日本フィル・第328回横浜定期演奏会

4月から5月にかけて日フィルはインキネンによるブラームス・チクルスとワーグナー「ラインの黄金」、更に私はパスですが山田和樹のマーラー・シリーズと大仕事の連続。
息つく暇もなく6月はラザレフ顧問が襲来して嵐の様な日々が続いています。

私にとっても6月は忙しく、10日に行われた横浜定期のレポートも1日遅れになってしまいました。同じプログラムは11日に杉並でも開催されたそうですが、私が聴いたのは横浜定期の方でした。

チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲
     ~休憩~
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番
 指揮/アレクサンドル・ラザレフ
 ヴァイオリン/山根一仁
 コンサートマスター/田野倉雅秋
 フォアシュピーラー/九鬼明子
 ソロ・チェロ/菊地知也

今回のロシア名曲2本立ては早々にチケット完売になっていましたが、ソリストとして登場した山根一仁人気に因る所も大きかったようです。みなとみらいホールのホワイエには江副記念財団から贈られたフラワー・スタンドが賑々しく飾られていました。
定刻、ホールに入ると真っ先に目に飛び込んでくるのがマイクロフォンの林立。ラザレフのショスタコーヴィチ・シリーズはずっとエクストンがCD化してきましたから、今回もその一環でしょうか。もしライヴ録音が発売されれば、ラザレフによるショスタコーヴィチ戦争交響曲全集が完成することになりますネ。

横浜は演奏に先立ってプレトーク。今回は小宮正安氏の担当で、主にショスタコーヴィチ第5交響曲のニックネームの話題に終始しました。
そのニックネームは「革命」ですが、私には余り馴染みがありません。もちろんその名前で呼ばれることが多いのは承知していますが、私がこの大曲を初めて先輩にLPで聴かせてもらった時、ミトロプーロス盤にはそのような表記は無かったと記憶します。
それがいつの間にか革命となり、今では寧ろ敬遠されているようにも思いますがどうでしようか。

もちろん小宮氏の指摘も同じで、ショスタコーヴィチ自身はこの作品にタイトルを付してはいません。その右肩上がりの構成が、ベートーヴェン風の「苦しみを通して歓喜へ」というスタイルを連想させるのではないか、ということでしょう。楽譜やCDを売るためのキャッチフレーズとも。
私個人はある時期から特定の感情を意識するようになり、第1楽章「恐怖」、第2楽章「自虐」、第3楽章「悲嘆」、第4楽章「憤怒」だと勝手に解釈しています。一条の明るさも見出せない音楽で、そこがショスタコーヴィチに対する好き嫌いの分かれ目ではないでしょうか。
実際、私の周りにもショスタコーヴィチ嫌いが結構多くいて、この日もチケット完売とは言いながら空席もいくつか見られます。定期会員の中にも“ショスタコーヴィチは聴かない”という人達もいるのでしょう。

などと思案している内に、コンサートが始まります。
ソロの山根一仁、最近その名前はよく目にしますが、多分私は初めて演奏に接しました。なるほど人気があるだけあって、大変に見栄えのする若手です。ラザレフとの歳の差は丁度50年ですが、大先輩の棒に対等に渡り合う度胸も相当なものだと見ました。

今回の1曲だけで判断することは出来ませんが、山根はヴァイオリンの美音を武器に耳を魅了するというタイプではなさそう。むしろザラザラとした触感の中に、骨太の響きを宿すチャイコフスキーと聴きました。
プロフィールを見ると「浜っ子」のようで、2010年と2011年には横浜ゆかりの文化賞などを受賞。ラザレフとのチャイコフスキーは、彼の経歴を飾る1ページになることは間違いないでしょう。

山根のアンコール、何処かで聴いたような覚えが、と思っていると、最後にディエス・イレが響く所で気が付きました。そう、イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番の第2楽章「マリンコニア」です。
イザイの6曲ある無伴奏ソナタは夫々が名ヴァイオリニストに捧げられたもので、第2番はジャック・ティボーに献呈。いきなりバッハのパルティータの引用で始まりますが、全編に亘って「怒りの日」が出てくるのが聴き所。そう言えばショスタコーヴィチにも「ディエス・イレ」を引用する作品がありましたっけ。

後半の第5交響曲、コントラバスが8本ズラリと並んでいるのに先ず納得。横浜定期は通常コントラバスは7本ですが、ラザレフ御大は“8本無ければ二エット”とでも宣言したのでしょう。たかが1本と言う勿れ、これが絶大な効果を引き出してくるのでした。
マエストロが例によって床を「ドン」と踏みつけて登場すると、コンマスに促されて楽員が起立、と見るやラザレフはそれを“ダメダメ”と言わんばかりに制し、指揮台に飛び乗って直ぐチェロに向かって大きく腕を振り下ろします。

そこから出てくるショスタコーヴィチの強烈なパワー。この交響曲にはカルメンの引用とか、恋人への連呼だとか様々な解釈がありますが、ラザレフにとっては全て余計なことと言わんばかりに音楽そのものが突き進んでいきます。
第1楽章が静かに空間に消えるや、ラザレフはパウゼを置かずに第2楽章に突入。この二つの楽章が終わるまで客席は息をすることすら忘れ、ただ只その圧力に仰け反るばかり。

漸く第3楽章が始まる前に一息入れることが出来ましたが、ここから最後までも殆ど一直線。私が勝手に解釈している「恐怖」「自虐」「悲嘆」「憤怒」が怒涛の様に押し寄せてくるのでした。
やはりラザレフは凄かった。もちろんショスタコーヴィチも凄い。好き嫌いは別として、このショスタコーヴィチ演奏を聴いて何も感じない人がいるとすれば、それは余程の朴念仁でしょうな。

この日のアンコールは、やはりショスタコーヴィチの組曲「馬あぶ」から第3曲「民衆の祝日」。原作は映画音楽で、管弦楽用に編んだ組曲は全12曲で構成されています。
以前にラザレフが東京でショスタコーヴィチの第5交響曲を取り上げた際のアンコールが「馬あぶ」の第8曲「ロマンス」でしたし、一昨年の横浜定期では組曲「馬あぶ」を抜粋ながら本編で紹介してくれました。
何処かで聴いたような、と思ったのはその余韻が残っていたからで、ラザレフ得意のアンコール・ピースでしょう。

最後のカーテンコールは相変わらず。舞台袖から顔を出してオケに起立を促しますが、今回のコンマスは名フィルと大フィルのコンマスも務める田野倉氏。ラザレフ特有のスタイルに暫く気付かずにいると、マエストロの“あいつ、寝てるんじゃないか?”というジェスチャーに、また客席が湧きます。
名曲とは言いながら大曲2曲、暗いシンフォニーの後で楽しいアンコールとカーテンコール。だからラザレフ追っ駆けは止められないのです。

 

 

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