読売日響・第569回定期演奏会
6月はアレコレ忙しく、24日の土曜日に池袋の東京芸術劇場大ホールで聴いた読響定期の感想を1日遅れでアップします。以下のプログラム。
プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第3番
~休憩~
R.シュトラウス/アルプス交響曲
指揮/シモーネ・ヤング
ピアノ/べフゾド・アブドゥライモフ
コンソートマスター/長原幸太
フォアシュピーラー/荻原尚子
6月の定期を任されたのは、シドニー出身の女流指揮者ヤング。プログラム誌に「欧米で大活躍の実力派 読響に初登場」と紹介されていましたが、私は去年の二期会公演「ナクソス島のアリアドネ」で初体験していましたから、今回は2度目。
但し、その指揮姿を拝見するのは初めてでした。指揮棒を使い、協奏曲はもちろんのこと、シュトラウスの大作も指揮台にスコアを置いて指揮していました。振りは大きく、オケのメンバーから見ても判り易そう。時に両足を広げ、長い髪を振り乱しながらのダイナミックな指揮。
いつもの読響と少し風景が違ったのは、ヴァイオリンが対向配置にセッティングされていたためでしょう。対向配置と言ってもセカンドとヴィオラを入れ替えただけで、チェロやコントラバスはいつもの位置で演奏。ヴァイオリンを向き合わせることでどれだけ効果があったのかは分かりませんでした。
改めてプログラムを眺めると、いくつか気付いたことがあります。前半の第3ピアノ協奏曲は誰もが認める作曲家の最高傑作だし、後半の大曲も、必ずしも全員一致の評価ではないものの、シュトラウス自身が断言している「最高傑作」ですよ、ね。
戦後、最晩年のシュトラウスがロンドンに招かれて「シュトラウス・フェスティヴァル」が開催された時、メインの大作としてシュトラウスが主張したのがアルプス交響曲。結局は編成が大き過ぎるという理由で家庭交響曲に差し替えられましたが、シュトラウスは自分が考えている最高傑作を聴いて欲しかったのだと思っています。
二人の共通点と言えば、共に「2番手」Runner up だったことも挙げられそう。
これは先週上野で同じくプロコフィエフを指揮したラザレフに聞いたことですが、プロコフィエフは若い時にパリに出て衝撃的な作品で成功する積りだったのが、既にストラヴィンスキーに先を越されていて挫折。
次にアメリカでピアニストとして名声を得ようと渡米したものの、この分野ではラフマニノフが先に名を挙げていてプロコフィエフは二番煎じ。
失望して祖国に帰り、交響曲の大家として評価を得ようとしたところ、既にソ連ではショスタコーヴィチが評価されていて、プロコフィエフは2番手だった言う話ですな。
一方のリヒャルト・シュトラウス。これは何処で読んだのか聞いたのか忘れましたが、“リヒャルト・シュトラウス? リヒャルトならワーグナーが良いよ。シュトラウスならヨハンが上さ”という逸話。
大作曲家には違いないけれど、どこかにアンチが潜んでいるという二人を並べるというのも、もちろん偶然でしょうか、面白い選曲じゃないでしょうか。
さてプロコフィエフ、第3協奏曲に付いては良く解説に「越後獅子」との関係が書かれることがあります。ただこれは日本だけの現象で、プロコフィエフが京都で芸者遊びをした時に耳に入った日本のメロディーを引用したという話は証拠もなく、評論家諸氏の間では無視されているようですね。今回の解説(柴辻純子)にも一切紹介されていませんでした。
ただ個人的には大変興味深い話で、6月ラザレフのレポートにも書きましたが、今年はプロコフィエフの来日から丁度99年目に当たる6月。つい先日も旧大田黒邸のあった場所、プロコフィエフが宿泊していた望翠楼の跡地を大森に尋ねて感慨に耽ったばかり。同じ6月にプロコフィエフを続けて聴けるのは何かの縁、と思ってしまうメリーウイロウでした。
今回ソロを弾いたのは、ウズベキスタン出身の若手アブドゥライモフ。日本では既に東京交響楽団と共演しているようです。
私は英国のプロムス音楽祭でミュンヘン・フィル、ゲルギエフとの共演でラフマニノフの第3協奏曲を聴いたことがありますが(もちろんネット中継で)、大変なテクニシャンで、今回はナマでその妙技を確認してきました。
この協奏曲はプロコフィエフ作品でも最も有名なもの。作曲家自身も名刺代わりに何度も演奏していましたが、完璧に弾かないと直ぐにバレてしまうので、日々この曲だけは練習を欠かさなかったというエピソードが残っています。
アブドゥライモフはいとも軽々と何曲を弾き切りましたが、帰り際にミスタッチがあった云々と喋っているカップルがいましたが、それは野暮と言うものでしょう。
26日には読響大阪公演でも同じプログラムを披露し、直ぐに豪州ツアー。そのあとは北京、ロンドン、サンクトペテルブルグと回り、ヨーロッパを巡る演奏旅行と飛び回るアブドゥライモフ、また何処かで出会いそうな新世代のピアニストです。
アンコールもありましたが、即座に曲名が判りません。ウズベキスタンの民謡をアレンジしたものじゃないか、と勝手に考えていましたが、ホワイエの掲示ではチャイコフスキーの6つの小品作品19から第4曲ノクチュルヌ。
私はピアノが苦手で良く知りませんが、チャイコフスキーの作品19はドーヴァーのチャイコフスキー・ピアノ曲集でも第6曲の創作主題と変奏曲しか収められていません。慌ててペトルッチのサイトで確認してみると、3部形式の第3部、テーマが戻ってくる所の装飾音が如何にもチャイコフスキーであることに納得しました。何時かチャンと曲集全体を聴いてみましょう。
長くなったので後半は要点だけ。
ヤングはリヒャルト・シュトラウスを得意としているだけあって、壮大なアルプス交響曲を聴かせてくれました。客席の反応も好意的で、ヤング女史も満足の様子。
ただ、私は読響の豪華なサウンドを楽しみながらも、完全には納得できない面があったのも事実です。
例えば下山シーンでシュトラウスが指示している木管楽器の倍増演奏。今回の演奏では舞台の制約等もあるのでしょう、木管のダブらせはやりませんでした。通常の4管編成でも響きは十分に豪華ですが、それ以上を望んだシュトラウスの意図を聴いてみたかった、という不満が残りました。ヤングと読響ならやってくれるのじゃないか、と期待しましたが、これはチョッと裏切られましたね。
東京芸術劇場大ホールのアークスティックも、1週前に上野の文化会館の響きを聴いたばかりの耳には物足りなさを感じてしまいます。透明度はあるのですが、何処か芯の強さが伝わってこない印象。
素晴らしい演奏による名曲2本立て。このコンビならそれ以上を期待してしまうのは贅沢なんでしょうか。
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