読売日響・第570回定期演奏会

未だ梅雨も明けていないのに猛暑続きの首都圏、連日の睡眠不足で朦朧たる中、池袋の東京芸術劇場で読響定期を聴いてきました。
7月の指揮者は古楽の雄、鈴木秀美。今回は珍しく読響を振ってくれました。如何にも鈴木らしいハイドンとベートーヴェンのプログラムで・・・。

ハイドン/歌劇「真の貞節」序曲
ハイドン/ホルン協奏曲第1番ニ長調
ハイドン/オラトリオ「トビアの帰還」序曲
ハイドン/トランペット協奏曲変ホ長調
     ~休憩~
ベートーヴェン/交響曲第7番
 指揮/鈴木秀美
 ホルン&トランペット/ダヴィッド・ゲリエ David Guerrier
 コンサートマスター/小森谷巧
 フォアシュピーラー/長原幸太

鈴木秀美とオーケストラと言えば山形交響楽団での一連のシリーズを思い出しますが、最近は様々なフル・サイズのオケからも引っ張りダコ。私も日フィルでハイドン・ベートーヴェン・シューベルトという3大交響曲を聴きましたし、感想は書かなかったけれど新日フィルとの天地創造にも接してきました。
先日は京響でも鈴木クリニックを施して喝采を浴びたそうですし、今回は重厚長大型の読響をどう捌くかが聴き所でしょう。

蒸し暑い外気を抜けてホールに入ると、冷房が効いていることもあって漸く落ち着きます。リラックスできたのはそれだけではなく、舞台が真にスッキリと整理されている見た目にもあったようでした。
前半に使うと思われるコントラバスが2台だけ下手に並び、後半のベートーヴェン用に追加するコントラバスもたった2台が奥に準備されているだけ。数日前のリヒャルト・シュトラウスと比べれば明らかに隙間だらけの舞台も、涼しさを感じさせる要因でしょう。

今回のプログラム、私の興味をそそったのは断然前半で、恐らくナマ演奏では初体験のハイドン序曲集と、一人でホルンとトランペットを吹いてしまうという型破りな金管奏者に大注目です。
先ずハイドン序曲集。

私がクラシック音楽を聴き始めた頃は各種の序曲集LPが多数出ていて、ワルターのモーツァルト序曲集、カラヤン、セル、ヨッフムなどの指揮したベートーヴェン序曲集。ベームならウェーバー序曲集が、シューリヒトにもメンデルスゾーン序曲集もありました。
国を変えればトスカニーニやライナーのロッシーニ序曲集は繰り返し聴いたものだし、ミュンシュが振ったベルリオーズ序曲集も愛聴盤でしたっけ。ショルティの強烈なスッペ序曲集、アルベール・ヴォルフのフランス歌劇序曲集等々・・・。
それほど序曲集LP花盛りだった当時でも、さすがにハイドン序曲集はありませんでしたね。今回は、そのハイドンが「2曲も」聴けるというのは大収穫でしょう。

ところがハイドンの序曲、正直余り良く知りません。ハイドン・シンフォニエッタのBIS盤ブックレットによると、何でもハイドンの序曲は22曲もある由。これは天地創造や四季の2曲(秋と冬)を含めての数字ですが、楽譜もほとんどは見た記憶がありません。
最初に演奏された歌劇「真の貞節」は1778年に作曲されたそうですが、翌年のエステルハージー宮歌劇場の火事によって焼失。現在残っているものは1785年の再演に際してハイドンが復元したものとのこと。

プログラムの解説(柴辻純子氏)にはこれ以上詳しいことは書かれていませんが、このオペラはウィーンでも上演する(結局ハイドンは詐欺にあったようで、ウィーンから手ぶらで帰ったのだとか)ために譜面がウィーンの写譜屋の手元に保管されており、幸いに一部は火災を免れたそうな。これを買い戻した上で、記憶を元にハイドンが再作曲したものが、今回演奏された序曲の正体でしょう。
ところが今回は解説に書かれていたように急緩急の3部構成で演奏されましたが、上記BIS盤に録音されているのは、ハイドンが復元の際に加筆したという急緩急緩急の5部形式で構成されたもの。譜面が無いのでこれ以上手の出しようがありませんが、今回はどういう譜面が使用されたのでしょうか。オーボエ2、ファゴット、ホルン2、弦5部の編成でした。

ホルン協奏曲の次に演奏された「トビアの帰還」序曲は、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニと弦5部というずっと大きな編成で、曲が変わる毎に楽員が出たり入ったりするのを見るのも楽しい光景。
前半のハイドンでの弦5部は高い方から、8-8-4-4-2という数で、もちろん対向配置が採られていました。コントラバスは下手奥で、前回日フィルの時の様に舞台奥に一列と言う並びではありません。

このトビアの帰還、通常はベーレンライターによる序曲演奏版が使われるようですが(今回の使用エディションは不明)、ペトルッチにあるオラトリオ全曲のヴォーカル・スコアによると、序曲の最後は音が弱まり、静かに第1曲の二重唱曲に続くように書かれています。
今回も、上記BIS盤も華やかに終結するように演奏されており、あるいは序曲のみの演奏用に終結部が書き直されているのかもしれません。つまりモーツァルトのドン・ジョヴァンニのような処置ですが、終結部を付け加えるのではなく、フォルテの個所で終わらせてしまうという対処ですね。
この辺りもプログラムでは一切指摘がありませんでしたが、「ハイドン序曲集」の世界は未だ未だ知りたいことが山積みなのだ、ということが判っただけでも大収穫の演奏会だったと言えるでしょう。

そして忘れられない印象を残してくれたのが、ホルンとトランペットを見事に吹き分けたゲリエ。作品そのものは時々演奏もされますし、特に耳新しい知見はありません。
この名手、1984年のフランス生まれだそうですが、二つの楽器を楽々と吹きこなしてしまうとは、どんな唇の持ち主なんでしょうか? そもそもフランス人は唇が薄く、金管を吹くには最適。だからかつてのパリ音楽院管のように独特なフレンチ・トーンが出せるのでしょう。
特に最初のホルン、その音色は昔懐かしいフレンチ・ホルンを連想させる(もちろん全く同じではありませなが)もので、この曲の中では度々登場する超低音が独特。三つの楽章全てにある短いカデンツァを終えると、ゲリエが客席に背を向け、というかオーケストラと向き合うように対面するのが印象的でした。

トランペットは更に見事としか言いようがありません。吹くというより、まるで喋っているような楽器の扱い。この協奏曲は、当時有鍵トランペットを発明したアントン・ヴァイディンガーのために作曲したものですが、ハイドンが、そしてヴァイディンガー本人が聴いてもさぞ吃驚することでしょう。
ゲリエ、私は今回初めて知り、その妙技に初めて接しましたが、名指揮者たちとの共演も数多く重ねている由。CDのカタログを調べていたら、ヴォルフガングのホルン協奏曲と、レオポルドのトランペット協奏曲というモーツァルトの2曲を1枚のCDに収めているエラート盤を見つけました。次はこれかな。

鳴り止まない拍手に、トランペット協奏曲の第2楽章アンダンテをアンコール。本編以上に闊達な音色に再度舌を巻きました。

後半はベートーヴェンですが、これについては特に書くこともないでしょう。普通に速いテンポ、ベートーヴェンが書いた繰り返し記号を全て再現するベーレンライター新版に忠実な演奏でしたが、フィナーレのリズム・オスティナートに身を委ねていると、最後は意識が朦朧としてきたようです。

 

 

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