読売日響・名曲聴きどころ~08年7月

 7月の読響は二人のマエストロが登場します。聴きどころで取り上げる名曲は小林研一郎、定期は2年振りになるアルブレヒトですね。
まず名曲シリーズは、《リムスキー=コルサコフ没後100年》と銘打たれたコンサートで、コルサコフの名曲、スペイン奇想曲とシェエラザード、間にモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4番が演奏されます。協奏曲でのソロは、アリーナ・ポゴストキーナというロシアの若手ヴァイオリニスト。シベリウス国際コンクールに優勝した方だそうですが、今回は当初予定されていたコンツェンの代役です。
一見してピンと来るのは、これは「ヴァイオリン定期」だな、ということでしょうか。協奏曲はもちろんですが、リムスキー=コルサコフの管弦楽作品もヴァイオリン・ソロが活躍する名曲。ソリストだけでなくコンサートマスターの妙技も聴きどころですね。
さてリムスキー=コルサコフの没後100年ということですが、リムスキー=コルサコフと言えばロシア5人組、このグループをザッと復習しておきましょう。英語では Mighty Handful とか Mighty Five と呼んでいますね。単に Five ということもあるようです。
構成する5人を生年順に並べると、
アレクサンドル・ボロディン 1833-1887
セザール・キュイ 1835-1918
ミリー・バラキレフ 1837-1910
モデスト・ムソルグスキー 1839-1881
ニコライ・リムスキー=コルサコフ 1844-1908
となります。5人組の中心人物はバラキレフですが、実は彼は最年長ではなく、丁度真ん中なんですね。ボロディンを最年長に2つづつ年が離れ、最も若いリムスキー=コルサコフはムソルグスキーより5つ年下です。「5人組」の命名者は批評家のスターソフ(1824-1906)ですが、命名したのは1867年の新聞批評、リムスキー=コルサコフは何と二十歳になるかならないか、だったんですねぇ。スターソフの慧眼に驚きますが、リムスキー=コルサコフが5人組では最も若い存在だったと言うことは、覚えておいても損はないと思いますね。
先月の名曲はボロディン、今月はリムスキー=コルサコフと、5人組の最年長と最年少の作曲家聴き比べというのも聴きどころのポイントでしょうか。
スペイン奇想曲の日本初演はこれだそうです。
1923年(大正12年)5月17日 帝国ホテル ゲルスコヴィッチ指揮東京シンフォニー管弦楽団
指揮者も団体も詳しいことは判りません。
シェエラザードはこちら。
1922年(大正11年)11月5日 日比谷公園奏楽堂 田中豊明指揮海軍軍楽隊
ただしこれは第2楽章だけだったそうで、全曲の演奏は、
1925年(大正14年)4月26日 歌舞伎座 山田耕筰指揮/日露交歓管弦楽協会
いずれにしても古いことですが、ロシアと日本は古くから音楽面の交流があり、リムスキー=コルサコフの音楽は、クラシック音楽黎明期から親しまれていたようです。
次にオーケストラ編成。
スペイン奇想曲は、
ピッコロ、フルート2、オーボエ2(1番奏者・イングリッシュホルン持替)、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、打楽器5人、ハープ、弦5部。打楽器は大太鼓、シンバル、小太鼓、トライアングル、タンバリン、カスタネット。題名が示すように、タンバリンとカスタネットが注目されます。
シェエラザードはこちら。
ピッコロ、フルート2、オーボエ2(2番奏者・イングリッシュホルン持替)、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、打楽器5人、ハープ、弦5部。打楽器は大太鼓、シンバル、サスペンデッド・シンバル、小太鼓、トライアングル、タンバリン、タムタムです。
スペイン奇想曲は、そもそもヴァイオリンと管弦楽のための作品として構想されたものですから、ヴァイオリン・ソロが活躍する部分が多いのです。
全編にオーケストラ・プレイヤーの名人芸が鏤められていますから、読響メンバーの妙技に喝采を贈りましょう。セント・ぺテルスブルグのオーケストラで初演されたのですが、最初のリハーサルで第1曲が終わったときに楽員から大喝采が起こり、作曲家はこれをセント・ぺテルスブルグ・ロシア・オペラ・オーケストラの「芸術家たち」に捧げたのです。
全体は5部、1・アルボラーダ、2・変奏曲、3・アルボラーダ、4・シェーナとジプシーの歌、5・アストゥリアのファンダンゴ で構成されていますが、全曲は続けて演奏されます。
アルボラーダというタイトルの曲が第1曲と第3曲にあり、同じ音楽ですが、第1曲はイ長調、第3曲は変ロ長調と調が違いますので、その辺を注意して聴かれると面白いでしょう。
第4曲では様々な楽器が「カデンツァ」をやりますが、このカデンツァには番号が付いていて、1番はホルンとトランペット、2番はヴァイオリン・ソロ、3番がフルート、4番はクラリネット、5番がハープです。
こういうアイディア、流石にオーケストレーションの天才、リムスキー=コルサコフならではのこと。楽員が舌なめずりし、楽しそうに演奏する姿を楽しみましょう。尤も、人によってはプレッシャーがかかるのかもしれませんがね。 

 

 シェエラザードの聴きどころですが、今更という感じですね。全4楽章にはタイトルが付いていますが、スコアには一切書いてありません。
リムスキー=コルサコフが鑑賞の手引きとして示したタイトルとは、第1楽章「海とシンドバッドの舟」、第2楽章「カレンダー王子の物語」、第3楽章「若い王子と王女」、第4楽章「バグダッドの祭り、海、船は青銅の騎士のある岩で難破、終曲」というものですが、あまりこれには拘らない方が良いでしょう。
むしろ各楽章間でテーマが繰り返し使われますので、私はその変奏の巧みさを味わうことにしています。
思いつくまま、あまり解説書で触れられていないことを中心に、いくつか聴きどころを挙げてみましょう。
第1楽章。
冒頭の重いテーマはシャリアール王 Shakriar を表し、木管の和音に続いてヴァイオリン・ソロが奏でるのがシェエラザード姫 Scheherazade のテーマです。と言ってもワーグナーのライト・モチーフの様な意味での「動機」ではありません。
このシャリアール王のテーマの頭、タータ・ターという音型がホルンのソロに出るところが注目です。直ぐに絡むのはフルート。これが三回繰り返されますが、音程は3度づつ下降していきます。絡む木管もフルート→オーボエ→クラリネットの順。
これが後半でも繰り返されるのですが、その際はホルンに替わってチェロ・ソロがタータ・ターを演奏し、前半とは逆に3度づつ上昇、絡みも逆にクラリネット→オーボエ→フルートと受け継がれていきます。つまりシンメトリックに構成されているのですね。漠然と聴いていればあっという間に過ぎ去っていくパッセージですが、ここにもリムスキー=コルサコフのテクニックが隠されているのです。
第2楽章。
ファゴットやオーボエの素晴らしいソロで開始されますが、暫くして弦楽器がトレモロを始めます。これに乗ってトロンボーンがファンファーレ風のソロを吹きます。これ、珍しいことに2番トロンボーン奏者なんです。漠然とレコードで聴いていると1番奏者かと思いますが、実は2番。ナマならではの見所です。これに応えるトランペット・ソロは1番ですよ。
第3楽章。
ゆったりした主題で始まりますが、このテーマは次の第4楽章でも登場しますので注目。随分違った感じに変容しています。
このメロディーに絡むフルートの速いパッセージ、1回目は26連音、2回目は32連音というのがスコアを見ていて面白い所です。素人にはどのようにして演奏するのか不思議な気がしますが、プロのプレイヤーはいとも易々と吹きますよ、ね。
同じことが後でもう一度繰り返されますが、このときはフルートにクラリネットが重なり、26連は11+15に、32連は14+18に分割されています。こうなると私には???なのであります。
第4楽章。
これはもう、最後のタムタムですね。タムタムは全曲を通じてただ一箇所しか使われませんが、恐らく難破を描いているのが、この最後の一撃。シェエラザードを聴く時、私が一番ドキドキするのがここですね。小林マエストロがどのようにタムタムを響かせるのか、真に楽しみです。
最後のドラの一発と言えば同じロシアのチャイコフスキー、その悲愴交響曲を思い出しますが、あちらはピアニッシモの一撃。それに対してこちらはフォルテの轟音。共にタムタム名場面と言えるのではないでしょうか。
最後の終結は再びシェエラザードのヴァイオリン・ソロですが、ここはコンサートマスターの隣に座っているヴァイオリン(フォアシュピーラーと呼ぶことが多いようです)も加わるんですよ。コンマスの合間を縫うように高いミの音をフラジォレットで繋ぐのが、この役目。ここもレコードだけではハッキリしないのですが、折角の機会、ナマ演奏で二人の共同作業を見極めて下さい。

 

 最後にモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4番です。冒頭のリズムの特徴から、「軍隊風」というタイトルでも知られていますね。もちろんモーツァルトの命名ではありません。
この曲の日本初演はよく判りませんので、プロのオーケストラ定期初登場の記録を紹介しておきます。
1952年4月15日 朝日会館 独奏/辻久子、朝比奈隆指揮/関西交響楽団(現大阪フィル)
この演奏会は翌日も開催されています。
オーケストラ編成は至ってシンプル。
オーボエ2、ホルン2、弦5部。コントラバスはチェロと同じパートを演奏しますから、実質的に弦は4声部ですね。
ヴァイオリン協奏曲はモーツァルト19歳の時の作品で、第1番から第5番までほぼ同時期に書かれています。ピアノ協奏曲と違って、音楽に翳りもありませんし、構成に革新的な所も見られません。それでも如何にもモーツァルトを感じさせる、ロココ的な美しさ、優雅さが魅力ですよね。
こうした特長は、例えばボッケリーニのヴァイオリン協奏曲の影響である、という解説も読んだことがあります。
昔に私が読んだそのような解説などでは、これらはザルツブルクの宮廷楽師長だったアントーニョ・ブルネッティのために書かれた、とされてきました。そしてモーツァルトはブルネッティを嫌っていて、ヴァイオリンという楽器そのものも嫌いだった(自身はヴァイオリンの名手でしたけど)ため、協奏曲は5曲だけしか書かなかったとも。
最新の研究では、ブルネッティ説は否定されているのだそうですね。例えば音楽の友社から刊行されている、作曲家・人と作品シリーズ「モーツァルト」(西川尚生著)によれば、作曲された時期とブルネッティの赴任期間が整合しない由。
モーツァルト自身か、同じ宮廷楽師長の地位にあったミヒャエル・ハイドンのために書かれたらしい、ということだそうです。
第4協奏曲は第1楽章がソナタ形式のアレグロ、第2楽章がロマンティックなアンダンテ・カンタービレ、第3楽章フィナーレは典型的なロンド。夫々にカデンツァが入りますが、モーツァルトが譜面に書き残したカデンツァはありません。
古典派の協奏曲ではカデンツァが楽しみですが、この曲についてはヨアヒムが一般的なのでしょうか。クライスラー、ハイフェッツ、メニューインなどは自分のものでレコーディングしていますね。
最後に、上記「モーツァルト」で紹介されている興味深い指摘を紹介しておきましょう。
第3楽章の後半に出てくる2拍子のメロディー、アンダンテ・グラツィオーソで書かれた138小節から始まる箇所ですが、これは「12のコントルダンス」K269bの第1番と同じ旋律だそうです。
ところがこのコントルダンスはミヒャエル・ハイドンの手で書かれたものであることが最近の研究で判明し、「12のコントルダンス」全体の真正性に疑問が持たれているのだそうです。
ということは、第4協奏曲のパクリは何のためか、という問題が出てきますね。事実は明らかになっていませんが、この作品はミヒャエル・ハイドンと何らかの関係があったものだと考えられます。
この辺も頭の片隅に留めておくと、第4協奏曲への興味も倍加するように思いますが、どうでしょうか。
以上、7月の名曲シリーズは「ヴァイオリン定期」だ、という聴きどころでした。

 

Pocket
LINEで送る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください