東京フィル・第887回サントリー定期シリーズ

東京のオーケストラ定期3連発、二日目の昨日は東フィル注目のサントリー定期を聴いてきました。四日前にオーチャードホールでも開催された同じプログラムで、歌劇「イリス」の演奏会形式上演です。
キャストは以下の面々。他にも舞台監督・照明・映像・衣裳など多くの方が携わっておられましたが、ここでは省略させていただきます。申し訳ない。

マスカーニ/歌劇「イリス(あやめ)」(演奏会形式・字幕付き)
 指揮・演出/アンドレア・バッティストーニ
 イリス(ソプラノ)/ラケーレ・スターニシ Rachele Stanisci
 チェーコ(バス)/妻屋秀和
 大阪(テノール)/フランチェスコ・アニーレ Francesco Anile
 京都(バリトン)/町英和
 ディーア/芸者(ソプラノ)/鷲尾麻衣
 行商人/くず拾い(テノール)/伊達英二
 合唱/新国立劇場合唱団
 コンサートマスター/三浦章宏

今月は、来期から東京フィルの首席指揮者に就任するバッティストーニが登場するとあって、定期会員ではない私も聴き逃せないと考えていたコンサート。フレンズ会員の立場を利用させて貰って早々とチケットを入手して備えていました。
マエストロ(あえてこう呼んで良いでしょう)は以前に定期会員だった当時に初めて接し、その後も二期会のオペラでも触れて感心していた指揮者。速報版のチラシには「オテロ」演奏会形式上演の案内も挟まれていて、会員復帰を真剣に検討しなければいけないかも・・・。

今回のイリス、当初予定されていたタイトルロールのアマリッリ・ニッツァが妊娠のため来日が不可能となり、上記のスターニシに替わった経緯がありました。定期会員だけでなく、チケットを購入した人全員に案内のハガキが郵送されたようです。
またイリスは井上道義が得意にしていて、過去も何度か上演されていました。ミッチーには申し訳ないけれど、私はそのどれにも出掛けなかったので、個人的にはイリス初体験という期待もありました。
マスカーニのオペラと言えば「カヴァレリア・ルスティカーナ」が圧倒的に知られていて、世界でも90パーセント以上はカヴァレリアでしょう。あとは「友人フリッツ」が偶に上演される程度で、イリスは現在ではほとんど忘れられた存在と言えるかも知れません。

題材が日本であること故、ミッチーの拘りで日本ではコアなファンに知られていたオペラ。今回バッティストーニはメッセージを寄せ、更にプログラム誌にも「イリス:象徴主義か折衷主義か?」と題する特別寄稿を通じてマエストロのイリス感を開示してくれました。
これがまた素晴らしい読み物で、ここでは一々引用はしませんが、手渡されたプログラムは永久保存版でしょう。

ホールに入ると、オルガンの前に薄手のカーテンのような布が垂れ下がっているのが見えます。改めてプログラムを開くと、舞台での投影図版一覧表が掲げられていました。バッティストーニ自身が図版を選定したもので、北斎や広重などの版画から歌劇に関連あるものが8点選ばれています。
演奏会形式とは言いながら、歌手は只歌うのではなく、必要な演技を伴うもの。もちろん最低限の小道具(例えば三味線)も使われ、第1幕は人形芝居が重要な要素になるため、客席も使っての人形操作も行われました。いわゆる黙役として二人の女優(佐古麻由美、平栗里美)も登場します。
舞台の照明も落とされ、映像効果も駆使。照明による劇的効果もあって、こうした演出に関わる箇所もバッティストーニ自身が担当しての上演でした。

第1幕の後に休憩が入り、全3幕は夫々60分、50分、20分の構成。通常通り午後7時に開演し、終演は午後9時半ごろ。言わば通常のオペラ公演とほぼ同じ体験が出来たと言えそうです。
細かい点に一々立ち入る積りは無いので、気が付いた点をいくつか。

先ず「イリス」は極めて変わった作品だということ。カヴァレリアが一般的なオペラだとすれば、イリスはバッティストーニも指摘するように、象徴的で斬新。これか今日オペラ・ハウスからは締め出された原因でしょうが、今回のような上演形態では却って効果を挙げ、マスカーニの作曲家としての真価がより直接に伝わったと思慮します。
もちろん第1幕のセレナーデ、第2幕の「蛸のアリア」などアリア風な聞かせ所はありますが(共に大阪の歌)、全体としては室内楽的なオーケストレーションと、幻想的なストーリー展開とによって一般的な「歌劇」からは一線を画しているように感じられるのでした。
同様に日本をテーマにしているプッチーニの「蝶々夫人」がリアリスティックな悲劇であるのに対し、イリスはお伽噺のような世界。今回はバッティストーニのカリスマ的なリーダーシップによって、マスカーニの意図が見事に蘇ったと聴きます。

最初は戸惑いもあった音楽ですが、次第に独特な世界に引き込まれます。序曲に替わって最初に演奏されるのが、太陽讃歌でもある合唱曲。スコアによれば(幸いなことにリコルディ版の総譜がダウンロードできました)、夜(La Notte)、花(I Fiori)、太陽(L’Aurora)と題された象徴的な音楽が続き、P席に陣取った合唱団によって堂々と歌い上げられる。
全曲の開始も、第3幕の冒頭もコントラバスのソロで始まるいうのも象徴的で、第3幕の冒頭など完全な室内楽状態。ここを聴くと、如何にプッチーニが「イリス」から影響を受けたのかが実感されます。それも蝶々夫人ではなく、トゥーランドットに反映されているのは明らか。(プッチーニはイリス初演に立ち会っていた由)

日本が舞台ながら、直接に日本の旋律は引用されず、あえて言えば第2幕冒頭の「芸者のハミング」に東洋を感ずる程度。三味線がご愛嬌に登場するのも、その一つでしょうか。
楽曲解説で堀内修氏が指摘しておられるように、ギリシャ神話「ダフネの物語」にジャポニズムの衣裳を着せたもの、というのが正解かも。イリスが百合に通ずるというのも興味深い観察でした。

特に魅力的なのは第3幕で、ここは物語の進行とは全く関係がなく、幻想的、回想的なイリスの幕。男性3人(大阪、京都、チェーコ)がオルガン席の前、即ち透明な垂れ幕の後ろで順に歌う場面の照明は「あやめ」の紫色。
全体を締め括る太陽讃歌に映し出されるのは、葛飾北斎の「あやめにきりぎりす」でしょうか。バッティストーニは最後の盛り上がり、最強音の上に更に大音量を要求し、腕と指揮棒だけでなく指揮台を踏む足音も交えて強烈なクライマックスに導く。これこそ、若きマエストロの独壇場。
バッティストーニと東京フィルの快進撃、これからもフォルテの数を一つまた一つと、積み重ねていくことでしょう。

最後に一つ蛇足。堀内解説には「イリス」初演(1898年11月22日)でイリスはヘリクレア・ダルクレが、大阪はフェルナンド・デ・ルチアが歌ったと紹介されていました。
私が個人的に調べたところ、オックスフォードのオペラ辞典には初演時のキャストの中にあのカルーソーの名前も見出せるのです。カルーソーは当時25歳だったはずで、デビューして未だ4年目。恐らくカルーソーが演じたのは行商人かくず拾い(あるいは両役)だったと思われます。
辞典が誤りでなければ面白いエピソードではなかろうかと思い、あえて書き足しておきました。

 

 

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