日本フィル・第691回東京定期

6月の日本フィル、横浜に続いて猛将ラザレフが登場し、首席指揮者時代から続いている「ロシアの魂」シリーズをぶっ飛ばします。いゃ~凄かった!!!
今回は久し振りにプロコフィエフ。後で触れますが、1年でプロコフィエフを聴くのは6月が一番シックリきますね。6月の会場は上野の東京文化会館。

≪ラザレフが刻むロシアの魂 SeasonⅣ≫ グラズノフ2

グラズノフ/バレエ音楽「お嬢様女中」作品61
     ~休憩~
プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第1番変ニ長調作品10
プロコフィエフ/スキタイ組曲「アラとロリー」
 指揮/アレクサンドル・ラザレフ
 ピアノ/若林顕
 コンサートマスター/扇谷泰朋
 フォアシュピーラー/千葉清加
 ソロ・チェロ/辻本玲

解説の山野氏が書かれている通り、グラズノフは優れた古典として今もっと愛されていいはずの作曲家。私は未だナマ演奏で全交響曲を聴いていないし、7曲ある弦楽四重奏曲に至っては唯の1曲も聴いていません。5つのノヴェレットという四重奏曲に何度か接した程度。
グラズノフは晩年、ソヴィエト共産主義とレニングラード音楽院の仕打ちを嫌ってパリに移住。公には亡命ではなかったものの、二度とロシアに戻ることはありませんでした。
思うに、ロシアの音楽界は亡命者としてグラズノフに冷たく、受け入れたフランスでは異国の作曲家として見る。現在でもグラズノフが余り演奏されないのは、その辺りに事情があるのではと勘繰ってしまいます。

しかしラザレフは違う。マエストロのグラズノフ愛は相当なもので、現在進行中のグラズノフ・シリーズ、2回目の今回はその存在すら余り知られていなかったバレエ作品を紹介してくれました。
これがまた何とも優雅、美しいメロディー満載の佳曲で、演奏時間も50分ほどと真に聴きやすい音楽なのです。

グラズノフには全部で三つのバレエ作品があり、何れもマリウス・プティパが振り付けたもの。ラザレフは既に「ライモンダ」と「四季」を演奏しているので、これでグラズノフの三大バレエが完結しました。
バレーのストーリーは他愛の無いもので、まだ知らない婚約者の真意を探るために侯爵夫人の娘イザベラが女中と入れ替わり、婚約相手の公爵に紹介。最後は計略であることが判明してハッピー・エンドとなるお決まりの筋立てです。

ストーリーは陳腐ながら次々と繰り出される音楽はフランス風の洒脱とロシア風の色彩美に満ちたもの。全体は11場で構成され、オーケストラが盛り上がって“これで終わりかな”と思った次に奏される「婚約者たちのグラン・パ」が最大の聴き所。
ヴァイオリン・ソロ(扇谷)とチェロ・ソロ(辻本)が夫々イザベラと公爵を演じて、技巧的なデュエットを奏でます。ラザレフも時々客席に向かい、“どうだ、素敵な音楽だろ”と言わんばかり。本当は途中での拍手も可でしょうが、ラザレフは巧みに聴衆も指揮しながら全曲を豪華なフィナーレに導きました。

この曲のスコアは楽譜店では入手が難しいようですが、ペトルッチにはベリャエフ版が掲載されていてダウンロード可能(ラザレフはラック版 Luck のスコアを使用していたようですが)。
音源もスヴェトラノフのメロディア盤などがNMLで聴け、私はこの二つでキチンと予習して演奏会に臨みました。この方法、お薦めですネ。

後半は、プロコフィエフの若き日の作品を2曲。プロコフィエフと言えばラザレフが首席指揮者に就任して真っ先に交響曲全曲チクルスに取り組んだ作曲家で、往時を思い出して懐かしささえ覚えました。
あのころは事前にマエストロ・サロンの場でラザレフ自身が興味深いエピソードを交えて作品を熱く語り、私にとってはプロコフィエフを考える原点でもあります。

そんな話題の一つに、プロコフィエフがアメリカに渡る途次、渡航許可待ちのために2か月程日本に滞在していたことがありました。それは今から99年前、1918年の6月の事で、最初にプロコフィエフを聴くなら6月と書いた根拠でもあります。
当時は音楽評論家の大田黒元雄氏が大森に住んでいて、氏の邸宅にあったピアノを弾きにプロコフィエフが通っていた、なんて話も。大森山王は拙宅の隣町で、暗闇坂を上った辺りにあったというホテル望翠楼から太平洋方面を見る風景はプロコフィエフも見たはずだと思えば、プロコフィエフへの親近感が一層募るじゃありませんか。

ということでピアノ協奏曲の第1番とスキタイ組曲。プロコフィエフ作品では余り演奏される機会はありませんが、この日の演奏は作品の真価を再評価させるほどの名演が並びました。
若林のピアニズムは、冒頭から主題をガンガン弾きまくるのではなく、寧ろ余裕すら感じさせるほどにピアノを歌わせ、トッカータ風の全体を華麗に、豪快に弾き切って聴衆を唸らせます。ピアノの前に大きなマイクが2本設定されていましたが、後日録音として聴けるのでしょうか。

最後のスキタイ組曲ではラザレフ/日本フィルのパワーが最大限に発揮され、横浜のショスタコーヴィチ以上に圧倒的なフル・オーケストラの威力に仰け反ります。
特に最後の第4曲「ロリーの栄えある出発と太陽の行進」では、強烈な高音に眩暈がするほど。正に舞台正面から強烈な太陽が昇るようで、最後はラザレフも客席を向き、天を仰いで圧倒的な音量を鼓舞するのでした。
この大音量にも拘らず響きは透明、些細なパートまで明瞭に聴き取れるのは、東京文化会館のアクースティックが如何に優れているかの証明でしょう。サントリーホールではどうしても濁ってしまい、こうは行きません。文化会館をもっと活用してもらいたいと思います。オペラやバレエだけじゃ勿体無い。

ラザレフは予てから「プロコフィエフの音楽は透明で、モーツァルトに通ずる」と語ってきましたし、プロコフィエフ・シリーズでは必ずモーツァルトを組み合わせていました。
当初このラザレフ語録が良くは判りませんでしたが、今回の2曲でマエストロの意味するところが漸くパーフェクトに理解できました。プロコフィエフ恐るべし。世界が彼をアンファン・テリーブルと呼んだことに大納得。
この音楽はとてもCDに入り切るようなものじゃありません。ご自身で上野に出掛け、ラザレフと日本フィルの成果に耳を傾けてください。

帰り際、思わず平井理事長に親指を立ててしまいました。「Very good」のサイン。専務も“ラザレフさんは難しい曲でも楽しくしてしまうから凄いですよねェ~”と満面の笑み。ラザレフにとっても会心の一夜だったようです。

 

 

 

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