春のニューバリー競馬場

この週末はいろいろ忙しくて競馬ネタを書く暇がありません。それでも土曜日、ニューバリー競馬場で行われた重要なレースを回顧しておかないわけにもいきませんのでね。
さてニューバリー競馬場のことをチョッと紹介しておきましょうか。ここは平場と障害の両レースが行われる、イギリスでも屈指の素晴らしいコースです。
しかしここが競馬場として拓かれたのは最近のことなのですね。
19世紀後半に大活躍した名調教師にジョン・ポーター John Porter(1838-1922) という方がおります。実にイギリスのクラシック・レースに23勝、3頭の三冠馬を調教した巨魁であります。
このポーターさんが現在のニューバリー競馬場となった土地を見て、ここは競馬場にピッタリだ、と考えたのですな。で、18世紀中ごろからずっとイギリス競馬を統括してきた団体「ジョッキー・クラブ」にその旨を提案したのです。ところが彼の計画は却下、一時ポーターさんは落ち込んでいました。
ところがポーター氏、以前に英国国王エドワード7世の競走馬を調教していた誼、茶飲み話か何かでその経緯をポロッと喋ったんでしょう。同情した国王、結果としてジョッキー・クラブに圧力を掛けたことになります。
再度開かれた審議でポーター案は見事採用、ニューバリー競馬場創設計画がスタートしたのでした。
最初のレースは1905年9月26日に行われ、1万5千人の観客が詰め掛けたと、物の本には書かれております。
さてニューバリー競馬場、鉄道の駅が近くにあってアクセスが良いこともあり、二度の世界大戦中は様々な戦争施設として利用されてしまいます。武器庫だったり、戦争捕虜の収容所だったり。1919年には開催は中止されましたし、1942年にはアメリカ軍の施設として徴用され、芝は剥がされてコンクリートで固められるなど、競馬場としての機能は完全に失われてしまいました。
しかし平和が戻り、ニューバリー競馬場は一からレースコースとして再生され、1947年6月に無事に復活を遂げたのです。この再開に大きな力があったのがジェフリー・フリアさん。秋には彼の名を冠したレースも行われています。
以上、ミニ・ニューバリー競馬場史でした。
いや日記の目的はそうじゃないんですよ。土曜日に行われた三つの重要なレースの結果。
①グリーナム・ステークス(3歳、7ハロン、GⅢ)は、2000ギニーへの重要なトライアル。
②ドバイ・デューティー・フリー・ステークス(3歳牝、7ハロン、GⅢ)は、①の牝馬バージョン、1000ギニーのトライアル。
③ドバイ・テニス・チャンピオンシップ・ステークス(4歳上、1マイル4ハロンとちょっと、GⅢ)は、古馬のクラシック距離(ほぼ2400メートル)によるシーズン最初のパターン・レース。
ここで首を捻るのが②と③。
実は②はこれまでフレッド・ダーリング・ステークスとして続いてきたレースで、20世紀前半を彩った名調教師 Fred Darling(1884-1953) の名を冠した伝統の一戦。ダーリング師はクラシックに19勝、名馬ビッグ・ゲイム、チューダー・ミンストレル、ボア・ラセル、ハリー・オン、サン・チャリオットなどを育てた名伯楽です。
更に③はかつてのジョン・ポーター・ステークス。ポーターは最初に紹介したニューバリー競馬場開設の父です。
それが何故か今年、ドバイだのテニスだの、ニューバリー競馬場とは何の縁もない名前に変えられているではありませんか。(いや、何か意図があるのかもしれません。少なくとも今日現在、そのような情報を入手していませんので、こう書いておきます)
ということで私としては面白くないんですがね。
で、今年の結果を簡単に。
①は有力視されていたコンフロントもサー・ジェリーも惨敗、6対1の伏兵パコ・ボーイ Paco Boy という馬が勝ったそうです。調教師はリチャード・ハノン、騎手はリチャード・ヒューズ。そもそもクラシックに登録がなく、グリーナムに勝った賞金から追加登録料を支払って2000ギニーにチャレンジしようか、という程度。一応20対1というオッズが付いたようですが、クラシックの参考にはなりそうもない結果。
②は本命・ムサバラ Muthabara が格の違いを見せ付けたようです。これまで紹介してきたように、1000ギニーはナタゴラ、インフォーリブルとの三つ巴の様相。3頭とも3歳緒戦のトライアルを圧勝して、3頭の激突が益々楽しみになってきましたね。特にムサバラとインフォーリブルは無敗同士の対決。5月初めが待ち遠しい・・・。
③はロイヤル・アンド・リーガル Royal And Regal が転厩緒戦を勝ちました。去年はフランスのファーブル厩舎に所属していた馬で、秋にニューマーケットでジョッキー・クラブ・カップを制したのを機に英国に移籍、現在はマイケル・ジャーヴィス師の管理下にある馬です。
この馬、実績も血統もステイヤーで、このままキング・ジョージ→凱旋門という路線を歩む予定はないようで、当面はステイヤーのためのヨークシャー・カップを狙うのだそうな。ま、賢明な選択でしょう。
以上、長くなりましたが、ニューバリー・レポートでした。

 

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