日本フィル・第601回東京定期演奏会
今日は夏至。本来ならマチネー・コンサートに出掛けるには最も適した季節ですが、東京は梅雨空が拡がってスッキリしません。そんな午後、日本フィルの次なる600回に向けてのスタートとなる定期を聴いてきました。実際には一回だけ豪雪で中止になっていますから、事実上の600回定期なんですがね。
芥川也寸志/弦楽のための3楽章
フランク/交響的変奏曲
~休憩~
フランク/交響曲
指揮/小林研一郎
ピアノ/清水和音
コンサートマスター/木野雅之
フォアシュピーラー/江口有香
サントリーホールの前、カラヤン広場に着くと、大勢の高校生が広場を占拠しています。“まさかコンサートに来たんじゃないでしょ”という観測だったのですが、彼らもゾロゾロと入場。みんな制服(多分)を着ていましたから、音楽の課外授業だったのでしょうか。真相は分かりませんが、会場は学生たちで随分と埋まっていました。逆に言えば、高校生が聴きに来なかったなら、かなり空席が目立っていたはずのコンサート。チョッと気持は複雑ですね。
それにしてもフランクとはねぇ~。渋い選択じゃ。
前半の2曲、あまり聴く機会がありませんが、どちらも素晴らしい作品です。聴いていてまずそのことを思いました。もっと頻繁に演奏されても良いのに・・・。
特に冒頭の芥川。日本を代表する弦楽オーケストラ作品であることは間違いのないところで、いかにも日本風な雰囲気に満ちています。若い頃はさほどにも感じなかったものですが、歳の所為か、この曲の持つ独特な懐かしさが思わず心の琴線に触れるのでした。
第2楽章の打楽器風奏法。特にヴィオラが楽器の裏側を叩く様子を興味深く観察しました。恐らく外国人の目から見ると、興味津々に映るのではないでしょうか。
チョッと横道に逸れますが、もう少しこのトリプティークについて。
プログラムにも「誕生のきっかけはN響の常任指揮者だったクルト・ヴェスの依頼によるもので、1953年12月、ニューヨークにてヴェスの指揮で初演された」とあります。
私が所有している音楽の友社版スコアにも、「1953年12月、ニューヨーク・カーネギーホールにて、クルト・ヴェス指揮、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団により初演」と書かれています。
一方、偶然ながら私の書架に“Philharmonic, A History of New York’s Orchestra”という800ページ弱のニューヨーク・フィル史があって、この本には1942年から1971年までのニューヨーク・フィルの全演奏会の記録が掲載されているのです。
で、芥川作品が初演されたはずの1953年12月の項を紐解いてみたのですが、そのような記録は一切載っておりません。
1953年12月のニューヨーク・フィルは、3日から6日までと、10日から13日までは毎日ジョージ・セルの指揮。次いで3日間の休みがあり、17日から20日までと、24日から27日まで連続してブルーノ・ワルターが振っているのです。更に3日間の休みを挟んで、12月31日の大晦日と元旦が再びジョージ・セル。
セルとワルターのプログラムに、もちろん芥川作品は選ばれていません。この間にクルト・ウェスがニューヨーク・フィルを指揮した、という記録もないのです。
では、今回のプログラムや出版譜に記載されている世界初演の記録は何か。上記記録集に記載されない演奏記録があるのか、そもそもニューヨークで初演したのはニューヨーク・フィルとは違う団体だったのか。
芥川氏は既に故人、真相は闇の中かもしれませんね。
もう一つ私の記憶。1967年にモスクワのオーケストラが来日した折、多くの公演を指揮したキリル・コンドラシンが、いずれかの演奏会でこの曲の第3楽章をアンコールとして取り上げたことがあった筈です。
これも私の記憶の中に埋もれているだけなのですが、ロシアのオーケストラが取り上げたのには理由があったようで、この作品の初版はソ連国立出版局から刊行されたのだそうですね。これはプログラムに紹介されていました。この版と日本版の関係は、などと興味は尽きないのですが、今日の演奏を聴いていて、繰り返し演奏されるべき作品であることを改めて確信しました。
この日の演奏は、残念ながらややアンサンブルに粗い部分も散見されました。小林としても得意作品の一つ、やはり演奏頻度を高めてより高度なレヴェルに仕上げて欲しいと思ったのも事実です。
交響的変奏曲も以前はよく演奏されていたように思いますが、最近ではレパートリーにしているピアニストが少ないのでしょうか、随分久し振りに耳にしたような気がします。
清水も達者に弾きましたが、ピアノの高音などやや煩く感じられる部分もあって、もう少し詩情が欲しいと思ったのは贅沢というものでしょうかね。
最後のフランクの交響曲。これは好き嫌いが分かれる演奏でしょう。私もフランクは好きで、ナマにしてもレコードにしてもかなりの数の体験があります。日本フィルでも渡邉、ヴィオッティ、フルネなどが思い出されますが、小林は初体験でした。しかし何というフランク。
いくつか例を挙げましょうかね。第1楽章なら序奏でしょう。二度繰り返して(二度目は3度上、という凝った創り)主部に入りますが、この序奏に相当に長い時間をかけました。ズバリ言えばテンポがオッソロシク遅い。
主部に入って副次主題が木管に出、弦合奏に受け継がれる箇所。スコアで言うと95小節から103小節まで。ここでは木管合奏の後にまるでパウゼが書かれているように、音楽の流れを止めてしまうのです。
そして全体にトレモロの強調が顕著。
第3楽章はもっと徹底しています。これは循環形式と称されるように、最後の楽章で第1楽章の主題が再現してきますね。330小節からのG線上で歌われるノン・トロッポ・ドルチェ。
ここで小林マエストロは唸りに唸り、通常の演奏とは全く異なるフォルテで、まるでブルックナーの一節の如くにテンポを極端なまでに落とし、思い入れをこれでもか、と篭め、パイプ・オルガンを連想させるようにタップリと弦合奏を響かせるのです。オルガンを加えて演奏しなかったのが不思議なくらい。
最後の一音も傑作。これはフランクではなく、ブルックナー終止じゃないですか。ティンパニがハッシと叩き込んだ後、他の楽器の和音をグイと一音伸ばす。
コバケン・ファンは狂喜、アンチ・コバケンはいたたまれないようなフランク。これぞフランクならぬ、フランックナーの怪演!
私は好きとも、嫌いとも申し上げられません。このコバケン版フランクは、恐らくこの曲の演奏史上、最大の特異な解釈ではないでしょうか。
少なくとも私はこんなフランク、初めて聴きましたし、多分最後でしょう。レコードではノーサンキューですが、全てが消え去ってしまうナマ演奏、一度くらいなら体験するのも面白いか、とも。
例えば、小澤征爾という名指揮者がいます。私の認識では、小澤さんは古今の名演奏の「良い所」取りをし、実に巧く纏めて「優等生」的名演をやってのけます。その代わり誰の演奏か判らないほどに、「顔の見えない」演奏になっています。
その反対が小林研一郎。恐らく誰も思いつかないような解釈を施し、楽譜の改変も厭いません。アクの強さは想像を絶し、「顔の見え過ぎる」演奏をやってのける。
確かにフランクは、スコアにほとんど何も演奏上の指示を書いていません。メトロノーム指示も一切無し。小林の解釈を「やり過ぎ」と非難したり、このテンポ云々、と批判する根拠はないのです。
私が思うのは、これほどユニークな指揮者を聴けるのは今の内だ、ということ。彼がいなくなった時、我々はその不在を寂しく感ずるのか、それとも・・・。
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