日本フィル・第600回東京定期演奏会
先ずは日本フィルが第600回の定期演奏会を迎えたこと、心からお祝い申し上げます。一口に600回と言っても、この老舗オーケストラが歩んできた道は決して平坦なものではありませんでした。他のオーケストラと比較しても、それは「茨の道」と言っても大袈裟ではないでしょう。
創立から半世紀を経た現在も、前途洋々と言うわけにはいきません。次の500回、いや100回が無事に巡ってくるかも覚束ないのが、クラシック音楽を取り巻く環境なのです。
そういう中で600回を迎えたこと、そして今日の演奏の中に次なるステップへの決意が感じられたこと、そのことを讃えたいと思います。
日本フィルハーモニー交響楽団 第600回東京定期演奏会
ブラームス/ドイツ・レクイエム
指揮/ジャンルイジ・ジェルメッティ
ソプラノ/菅英三子
バリトン/河野克典
合唱/日本フィルハーモニー協会合唱団
コンサートマスター/扇谷泰朋
フォアシュピーラー/江口有香
冬が逆戻りしたんじゃないか、と思われるほどに寒雨が纏わりつく中、サントリーホールに出掛けました。
ホールに着くと、いつもより多勢の楽員が出迎えてくれます。“600回ですから” と旧知のメンバーの笑顔。入口でクリア・ファイルに挟まれた厚手のプログラムが手渡されました。「日本フィル 東京定期演奏会600回の軌跡」と題した小冊子が配られるのです。
客席もかなり埋まっています。「600回」ということも影響しているのでしょう。そういえば昨日晴海で遭遇した知人が、“ほとんど完売に近いそうで、明日は前売りが10枚くらいしか出ないらしいですよ”と語っていたことを思い出しました。
ステージを見上げて目立つのは、コントラバスが左側、第1ヴァイオリンの奥に鎮座していること。そう、ジェルメッティは対抗配置を採用する指揮者なのです。
更にハープが右側に2台並んでいますし、オルガンにも灯りが点っているのが見えます。ハープの複数使用もオルガン使用も、ブラームスがスコアにひっそり書いていること。ジェルメッティの勝手な改変ではありません。
更にジェルメッティは木管を倍管で演奏させます。その上でスコアにはないコントラファゴットも使用。これは明らかにジェルメッティの判断ですが、決して前例のないことではありませんね。
ということで、ジェルメッティによるドイツ・レクイエム。実は日本フィル定期では今回が2度目、10年前(第503回)にも取り上げていました。それも聴いているはずですが、どんな内容であったか、ほとんど記憶がありません。当時は感想を残しておくような習慣もありませんでしたし、ネット社会も微々たるものでした。
私が細々としたことを書き付けているのも、記憶を呼び戻す時のきっかけになる、ということに気が付いたからです。人に読んでもらうためではなく、自分の記憶のため。
感想を続けましょう。
ジェルメッティは指揮台にストールを置いて座り、指揮棒を持たずに指揮します。脚が悪いわけではなく、益々肥大化する巨体を両脚で支えるのが困難なのかも知れません。私よりたった一つ上、まだ若いのですがね。
弦は16型のようですが、コントラバスは4プルト+1、9台を用いてバスを大きく響かせます。コントラファゴットやオルガンが効果的に低音を支え、ドッシリとした味わいを浮き立たせていく。
やや不安のあった合唱、初めの内は響きが硬いのじゃないか、女声に比べ男声が少なくバランスが悪いのじゃないか、という懸念も、第3曲からはほとんど気になりません。
ここで登場するバリトン、河野克典の見事な歌唱。実に感動的な歌を聴かせてくれました。彼を聴くのは久し振りですが、声の美しさや声量などを超越した、歌のテクニックを完璧に手に入れている。それは「歌唱芸術」というべきもので、本当のプロだけが身に付け得るものと言えるでしょう。海外の有名な歌手でも、ここまで「歌える」人は少ないのじやないか。正にマイスタージンガー。
それはソプラノの菅英三子にも言えることで、寄り添うように指揮するジェルメッティの要求に只管応え、ただ1曲だけ登場する第5曲を切々と語っていきます。トラウリッヒカイト Traurigkeit がジ~ンと響く、至福の時。
ジェルメッティの解釈は、かなり動的なもの、と聴きました。特に重心を低く設定した前半3曲に対し、第4曲では喜びを前面に出し、まるで舞曲のような躍動感。
第6曲の壮絶な戦いも、後半の大フーガも、基本的には明るく肯定的な姿勢を貫いているようで、差し迫ってくる苦悩の表出というよりは、勇気を奮い立たせるような気迫を感じさせます。
私は、前半と後半を明確に色分けして見せたジェルメッティに、ブラームスその人の姿を重ね合わせて見ていることに気が付きます。初めて大規模なオーケストラ作品を完成して指揮するブラームスを仰ぎ見たクララ・シューマンの感慨、それはこのようなものだったのではないか、とすら連想されたのです。偉大にして頼もしいブラームスの世界。
正直に告白すれば、これだけのドイツ・レクイエムを聴けるとは予想もしていませんでした。この日は他にも魅力のあるコンサートが重なり、僅かながらにしても躊躇いがあったのです。
しかし聴いて良かった。冒頭にも書いたように、600回の記念公演は決してルーチンな1回ではなく、新たなる一歩。そういう気概が、オーケストラからも合唱団からも感じられたのです。少なくとも私の耳には、ハッキリとそれが聴いて取れた。
何と言っても最大の功労は、指揮者ジェルメッティでしょう。彼こそは、本当の意味でマエストロ(巨匠)と呼べる指揮者。これからも日本フィルへの客演を続けて欲しい。切に思います。
最後にもう一度。日本フィルの第600回定期演奏会、おめでとうございます。
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