読売日響・第563回定期演奏会
今週は赤坂サントリーホールで3日連続コンサート。読響、東フィル、日フィルと何れも定期演奏会に参戦することになっています。その初日が10月19日の読響でした。
読響は先月、他の演奏会と被ってしまったためパスしたので8月以来の演奏会。このコンサートは早々と完売になっていたようですが、こんなプログラムが人気を博すとは思えません。人気ソリストが目当てなのは明らかで、もしあまり知られていないヴァイオリニストだったら満席になることなど有り得ない選曲でしょう。
シューベルト(ウェーベルン編)/6つのドイツ舞曲D820
コルンゴルト/ヴァイオリン協奏曲
~休憩~
ヨハネス・マリア・シュタウト/ヴァイオリン協奏曲「オスカー」(日本初演)
デュティユー/交響曲第2番「ル・ドゥーブル」
指揮/シルヴァン・カンブルラン
ヴァイオリン/五嶋みどり
コンサートマスター/日下紗矢子、長原幸太
ということで、今回は余り聴く機会のない作品を作曲家に焦点を絞って聴いてきました。
この4曲、私がナマで聴いたことがあるのはコルンゴルトだけ。普通なら“コルンゴルトだけは知らない”となりますが、それだけでも特異なプログラムと言えそう。正にカンブルランの面目躍如でしょうか。
今回はプログラム誌の曲目解説(柴辻純子)が要領良く適切で、鑑賞に必要な情報はほとんど網羅されていました。何も付け加えることはないでしょうが、後の記憶のためにだけでもポイントを纏めておきましょう。
最初のシューベルト作品は、作曲者の死後も長い間埋もれていたピアノ・ソロ曲集。シューベルトがエステルハージ家の娘たちの家庭教師をしていた時に、教材用に書かれたものだそうです。1931年になってユニヴァーサル出版社がウェーベルンに管弦楽用のアレンジを依頼したのがこれ。ウェーベルンは以前にシューベルトの歌曲やピアノ・ソナタをオーケストレーションしていたので、これも楽しんだのでしょう。
曲集は単に短いダンス・チューン6曲を続けて演奏するのではなく、第1曲から第3曲までを前半、第4曲から第6曲までを後半として纏め、夫々が前半は第1曲、後半は第4曲をロンドのテーマの様に繰り返す仕掛け(ABACAの順)になっています。これはシューベルトの原曲もそのように書かれていますから、ウェーベルンが編曲に際して編み出したアイディアではありません。
カンブルランは前半と後半の間に短い休みを置き、構造が良く判るように指揮していました。NMLで配信されている音源の中にウェーベルン自身が指揮したものがあって、それはもっと速くアッサリした表現。カンブルランはより面白く聴かせるためにチョットした工夫を施していたようです。なお、ウェーベルンの編曲版もペトルッチでダウンロードできるので、私はこれとNMLでダップリ予習することもできました。
続くコルンゴルトは、私にとってはナマ体験が四度目となる定番の名曲。そもそも最初に聴いたのが2010年11月の読響定期(第498回)で、この時はヴィヴィアン・ハーグナーと今回と同じカンブルランとのコンビ。6年で2回も定期に登場するのですから、これを定番と呼ばずに何というのでしょう。
更に2013年3月には京都(クララ=ジュミ・カンと広上淳一)、2014年5月にも横浜(小林美樹と山田和樹)で聴いており、夫々の個性豊かなヴァイオリンを楽しんできました。BBCプロムスでペネデッティを聴いたこともあります。不思議なのは全て女性ヴァイオリニストのソロだったこと。
今回も女性ヴァイオリニストのソロで、ハーグナーが仰け反るようなスタイルでストラッドを奏でていたのに対し、今回は五嶋みどりが屈み込む様な弾き方でグァルネリ・デル・ジュス(1734年製エクス・フーベルマン)を鳴らしていたのが対照的。
みどりは然程大きな音を響かせるヴァイオリニストではありませんが、その入魂の演奏スタイルで人を惹き付けるところがあります。コルンゴルト演奏史に新たな1ページ。
後半も引き続き五嶋のソロによる協奏曲で、こちらは一昨年ルツェルンで五嶋自身のソロで初演された新作(献呈も五嶋)の日本初演。「オスカー」というタイトルが付いていますが、その由来はプログララム誌には書かれていませんでした。
これには「Towards a Brighter Hue」(より明るい色彩に向かって)というコンクール用の作品が前段としてあり、それを聴いた五嶋がシュタウトにヴァイオリン・ソロと室内オケのための作品を書くように依頼して完成したのが今回の協奏曲。前作の要素も取り入れられているので、「Towards a Brighter Hue Ⅱ」という副題も付けられています。
この辺りは出版社であるユニヴァーサル社のホームページに詳しく、ここに転記するよりこちらをご覧ください。
見てお分かりの様に、スコアは全曲閲覧できますし、僅かですが音源も聴くことが出来ますので、興味ある方は是非お試しを。私もこれを予習材料としてこの演奏会に臨みました。
敢えて追記すれば、18程度の単一楽章。全体は5部に分かれ、その内訳は第1部が冒頭から♩=52。第2部はスコア16ページの♩=104の速い部分。第3部はスコア24ページの♩=78で最初のカデンツァを含みます。
第4部はスコア43ページからで、ここにもカデンツァが置かれています。最後の第5部はスコア44ページの♩=39の遅いテンポで、ソロのトリルが印象的。
全体に上向するパッセージが頻繁に使われ、ここに何か意味が籠められているのかも、と聴きました。この日の演奏会はテレビ収録されていましたから、放送時にはこのスコアを参照しながら聴かれることをお勧めします。未だ公式の録音はされていないようですね。
最後のデュティユーは、言うまでもなく今年生誕100年。先のBBCプロムスでも作品が集中して取り上げられていましたが、得意とするカンブルランも渾身の1曲でしょう。定期ならではの拘りです。
スコアにも記されているように、二群に分かれたオーケストラの配置が大変で、ここは舞台篝の晴れ舞台でした。特に指揮者を取り囲むように並べられる「小オーケストラ」にはチェンバロ、チェレスタが入り、指揮者の右手にティンパニ。余り眼前で見ることが少ない楽器で、岡田全弘氏の妙技を堪能しました。
この作品もシュタウト同様に上向パッセージが重要なモチーフとして使われ、特に冒頭に登場するクラリネット(藤井洋子氏)のソロが印象的。
そもそもボストン交響楽団の創立75周年のために書かれた作品で、当時の音楽監督シャルル・ミュンシュによって繰り返し演奏・録音されてきました。私もそうして楽しんできた一人ですが、ミュンシュ盤で馴染んだ耳には奇妙に響く所がありました。
それは最後の和音で、デュティユーは当初、これを明るい長調の完全終止で締め括っていたのですが、後に今回のような不協和で、疑問符を付したような形に改定。それが違和感の要因なのです。
どちらが良い、という問題ではありませんが、熱気に満ち溢れたミュンシュに対し、冷静なカンブルランという対比も聴き所の一つ。作品としての評価が定まるのは、更に100年を待たなければならないでしょう。
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