サルビアホール 第65回クァルテット・シリーズ

未だ終わっていないけれど、暦の上では9月に入ってクラシック音楽界も秋シーズンに入りました。私も9月2日からコンサート通い再開です。
ところでこの秋は定期会員になっている二つのオーケストラの定期公演と、会員同様のサルビアホールSQSシリーズが4回も重なってしまい、オーケストラの方は日にちを振り替えたり、知人にピンチヒッターをお願いしたりと、遣り繰りに苦慮しています。

昨日の会もその一つで、日本フィルの9月定期を土曜日に振り替えて鶴見に出掛けました。シーズン20のトップバッターは、サルビア初登場のクァルテット・ディオティマ Quatour Diotima です。

ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第15番イ短調作品132
ブーレーズ/弦楽四重奏のための書~1a、1b(改訂版)
~休憩~
シェーンベルク/弦楽四重奏曲第1番ニ短調作品7

私がこのフランスを本拠にする団体を聴くのは2回目ですが、初体験を何とか辿ってみると2002年9月のこと。何と14年ぶりの再会ということになります。当時はブログをやっているわけでも、別に日記を付けていたわけでもなく、全くの記憶に頼るしかありません。
何とか思い出したのは、2002年の時点でファーストは初代の千々岩栄一というパリ管の副コンマスも務めていた日本人がリーダーで、晴海のSQWではモーツァルト(番号は忘れました)とドビュッシーが前半、後半にはラッヘンマンの第2番「精霊の踊り」という現代ものを取り上げたことを覚えています。

あの時は第一生命ホールがほぼ満席、ラッヘンマンが終わると大歓声が起き、会場は手拍子を打ち鳴らしての興奮状態だったことが昨日のことのように蘇ります。そもそもラッヘンマンは楽器を弾くというより叩いたり擦ったり、時には修理紛いのことまでする奇作で、なんでこんな作品に会場が興奮するのか理解に苦しんだものです。
これが現代クラシック音楽界の最前線かと思うと、我乍らリハビリが必要だと一種の諦めさえ感じたもの。あの頃は適切に指南してくれる知人も無く、ディオティマとラッヘンマンへの称賛が心底では理解できませんでしたね。

それ以来のディオティマ。会場に着くとリハーサルが長引いているとのことで、ロビーで待機。見ると告示板に演奏順序の変更が貼り出されていました。
そう、当初はシェーンベルクからスタートし、前半はブーレーズで締め。後半がベートーヴェン1曲という予定でしたが、上記の如く、即ちベートーヴェンとシェーンベルクが入れ替わりました。ベートーヴェンでコンサートを終えた方が座り心地が良いのではと考えましたが、聴いてみて納得。彼らの意向は正しかったと思います。

さてメンバー、前回聴いた千々岩時代から何人かの入れ替えがあり、今回はファーストがユン・ペン・ヂァオ Yun-Peng Zhao 、セカンドはコンスタンス・ロンザッティ Constance Ronzatti (女性)、ヴィオラはフランク・シュヴァリエ Franck Chevalier 、チェロをピエール・モルレ Pierre Morlet という面々。ヴィオラとチェロだけが創立から変わっていないということになります。

https://www.quatuordiotima.fr/

聞く所によると、今回の日本ツアーはBSBで統一されたプログラムの由。つまりベートーヴェンとブーレーズという二大Bにシェーンベルクを併せるという構成で、パリではベートーヴェンの後期、シェーンベルクとブーレーズの書を全曲という組み合わせで何回かの演奏会を行ってきたそうです。
特にブーレーズはディオティマにとっては目玉となる作曲家で、今年亡くなったブーレーズが最後に手掛けていたのがディオティマとのコラボレーションで「書き直した」書だつたそうな。ブーレーズへのオマージュも兼ねたコンサートと聴くべきでしょう。英ガーディアン紙に詳しいレポートが掲載されていました。

https://www.theguardian.com/music/2016/may/11/boulez-livre-pour-quatuor-revise-cd-review-quatuor-diotima-megadisc-classics-classical-music

この記事も、当夜も販売されていた最新アルバムのブーレーズ全曲もセカンドはギョーム・ラトゥール Guillaume Latour とクレジットされており、今回はその時から更に女性のコンスタンスに代わっているようです。現ホームページも今回の4人ですから、これが現在の正式メンバーでしょう。

で、急遽冒頭に変更されたベートーヴェン。これが何とも違和感があるものでした。これまで様々な団体で聴いてきたベートーヴェンですが、ディオティマは所謂ドイツの、あるいはドイツ流を目指してきた各団体の流儀とは異なるものと聴こえてくるのです。
私は昔、音楽の授業で4拍子は特に書いてなくとも「強・弱・中強・弱」とリズムを付けるものだと教わりましたが、これこそがドイツ流。このことで音楽に好生館というか、ゴツゴツした風貌が生まれるのですが、フランス系を中心にしたディオティマにはこの感覚がない。強弱のメリハリが無いので、ベートーヴェンは滑らかというかノッペリというか、要するにツルツルした印象に変わってしまう。
もしコンサートがこのベートーヴェンで締め括れたなら、何とも妙な聴後感を抱く演奏会になったでしょう。最初に曲順変更は正解、と書きましたが、そういうことです。

そもそも作品132は演奏会を始めるような音楽じゃありませんし、休憩を置かずにブーレーズというのも前代未聞。しかしブーレーズは、難解極まりない音楽であることは認めざるを得ませんが、ベートーヴェンより遥かにシックリ来る演奏だったことも間違いないでしょう。
最終的に改訂された「書」は、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅴ・Ⅵの大きく5部からなり、Ⅰは更にaとb、Ⅲもa・b・cに分かれる構成で、Ⅳは無いのが妙。そもそも原作でもⅣは完成されずに別の作品に転用されたようで、如何にもブーレーズらしい奇妙な弦楽四重奏曲ではあります。

この日はⅠのaとbが続けて演奏されましたが、どこまでがaで、どこからがbなのかは判らず仕舞。超の字の付くほど演奏には困難を伴うようですが、演奏後にファーストの譜面を遠目に観察したら、パート譜だつたことにも二度ビックリ。
これほど縦線を合わせるのが難しい作品ではスコアから演奏するのが定石でしょうが、良くパート譜で合わせられるもの。ファースト・ヂァオが楽器で拍子を取りながら弾いていたのは、恐らく彼が指揮者の役目を担っていたのだろうと想像します。

後半はシェーンベルク1曲。ブーレーズ同様サルビアでは初登場の作品で、シェーンベルクではモルゴーアの2番につつく2曲目になります。何しろ40分間休みなく弾き続ける音楽で、演奏家はもちろん、聴く方も相当な忍耐力を必要とします。
普通は4つの楽章をいわばリレーのように繋いでいくので、例えば4つの楽章が10分づつだつたとしてもリレーなら40分ほどに長くは感じません。先の五輪を例にとれば、4人全員が100メートル10秒台だとしても、バトン・パスを工夫して全体では40秒を切ってしまうようなもの。
これが全曲弾きっ放しとなればマラソン状態で、前半に意気込んでしまうと後半が続かなくなる。聴く方もその辺りに注意しなければならんでしょう。

曲目解説も①ソナタ形式、②スケルツォ、③緩徐楽章、④ロンドと従来の4楽章がすべて盛り込まれていると書かれていましたが、実際に聴いてみるとそれほど明確な区切りは感じられません。
主なCDでトラックを振っている個所をスコアでチェックすると、②は練習記号Eから、③がKから、④はMからとなっているのが一般的。シェーンベルクの1番手は全曲が「O」までの記号が振られていて、伝統的に「J」という記号は欠番となりますから、全曲は15分割されていると見ることも可能。
私が昨夜感じたのは、スケルツォまでが前半で、ここまでは4人が休みなく弾き続ける。チェロだけが一人残り、音楽が漸く落ち着いてから最後までが後半。前半の「動」に対し後半の「静」というような接し方をすれば、マラソンも存外楽に完走できるのでは、ということでした。

ベートーヴェンの後期対策に始まり、シェーンベルクのマラソン四重奏で終わるという大変なプログラム、流石に終了したのは9時を大きく過ぎていました。
何度かのカーテンコールがあり、ヂァンがそれとなくフランクに“アンコールしますか?”と聞くと、即座に“しない!”と応えたようにも見え、客席から軽い笑いも。お腹一杯、大満腹のディオティマでした。

 

 

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