も、コルネット2、トランペット2で、より色彩的な工夫が凝らされているのです。
この二つの版に拘るのは、実は名指揮者エルネスト・アンセルメが1947年版を批判し、“彼自身に対する犯罪に他ならない”とまで極論し、1911年版しか認めていない事実があるからです。
ストラヴィンスキー自身でさえ、“第1版と第2版は、地質学的に言えば二つの層のようなもので、互いに何の関連もない”と証言しているほどなんですねぇ。
単にレコードなどで聴いているだけではこれほどの違いは感じられないかも知れませんが、実際にスコアを開けて両版を比較してみると、特に第1部などリズムの記譜からしてかなり異なります。
私自身の好みで言わせて頂ければ、やはり1911年版で演奏して欲しかった、というのが正直な気持ちです。
チョッと前置きが長過ぎました。反省しつつ聴きどころに行きましょうか。
「ぺトルーシュカ」、実に素晴らしい作品です。私個人の考えではストラヴィンスキーの最高傑作だと思っています。「春の祭典」以上の素晴らしさ。
そこのところをもう少し具体的に。
まず「ぺトルーシュカ」というタイトルですが、これはロシア農民によくある名前、ペーターの愛称ですね。ロシア農民というところに注目して下さい。ロシア農民の「象徴」なのです。
全体は4場で出来ていますが、第1場と第4場は同じ場面、カーニヴァルの市場ということになっています。詳しく言えば、キリスト教でいう「懺悔季節」直前の3日間の出来事で、ここに大きな意味が隠されているような気がしないでもない。
第1場はいかにも賑やかな音楽で始まりますが、全体は三つに分かれていると思えばよろしい。最初は賑やかな音楽ですが、いくつかのロシア民謡が使われています。
やがて手風琴のような雰囲気に乗ってクラリネットが小唄を歌います。実はこれ、ストラヴィンスキーのオリジナルではなく、彼がパリで聴いたハーディ=ガーディの音楽で、ミスター・スペンサーという男が作ったものなんです。盗作承知で使っていますから、ストラヴィンスキーはぺトルーシュカの版権収入の一部をスペンサー氏に分け前として支払っていたんだそうです。チョッと面白いエピソード。
第1場の第2部は太鼓が鳴って魔術師登場、フルートを吹きます。ここも1911年と1947年では全く違う音符で書かれていますね。魔術師はフルートで三体の人形に触れます。ぺトルーシュカ、ムーア人、踊り子の順に。ここは正に描写的に書かれていますから注意して耳を澄ましてください。最初(ぺトルーシュカ)は1番フルート、次の二人(ムーア人と踊り子)はピッコロで。これも意味があるのじゃないかしら。
そして第3部の有名な「ロシア舞曲」が始まります。この作品は元々ピアノ協奏曲として構想された素材から発展したものですから、最初に書かれたこの部分はピアノが大活躍。まるでピアノ協奏曲の趣が漂います。
今回のピアノ・ソロは野原みどりさん。オーケストラのどの位置で弾くのかも含めて楽しみにしましょう。
おやおや、こんなに細かく触れていてはスペースがなくなります。後は駆け足で。
さて第2場と第3場は、息を吹き込まれた人形の世界。実はここにストラヴィンスキーのメッセージが書き付けられている、と私は考えています。「ぺトルーシュカ」の正に心臓部。
第2場は「ぺトルーシュカ」。1911年版では「ぺトルーシュカの部屋」となっていますが、1947年版は単に「ぺトルーシュカ」。トランペットによるぺトルーシュカの叫びが印象的な場面ですが、注目はその前。クラリネット2本が摩訶不思議なハーモニーを聴かせます。
ここが解説書にも必ず取り上げられる、「複調」という手法なんです。「複」、つまり、ハ長調と嬰へ長調が同時に鳴らされる。ハ長調はCの音、嬰へ長調はFisの音が中心ですね。
このクラリネットのチョイ前の弦楽器の動きにもっと注目。コントラバスを除いた合奏の最後の音は「ハ長調」で、その後弾かれるコントラバスのピチカートは正に「嬰へ」で書かれているんです。続く複調の暗示になっているんですねぇ。
話は最後に飛びます。この曲の最後も弦楽器のピチカートで終わるのはご存知でしょう。ここでも最後の音は「嬰へ」、最後の一つ前は「ハ」であることに気が付いて欲しいですね。
つまりこの複調はぺトルーシュカそのものの象徴であり、最後にピチカートが鳴るのは、“ぺトルーシュカは不滅だ” ということの強烈なメッセージなのです。最初に紹介したとおり、ぺトルーシュカはロシア農民の象徴。ストラヴィンスキーがこのバレエを作曲していたとき、正に故国ロシアは革命の最中でした。ここにストラヴィンスキーの故国に対するメッセージを聴いても、決して誤りではないような気がします。
続けましょう。
第3場「ムーア人」(1911年版では「ムーア人の部屋」)では踊り子のワルツに重なるように、ムーア人のギクシャクした踊りが異様な感じを醸し出します。
踊り子のワルツは、ウィーンで活躍した、シュトラウスに先立つランナーの作品のパクリです。具体的に言えば、Steyrische Tanze 作品165と、ワルツ「シェンブルンの人々」作品200なのですが、原型を留めないほどに変形されています。
バレエの賑々しさは、第4場「カーニヴァルの市場」(ぺトルーシュカの死)で次々に登場するダンスで高められ、ぺトルーシュカの死で劇的な終結を迎えます。華やかさと悲劇の同居、という古典的な手法によって、聴き手に強烈な印象を残すスリリングな展開も聴きどころでしょう。
いや、ぺトルーシュカにはまだまだ聴きどころが沢山あるのですが、全てに触れる訳にはいきません。悪しからず。本来ならバレエの筋書きに沿って解説されるのが望ましいと思います。
最後に私が注目したいのは、ストラヴィンスキーはロシア民謡、フランスの小唄、ウィーンの世俗的社交音楽などをワザと引用し、体制に抑圧される農民の嘆きや希望を表現したかったのではないか、という点です。
これは現代でも世界各地に共通する、どの時代、どの地域にも普遍的なテーマではないでしょうか。そこを是非、聴きとって欲しいのです。その意味でも、1911年版の強烈なメッセージが聴きたかった。 
ところで、1947年版はブージー社からポケット・スコアが出ていますが、ノートン社が出版した1911年版には、音楽に付随して詳しいト書きが書かれていますし、付録として作品分析や使われたロシア民謡に関する詳しい文献も掲載されています。
興味のある方は、是非そちらもご覧下さい。

 前半のイギリス音楽は、ホルストのフーガ風序曲とエルガーのチェロ協奏曲です。今回の聴きどころでは取り上げませんが、下野は今月の芸劇マチネーでもヴォーン=ウィリアムスやブリテンを紹介、英国作品についても積極的な姿勢を見せているのは頼もしい限りです。
さてホルストとエルガーと言えば共通点がありますね。そう、二人とも1934年に亡くなっているのです。先輩エルガーは2月23日77歳で、ホルストは5月25日に僅か60歳で。
まずエルガーから行きましょうか。チェロ協奏曲の日本初演は多分これでしょう。
1960年4月10日 共立講堂 ハロルド・クルサーズ(独奏)、ソーア・ジョンソン指揮イムぺリアル・フィルハーモニー交響楽団。
イムペリアル・フィルというのは海外からの来日団体ではなく、僅かに3回の定期公演を行っただけで解散してしまった、れっきとした日本人オーケストラです。エルガーはその第2回定期での記録。
オーケストレーションは独奏チェロの他に、
ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、弦5部。このうち、ピッコロとチューバはアド・リブ。使わなくても演奏可能です。特にピッコロは最終楽章で10小節の出番があるだけですね。  
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チェロ協奏曲はエルガー晩年の、最後の大作として有名です。比較的オーケストラの書法もスッキリしていますし、楽想も美しく、エルガーの作品の中では早くから日本でも人気になってきた存在でしょう。
全体は、協奏曲には珍しく4楽章で出来ていますが、第1楽章と第2楽章はアタッカで続けて演奏されますし、第3楽章と第4楽章もアタッカではないものの、ほとんど休みを置かずに演奏されることが多いようです。
聴きどころですが、冒頭のチェロ・ソロで始まる荘重なアダージョに先ず注目です。第1楽章は8小節の序奏が付いていますが、これがその部分。このメロディーは第1楽章の最後で繰り返されますし、第4楽章の最後でも再び回想され、作品全体を統一する役割が与えられているのですね。
ですから序奏のチェロ、しっかり耳に刻んでおきましょう。
続いては何と言っても第1楽章主部のメランコリックで美しいテーマ。ヴィオラのユニゾンでゆつたりと開始され、チェロ・ソロ、最後には全オーケストラで高らかに奏されます。エルガーの美しいメロディーの中でも特別に覚えやすいもの。敢えて聴きどころに挙げずとも、この美しさに魅了されるのは間違いないでしょう。
この後少ししてクラリネットとファゴットに出るテーマにも耳を澄ませて下さい。全体に憂鬱なムードの中、曇り空にポッと薄日が射すような雰囲気がたまりません。
アタッカで流れ込んだ第2楽章はソロの細かい動きによるアレグロ・モルト。始まって直ぐに短いカデンツァがあります。新しい世界に踏み込むのに、一瞬躊躇うような感じ。ソロとオケで歌い交わされる律動的なテーマも魅力です。
第3楽章は飛び切り素敵なアダージョ。ソロを伴奏するのは弦楽器とクラリネット、ファゴット、ホルンだけ。綿々と美しいエルガー節が聴かれますが、この一節も耳に留めておいて下さい。
第4楽章のロンドは行進曲風に始まりますが、直ぐに短いカデンツァに入ります。これで一息ついた後、本格的なロンド。このスタイル、実は第2楽章とソックリなんです。逡巡があって次に進む。これ、私は如何にもエルガーらしいスタイルだと感じています。
最後に回想場面が置かれているのもエルガーの特徴。チェロ協奏曲では第3楽章の美しいメロディーがレントで、次いで第1楽章序奏の荘重なメロディーが「冒頭と同じように」という指示の元で再現されます。あとは一気にフィナーレ、最後の力を振り絞るように終わります。
今回のソリストはクァルテットのメンバーとしても活躍しているクレメンス・ハーゲン。エルガーのチェロ協奏曲は、プログラム誌の「5月聴きどころ」でも紹介されている通り、ベアトリス・ハリソンやジャクリーヌ・デュ・プレなど女性ソリストと相性の良い曲。男性ハーゲンの演奏はどうなりますか、楽しみに待ちましょう。

 

 続いてホルスト。フーガ風序曲の日本初演記録は残念ながら見つかりませんでした。どこかアマチュア団体によって初演されているのかも知れません。
管弦楽編成は、
ピッコロ、フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、打楽器2人、弦5部。打楽器はジングル・ベル、大太鼓、グロッケンシュピールです。ジングル・ベル (橇のベル)とグロッケンシュピールが使われているのが目を惹きますし、作品の新しい感覚になっていますね。
尚、この曲はもっと小さいオーケストラでも演奏できるように、その場合の代替編成がスコアに小さい音符で記載されています(出版はノヴェロ社)。  
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ホルストと言えば「惑星」というイメージしかお持ちでない皆さんも多いと思います。そうした誤った、何よりホルスト自身が忌み嫌ったイメージを払拭する数少ない機会の一つ。これこそが聴きどころでしょうか。
ホルストが「惑星」の大成功で一躍有名になったのが1919年。彼はそうした外部の熱狂に背を向けるようにして引き篭もり、フーガ風序曲を書き上げたのは3年後の1922年でした。
これは元々、歌劇「Perfect Fool」の序曲として作曲したものです。底なしのうつけもの、とか、何処までも馬鹿な男などと訳されているようですが、オペラ全体は1923年5月14日にロイヤル・コヴェントガーデン歌劇場で初演されています。一幕もののコメディーで、一種のパロディーでしょう。
このオペラ、お姫様との結婚を巡って「吟遊詩人」(ヴェルディのパロディー)と「旅人」(ワーグナーのパロディー)が争い、最後はお姫様に何の関心も示さなかった「パーフェクト・フール」が彼女の愛を射止める、という物語ですね。
序曲は5分ほどの短いもの。タイトルの通り、フーガのスタイルで書かれています。特にオペラの筋書きなどを意識する必要はありません。ホルスト自身は、“厳格なソナタ形式、の積りがフーガになったわけ。ま、ダンスでもありますな。バレー風フーガと呼んでも良いけれど、フーガ風バレーというのが当たっているかも” なぁんて言ってます。
最初にジングル・ベルも賑やかに4拍子のリズムが3小節間出てきます。2拍目の裏側にアクセントがある特徴的なリズム。これがほぼ全体を通して鳴らされます。4小節目から低弦でフーガ主題がスタート、グロッケンシュピールや大太鼓も登場したところで小休止、中間部に入ります。
ここもチェロとコントラバスのピチカートが、最初の主題を2倍の長さに引き伸ばした主題でスタート。チェロのソロが音を引っ張るところから暫く、音楽は一旦、弦楽四重奏曲の様相を呈してきます。
それも束の間、再びコントラバスのピチカートからフーガが再開、最後は金管楽器が素晴らしいアンサンブルを響かせ、大太鼓の一発と共に終了。特にチューバの活躍を聴きどころとして挙げておきましょうか。
ところでホルストは王立音楽院で学んでいた時代、休暇にはチューバを演奏して楽しむという趣味があったそうです。20代の後半は、スコティッシュ・オーケストラでトロンボーン奏者として活躍していたほどの腕前。
余談ですが、この学生時代にホルストはヴォーン=ウィリアムスと無二の親友の間柄になり、お互いの作品を批評し合うまでに親密な交友関係を、生涯に亘って結んでいたのですね。
フーガ風序曲でトロンボーンやチューバが大活躍するのは、ホルストの演奏家としての経験も大いに役立っているのでしょう。そこの所をどうか聴き逃さないように。

 

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