日本フィル・第684回東京定期演奏会

サントリーホール3連荘、最後は日本フィルの東京定期でした。10月の指揮者は珍しく古楽畑で知られている鈴木秀美。私は古楽には余り縁が無いので、名前は良く知っていながら恥ずかしながら演奏を聴くのは初めて。
一種の古楽アレルギーもあって余り期待せずに出掛けたのですが、どうしてこれが実に見事な演奏で、いろいろな面で知識欲を擽る楽しいコンサートでした。良く見れば実に配慮の行き届いたプログラム。

ハイドン/交響曲第43番変ホ長調「マーキュリー」
ベートーヴェン/交響曲第4番変ロ長調作品60
     ~休憩~
シューベルト/交響曲第4番ハ短調「悲劇的」
 指揮/鈴木秀美
 コンサートマスター/千葉清加
 フォアシュピーラー/齋藤政和
 ソロ・チェロ/菊地知也

鈴木秀美は指揮者というよりチェリストとして長く活躍してきた方で、古い楽員に伺うと、日本フィルでもメンバーに参加して演奏されたこともあるとのこと。今回も「指揮者」という上から目線ではなく、共に音楽を作る楽しみが感じられるアットホームな音楽だったと言えそうです。
土曜日の二日目に行われるプレトークは鈴木氏自身が語られるということで、私がここに書くことは的外れかもしれません。唾を眉に付けて読んでくださいナ。

さてプログラム、ハイドンからシューベルト初期までのいわゆる古典派の交響曲3本立てですが、モーツァルトが無いのが注目点の一つ。今回の演奏を聴いて、モーツァルトという存在は時代を超越した独特の個性、ということに逆に気付かされました。ハイドンの音楽はベートーヴェンが継承し、シューベルトはベートーヴェンから多くを学んだ、と。
もう一つは3曲全てが♭系の調で書かれていること。単に主調が♭系というばかりでなく、三つの交響曲は夫々の全4楽章全てが♭二つから四つまでの調で書かれています。調性への徹底的な拘り、というのも今回の選曲の意図を読み解くキーワードかも知れません。その辺りは今日、ご本人が解き明かしてくれるでしょう。聞けないのが残念。

ハイドンのマーキュリー、何故このタイトルが付けられたのかは分かりませんし、今回のプログラムでも一切触れられていません。しかし第1楽章、この滑るような滑らかなテーマがタイトルの由来かな、とは思いました。この辺りも鈴木流解釈が聞けるかも。
「ハイドンはみな同じ」と阿呆なことを言うプロの音楽家もいますが、今回も「ハイドンには二つと同じものはない」ということを痛感。43番は滅多に演奏されませんが、ハイドンの機知と実験とを楽しむ場でもありましょう。

第1楽章は、何といっても騙しのテクニック。もちろんソナタ形式ですが、第1主題の再現が出るようで出ない進行。ハイドンの得意技の一つですが、主題にしたっては実は一つのものを変奏したものでしょ。遊びの世界に翻弄される心地良さを楽しみましょう。
更に傑作なのは第2楽章で、展開部から再現部に移行する時、ハイドンは一つのリズム・パターンを何と18回も繰り返しながら再現に至る。迷路で道が分からなくなり、何度も間違えては漸く出口を見つけた時の快感にでも譬えましょうか。

このテクニックをキチンと継承したのがベートーヴェンで、この日演奏された第4交響曲の同じ第2楽章で、再現部に至る過程の中で同じリズム・パターンを12回叩きつけながら(スフォルツァート)出口を見出して行く。音楽的に言えば転調のテクニック、素材の展開法ということでしょうが、モーツァルトはこんな面倒な手続きをせずに天衣無縫な世界を遊ぶのです。
鈴木秀美が前半に並べた2曲は、いろいろな意味で古典派的な思考がハイドンからベートーヴェンに直接に継承されていったことを実感するためのプログラムでしょう。ハイドンのフィナーレ、譜面には書かれていないけれど明らかにコーダと解される個所で一気にギアチェンジしてスピードを上げたことも、交響曲における構造の重要さを理解してもらうためのアイデアだったのかもしれません。

当初私は指揮者が鈴木秀美と聞いて、古楽スタイルのノン・ビブラート演奏を想像していましたが、その予想は裏切られました。もちろん弦の編成は12型に落とし、ヴァイオリンを両翼に分ける対抗配置。コントラバス4本を奥に一列に並べるスタイルはいつもの日フィルとは決定的に違います。
ホルンを左、トランペットを右端に置いてステレオ効果を出し、ティンパニはバロック・ティンパニを使って上手奥、というのも珍しい風景。いつもは陰に隠れて見えない楽員の顔をじっくり拝むのもコンサート通いの楽しみと思えばヨロシイ。

その対抗配置が最も効果を挙げたのはベートーヴェンで、改めてヴァイオリンが左右に分かれることの面白さを体感しました(席によっては聴き取り難かったかも)。もちろんヴァイオリンを分けることには利点と欠点が同居しますが、今回は利点が勝っていたと言えるでしょう。慣れないスタイルに食らい付いたオーケストラに拍手。
鈴木のベートーヴェン、速いテンポが緊張感を生み、特にフィナーレはファゴットが演奏不能になる限界ギリギリ。真にスリリングな演奏で一気呵成に聴かせました。日フィルは小林研一郎とベートーヴェン・サイクルに取組中ですが、コバケン・ワールドとは完全に正反対なアプローチになるでしょう。オーケストラには懐の深さも要求されるのです。

後半のシューベルトは、初期ロマン派というよりは古典派の継承者としての作曲家像に徹したもの。第2楽章の五部構造(ABABA)は、正にベートーヴェンが第4交響曲の第3楽章で初めて試みた構成であることに改めて思い至ります。
思えばシューベルトは、その交響曲が演奏されるのを自身の耳で聴いたのことは殆ど無かった筈。この第4にしても1816年に完成し、公式初演は死後20年以上も経った1849年でした。聴いた上で修正や改訂を繰り返したブルックナーやマーラーとは条件は大違いで、シューベルトに構成面の弱さを指摘するのは筋違いでしょう。作曲者本人が今回の鈴木/日フィルの第4を聴いたら何と言うでしょうか?

いつもとは勝手が違ったかもしれないオーケストラ。私には響きがよりピュアに感じられ、それでいて豊かさもあり、改めてサントリーホールの響きの良さを確認することが出来た夜でもありました(この秋の日フィルは他と重なる機会が多く、定席で聴けるのは10月だけです)。特にシューベルトは完成度が高かったと聴きました。
とかく大規模作品に走り勝ちな東京のオーケストラ事情ですが、古典派はオーケストラの基礎。時々は鈴木クリニックの診察と治療を受けるべきでしょう。

 

 

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