ライト・アプローチ
今朝の見出しはこれ、まさしく“正しいアプローチ”。そう、ダービーはニュー・アプローチが制しました。調教師ボルガー、騎手マニングにとって共にダービー初制覇です。
今年のダービーは、直前になってボルガー師の「ニュー・アプローチ参戦」発言があり、俄に活気付いた感があります。賭けの仕切り直し、最終的に落ち着いたオッズは、1番人気がカジュアル・コンケストの7対2、次いでニュー・アプローチが5対1、3番人気にタータン・ベアラーが6対1、ドクター・フレマントルは13対2で4番人気だったようです。
結果は画に描いたよう、ニュー・アプローチがタータン・ベアラーに半馬身差をつけて優勝。3着は4馬身半離されてカジュアル・コンケスト、4着は更に4分の3馬身でドクター・フレマントル。
いいダービーだった、と言うのが現場の大半の意見だったようですね。ゴチャゴチャ言わず、先ず見て下さい。↓
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ニュー・アプローチは、これまでの先行策を取らず、後から4番手辺りを進む展開でした。2着に入った白っぽい勝負服のタータン・ベアラーは更に後に付けているように見えますね。
両馬共タテナム・コーナーを回った辺りから進出、先に外から鋭い伸びで“勝った”とスタウト師を喜ばせたのがタータン・ベアラーでしたが、ニュー・アプローチが内からスルスルと馬群を縫い、先頭に踊りだして半馬身。マニング騎手の好騎乗はいくら賞賛しても褒めすぎにはならんでしょうね。
映像に出てくる、マニング騎手のニュー・アプローチに駆け寄って祝福しているのは、3着に入線した1番人気カジュアル・コンケストに騎乗したスマーレン騎手です。
喜びに沸くボルガー陣営、最後にチラッと映るのがオーナーのヨルダン・ハヤ王女とシェイク・モハメド殿下ですね。
ハヤ王女の感想、“ダービーこそ、世界中で the greatest sporting event 、ニュー・アプローチとは、何と相応しい名前なんでしょう。” そう、シェイク・モハメドが王女のためにニュー・アプローチをボルガー夫人から購入したのは、去年の11月のこと。ニュー・アプローチの勝負服が去年と違うのはそのためですね。
今年は2000ギニーと愛2000ギニーで共にヘンリーザナヴィゲイターの2着、予定を変更してエプサムに臨んだのでした。ダービー不出走を宣言したのは4月でしたが、5月23日の登録時点で、何と「出走取り消し忘れ」。ボルガー師は“おれはアホじゃ”と頭を抱えたんですが、何たるアホ。人生是塞翁が馬ですな。
ニュー・アプローチの次走を聞かれたボルガー師、“6月29日のアイルランド・ダービーに出ますッ”。
それは2着陣営も同じで、タータン・ベアラーとのリマッチが見物でしょう。勝馬には5馬身差をつけられたカジュアル・コンケストも6月29日を目指します。
その他の有力馬では、カーテン・コールは「失望」の10着。タジャウィードはスタミナに欠け、以後は距離の短い路線に。オブライエン軍団で最先着したのは5着のワシントン・アーヴィング、ムルタの選択キング・オブ・ロームはスタートした瞬間に負けたそうで、12着。リオ・デ・ラ・プラタは7着。リヴァー・プラウドは出走を取り消していました。
レースホース2007誌が年初の段階で、ニュー・アプローチはギニーよりダービーの可能性が高い、と評したのはさすが。
父ガリレオ Galileo はもちろんダービー馬。母はパーク・エクスプレス Park Express というこれまた名牝、母の父はスプリンターのアホヌーラ Ahonoora です。
パーク・エクスプレスはニュー・アプローチと同じくジム・ボルガー師が調教した馬で、アイリッシュ・チャンピオン・ステークス、ナッソー・ステークス、ランカシャー・オークスなど5勝、ヨークシャー・オークスでも2着に入っています。
繁殖に上がったパーク・エクスプレス、7頭の勝馬を残して、2006年に亡くなりました。1999年以降は盲目で過ごしたそうです。
代表産駒は我が日本のスプリンター、シンコウフォレスト(父・グリーン・デザート Green Desert )でしよう。6ハロンの高松宮記念の覇者です。
ワーニング Warning を父に持つダズリング・パーク Dazzling Park は愛1000ギニーとアイリッシュ・チャンピオンに入着し、メイトロン・ステークスに勝っています。
パーク・エクスプレスの産駒には血統の良さから高額で取引された馬が多く、中には投資に見合わない失敗作も見られますね。230万ギニーもしたデュバイ・サン、結局は障害レースに活路を見出したサンダー・ロック等々。
ニュー・アプローチが比較的安価、43万ユーロで取引されたのは、そうした失敗例があったことと、パーク・エクスプレスが22歳という高齢での子供だったこともあるでしょう。
(パーク・エクスプレスは1983年生まれです)
競馬の世界では、母が高齢で産んだ仔は走らない、という迷信があります。実際に高齢出産馬が名馬たり得た事例は少ないのですが、それは事例そのものが少ないためでしょう。
ダービーを例に引けば、ニュー・アプローチと同じく母が22歳のときに産まれたダービー馬は、1869年のフェリナ Ferina まで遡らなくてはなりません。因みに競馬史上最も高齢でダービー馬を産んだのはホレイシア Horatia 。彼女の産駒パリス Paris がダービーに勝ったのは1806年のこと、母25歳のときの子供でした。200年前の事跡なんであります。
そうした意味でも、ニュー・アプローチは「新しいアプローチ」であり、「正しいアプローチ」でもあったわけ。先ずは同馬のダービー制覇を祝いましょう。おめでとう、アプローチ!!
英国電子競馬新聞にはフォト・ギャラリーが載っています。これぞダービー・デイの賑わいなるゾ。↓
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