ラボ・エクセルシオ新章Ⅴ

関係の無い話から始めます。

先月の下旬頃から、拙宅の近所にある公園にアトリの群が飛来しているのに気が付きました。最初はスズメかカワラヒワと思っていましたが、どうも羽色が違う。手元の図鑑を繙いて絵合わせをして見ると、どうやらアトリ Fringilla montifringilla らしい。
シベリアで繁殖し、冬場のみ日本にやってくる渡り鳥。公園を無頓着に歩いていると、数十羽の群れが一斉に飛び立つ。時々キョッ、キョッと警戒音を発するけれど、基本的にはあまり鳴かない。北陸辺りに多いようですが、都市で見られる鳥のリストには掲載されていません。都会にも毎年来ていたのに私の無知で気が付かなかったものか、今年が特例なのか・・・。
最近メシアンやバルトークを聴いて敏感になっている所為もあるけれど、古希を過ぎても目新しい光景に出会って新鮮な気持ちになっているメリーウイロウではあります。

耳にも新鮮な感激を味わせてくれたのが、立春の翌日に初台の近江楽堂で聴いたクァルテット・エクセルシオの現代作品に照準を当てたコンサート。「現代から未来へ~弦楽四重奏の挑戦!」と副題が付けられたラボ・エクセルシオ新章Ⅴは、以下の作品が並びました。

アデス/弦楽四重奏のための「アルカディアーナ」作品12
西村朗/弦楽四重奏曲第5番「シェーシャ」
     ~休憩~
バルトーク/弦楽四重奏曲第5番
 クァルテット・エクセルシオ

一種の定期でもある当シリーズ、晴海の第一生命ホールで始まった元祖ラボは世界巡り、現代作品に特定した演奏会ではありませんでしたが、その後は世界と日本の現代作品を並べて聴く3回シリーズに引き継がれ、更に会場を変えて現在の新章シリーズにと襷を繋いできました。
新章第1回は代々木のムジカーザ、次いで神楽坂の音友ホール、3回目と4回目が隅田川沿いのアサヒ・アートスクエアと続き、今年は初台の近江楽堂。

この室内楽ホール、もちろん存在は知っていましたし、入口まで行ったこともあるけれど、ホールに入って演奏を聴いたのは、私にとって確か今回が初体験でした。噂で聞いていたように、独特のアクースティックを持つ会場で、天井が高く円錐形。その天井部分に十字架状の切れ込みがあるので、下で鳴らされた音が天井で渦を巻きながら再び降ってくるような印象。
演奏に先立ってプレトークがありましたが、人声が良く響くくせに聴き取り難いという不思議な空間で、特に子音が不明瞭に感じられます。鳴らされる音楽も最初は低音が響き過ぎるようで中々馴染めませんでしたが、それも第1曲の中程辺りまで。次第に耳が自然に調整してくれたようで、最後のバルトークでは全く気にならず演奏に集中できました。終わり良ければ全て良し、か。

今回のプログラムのうち、アデスとバルトークは当初2016年のシーズンに予定されていたものでしたが、ファーストのアクシデントにより延期されていたもの。今回改めての挑戦です。
冒頭のアデス作品は、エンデリオンQとホルスト財団の委嘱によって書かれたもので、1994年にエンデリオンQによって初演されたもの。タイトルの「アルカディアーナ」は、ギリシャの理想郷アルカディアのイメージを引用風に、且つ暗示的に描いたと言えるでしょう。

実はアルカディアーナ、出版社フェイバーのホームページで全曲が立ち読み出来るサーヴィスがあり、態々スコアを取り寄せなくとも音楽のイメージが掴めます。興味ある方はこちらをジックリ御覧なさいナ ↓

http://scorelibrary.fabermusic.com/Arcadiana-20604.aspx

全体は21分ほど。基本的にはアタッカで繋がる7楽章で構成されています。各楽章のタイトルは、
第1楽章 ヴェネツィアの夜 Venezia notturno
第2楽章 なんと素晴らしい聖なる響き Das Klinget so herrlich, das klinget so schoen
第3楽章 水の上にて歌えリ Auf dem Wasser zu singen
第4楽章 そして…(死のタンゴ) Et…(tango mortale)
第5楽章 乗船 L’Embarquement
第6楽章 アルビオン O Albion
第7楽章 忘却 Lethe

何の予備知識も無く聴いていると、取り留めのない音楽が淡々と流れているようですが、実は様々な仕掛けがあります。それがアデスの音楽。
例えば奇数楽章は全て水に関係のある音楽で、第1楽章はヴェニスのゴンドラの舟歌。第3楽章は同名のシューベルト歌曲の伴奏音形が(直接の引用ではなく)暗示的に提示されます。第5楽章はワトーの名画「喜びの島」をイメージしたもの。そして第7楽章は第1楽章の回帰でもある忘却の河、という具合。

もちろん偶数楽章も謎が一杯で、第2楽章の副題はモーツァルトの「魔笛」でパパゲーノが歌う魔鈴を讃える歌詞。最初に出るフラジョレットの同音連続は明らかに夜の女王のコロラトゥーラを連想させるし、第26小節には譜面に「Zuruck!」と指示すらされているのです。もちろんザラストロの神殿(理想郷)に入ろうとするタミーノを遮る神官の声で、知って聴けばハッキリ認識できる仕掛け。
第4楽章は全体の核とも言える楽章で、ニコラ・プッサンの絵画「アルカディアの牧人たち」が象徴的に描かれながらも、登場人物は墓石を読む姿。ラテン語の諺では、「そして」の後には「私(死神)はアルカディアにおいてさえも存在している」という文言が続き、理想郷であっても死は免れないという譬え。だから死の舞踏が鳴り響くのでしょう。

第6楽章は全体でも最も美しい響きを持つ音楽で、たったの17小節。その響きは、直接の引用は無いながらも明らかにエルガーのエニグマ変奏曲からニムロッド楽章を連想させます。
更に暗示的なのは、第4楽章の墓石には聖杯への鍵とされる暗号が書かれており、これを解読したのは、ナチス・ドイツが用いた暗号機「エニグマ」を解読した同じ人物というオマケも付きます。これは少し考え過ぎか・・・。

アデスに長く留まり過ぎました。急いで西村作品に移りましょう。
上記のプレトークは、渡辺和氏の司会、西村朗氏本人とエク・ファースト西野ゆかの対談で進められ、ドッキリ情報満載。中でも西村氏が、現代の作曲家にとって弦楽四重奏曲はバルトークの書いた「6」がプレッシャーになっていると告白したのに驚きます。
実はこの話、新章Ⅰの試演会でも話題になっていたと記憶しますが、エクが西村作品を取り上げるのは第1(ヘテロフォニー)、第2、第4「ヌルシンハ」に続いて4作目。海外ではアルディッティ、日本ではエクが西村朗の伝道者でもあります。

氏の弦楽四重奏はゼロ番、ダブル・ゼロ番もあるという自白も衝撃的でしたが、第5番シェーシャの音楽も負けず劣らず刺激的なもの。ヌルシンハではライオンが主役でしたが、こちらは蛇がテーマで、タイトルを持つ3楽章構成です。
解説にもスコアの冒頭にも記されていますが、アルディッティのリーダー、アーヴィン・アルディッティが干支でいう巳年で、アーヴィンの還暦を祝って献呈されたのが作曲の由来です。作曲家西村もまた1953年生まれの巳年。

プレトークでは、聴き所として2か所が紹介されました。一つは第2楽章「サムドラ・マンタン」(乳海攪拌)の150小節から170小節辺りまでの激しいリズム交錯で、ここは合奏がピタリと合わないとパルスの効果が出ない由。
もう一か所は第3楽章「アムリタ」も最後の最後。全曲はドとソの和音で閉じられますが、ここに至る間でファーストとヴィオラが微妙な微分音をズレながら上下して解決に至る。この音程が「気持ち良く」てはダメで、「気持ち悪く」なるように鳴らさなければならない。
“現代音楽は本来、気持ち悪いモノでしょ”という西村氏に渡辺氏は二の句が継げなかったようですが、西野氏は「先生の音楽は何処をとっても西村節が聴こえる」と言うのには納得しました。因みに、第1楽章のタイトルは「シェーシャ(多頭大蛇)の目覚め」。

近江楽堂に響いたシェーシャの響き、気持ちが良かったか悪かったかは聴いた人夫々でしょうが、相変わらずの名人芸と集中力で弾き切ったエクに、もちろん西村朗にも盛大な拍手が送られました。西村氏出ました、思わずガッツ・ポーズが。
この6月、遂に第6番がアルディッティによって世界初演される西村の弦楽四重奏曲、氏は6を避けて5.5番と呼びたいようですが、ここは乗り越えてエクのために第7番を書いて貰うしかなさそうですネ。

休憩の後は、最早伝説となったエクのバルトーク5番。この作品を取り上げるのはやや久し振りだそうですが、全体のアーチ構造を的確に表現し、特に最終ロンド楽章の「G」以下の切迫感、「M」からの解放感など千変万化の表現に、古典となったバルトークを堪能したコンサートでした。
次回のラボは来年2月、バルトーク・シリーズは最後の第6番で、現時点では会場は未だ発表されていません。

 

 

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