サルビアホール 第81回クァルテット・シリーズ

6月26日、鶴見サルビアホールでクァルテット・シリーズを聴いてきましたが、翌朝8時の便で札幌行。ノートパソコンを持ち歩いて出先でブログ更新、というようなハイテク技は持ち合わせない隠居の身ですから、帰宅してから漸くの感想アップとなりました。悪しからず。
さてシーズン23は4月のアタッカでスタート、6月初旬にアキロンと聴き進んできましたが、3回目の前にシーズン24としてロータスのベートーヴェン・サイクルが入り、今回のアルディッティで締め括られるという変則的なシーズンでもありました。

そう、第81回はあのアルディッティが鶴見に発見参したのです。こんなプログラムで、

バルトーク/弦楽四重奏曲第3番
リゲティ/弦楽四重奏曲第2番
     ~休憩~
細川俊夫/沈黙の花~弦楽四重奏のための
ラッヘンマン/弦楽四重奏曲第3番「グリド」
 アルディッティ・クァルテット

アルディッティはチョッと敬遠させていただきます、という会員がいた一方、アルディッティなら聴きますという「現代音楽オタク」もいて、会場は満席ながら混合状態。“なんだか判らなかった”という意見と、“凄かった! 大満足”という声が交錯しています。
私はそもそもクラシックの世界には現代作品から入った口なので、決してアレルギーはありません。しかし一言で現代音楽と言っても、その傾向は常に変化してきました。今回の演奏はそれを改めて認識した一夜ではありましたが、その前にアルディッティについて・・・。

実は、私がアルディッティをナマで聴くのは、恥ずかしながら今回が初めて。団体とメンバーを簡単に振り返りましょう。
プログラムに掲載されたプロフィールを転用すると、1974年にヴァイオリンのアルディッティが創設した団体。団体名でもあるファーストは創設から替わっていませんが、他のメンバーは度々入れ替わり、幸松辞典によれば、今回のメンバーはセカンドが代目、ヴィオラとチェロが夫々代目なのだそうです。昨夜の顔ぶれは、
第1ヴァイオリンはもちろんアーウィン・アルディッティ Irvine Arditti 、第2ヴァイオリンにアショット・サルキシャン Ashot Sarkissjan 、ヴィオラはラルフ・エーラース Ralf Ehlers 、チェロがルーカス・フェルス Lucas Fels という面々でした。

そもそもロンドンの王立音楽院に在学中の4人によって結成されたということですから、幸松先生は第5巻「英加北欧諸国」編に組み入れています。アルディッティはもちろん英国人、サルキシャンはアルメニア出身で、エーラースがブラジル生まれ、フェルスはドイツ人という正にインターナショナルなクァルテットと言えるでしょう。現在はこんなホームページになっています。

http://www.ardittiquartet.co.uk/

詳しいことは良く知りませんが、演奏するのは現代作品ばかり。CDも桁違いに多く、多分200枚弱はありそう。CDコレクターではない私でも、何枚かは所有。ほとんどは現代作品の予習用にゲットしたもので、日常的に鑑賞するような音源じゃありませんネ。
今回の曲目、バルトーク以外はCDやNMLなどでアルディッティQ自身の録音を聴きましたが、メンバーは微妙に違っていました。

そのバルトーク、私がクラシックを聴き始めた頃は、現代音楽を代表する作曲家がバルトークでした。それが今や、アルディッティにとってバルトークは現代ではなく、古典か譲ってもロマン派の作曲家ということでしょう。それだけ時代は移ったということでもあります。
これまでバルトークは様々な団体で聴いてきましたが、ほとんど全てに共通していたのがバルトークに認められる東洋的な性格でした。日本の団体はもちろん、いわゆる西洋に属する団体の演奏からも、東洋的、民族的な響きが聴き取れたものでした。

それがアルディッティでは全く違う。私が感じたのは、寧ろ西洋クラシック音楽の継承そのものとでも言った感覚。いや、西洋と東洋と言う分類ではなく、同質の文化、あるのは時代の変遷のみなのではないか。
こういうバルトークが正解なのか否かを判断する能力はありませんが、これほど無国籍なバルトークを聴いたのは初めてで、私には寂しささえ感じられました。皆様はどのような感想を持たれたのでしょうか。

続いて同じハンガリーのリゲティが演奏されましたが、第2番がサルビアに登場したのは今回が初めてです(第1番はカザルスQが取り上げました)。これでリゲティの2曲は全てサルビアで聴けました。
明らかに技術的には第1番より難しく、正にアルディッティの独壇場。全体はアーチ構造の5楽章で、これほどの難曲でもアルディッティの冷静さが支配し、そのテクニックには改めて舌を巻いてしまいます。

ところで彼ら、バルトークを終えたあと聴衆の拍手に応え、そのまま座ってリゲティに取り掛かります。一旦舞台裏に引き揚げて調律をやり直し、再度拍手に迎えられて登場、なんてことはありませんでした。これにも吃驚仰天ですワ。

もちろん前半と後半の間には20分の休憩が挟まります。休憩中、意外な知人を見つけましたが、“現代音楽は演奏者の顔や姿を見ないと分かりませんからね”と、納得のご意見。そう、こうした音楽はCDなどで聴いていても全く分かりません。特に後半の2曲は“どうやって音を出すのだろう”という特殊奏法のオンパレードでした。
細川作品は、一昨年の2月にベルリン=トウキョウが演奏したばかり。早くもサルビアでは2度目の登場で、流石にサルビアと感服するやら心配するやら。お陰で二度目の体験、細川作品の魅力にも新たな発見があり、作品の構造もシッカリと頭に入りました。

前回はベルリン=トウキョウによる曲目解説があり、演奏中のハプニングも手伝ってファースト氏の簡単な曲目解説もありましたが、今回の解説もそれを基にしたもの。全体は三部構成で、初演者アルディッティは流石に作品を完璧に理解し、構造を次々と明らかにしていきました。
ベルリン=トウキョウが極めて緊迫感に満ちた演奏だったのに対し、先入観もあってかアルディッティの演奏には余裕さえ感じられます。無音の freeze! の場面でも、Don’t move の指示を音符の一つとして捉えていることが判るのも、実際に見て聴かなければ判らないことでしょう。

前半同様、1曲目を終えて舞台裏に戻ることなく演奏に入ったのが、最後のラッヘンマン。この作曲家がサルビアホールで取り上げられるのは今回が初めてですが、以前に私は第一生命ホールで第2番「精霊たちの踊り」を聴いたことがあります。それこそ「見」なければ理解できないような音響で、通常の弾き方が登場するのは僅か。全体が特殊技法と「音にならないような音」で構成されていることに唖然としたものでした。
それに比べれば、今回の第3番は至極真っ当な現代音楽という印象。一つにはアルディッティから「もっと音量の大きな曲を・・・」と要望されたこと、もう一つにはラッヘンマンの円熟があっての果実なのでしょう。

とてもスコアをゲットして事前にチェックするような作品じゃありません(というより、スコアは余りにも高価)ので、詳細は判りませんが、細川作品にも登場する弦以外の楽器の部分を擦る場面が頻繁に登場。こうした作品では西洋とか東洋という区分は無意味であることに気が付きます。細川やラッヘンマンは夫々、東洋でも西洋でもなく、地球人の一人として作品を書く。それでも齢を経、円熟を増すと、自ずと個人としてのルーツが現れてくる。それが音楽と言うものじゃないでしょうか。
アルディッティQをナマで聴くのは特別な体験でしたが、演奏後にサイン会(当日も様々なCD、彼らが今回の来日で初演した西村朗氏の旧作のスコアも販売されていました)が行われていたのは通常の会と同じでした。但しサインの列に並んでいたのは、常連諸氏とは違っていたようです。

 

 

 

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