ロジェストヴェンスキーのオール・ショスタコーヴィチ・プログラム

池袋の芸術劇場で読響の芸劇マチネーシリーズを聴いて帰ってきたところです。10月8日の日曜日。
このシリーズは会員ではないので行く積りではなかったのですが、朝、急に思い立って当日券売り場に並びました。
目的はショスタコーヴィチのボルトが聴きたかったから。そしてこれは大正解、抱腹絶倒、すっごく面白かった!!!
以下、報告。

プログラムはオール・ショスタコーヴィチで、前半が交響曲第1番、後半は指揮者ロジェストヴェンスキーの子息・アレクサンドル・ロジェストヴェンスキーのソロでヴァイオリン協奏曲第1番、最後がバレエ「ボルト」から3曲。本当ならボルトは全7曲を聴きたかったけれど、贅沢は言わない、言わない。

読響とロジェストヴェンスキーのコンビを初めてナマで聴いたのは2002年4月の「アレクサンドル・ネフスキー」。その時の大音響は今でも耳に残っていますが、それ以降のストラヴィンスキー・シリーズや去年のグラズノフ、タネエフなど、興味深い演奏ではあったものの、今一つ消化不良の感が残ったのも事実でした。
その意味で今回のショスタコーヴィチはロジェヴェンさんの面目躍如、いや~~鳴らしましたね。今日は仰け反りましたよ。

交響曲第1番はショスタコーヴィチのエッセンスが全て詰まった名作。これをマエストロは独特のクールな語り口で解きほぐします。オーケストラも完璧とは言わないまでも、ここまでマエストロの表現に添えば文句ありません。打楽器もブラスも低弦もビシビシ鳴るけれど、まだまだ余裕充分。

協奏曲は5日の芸劇も聴いたので二度目。アレクサンドルはやや線が細い印象ながら、実に達者。
それにしてもこの協奏曲は有名になりましたね。最初オイストラフのレコードなどで聴いていた頃は、ブツブツと暗い音楽になかなかついて行けなかったものですが、ベルキン、堀込などの名演に接したお陰で、マイ・フェイヴァリットの1曲に定着しました。
今回は特に、バッハを連想しながら聴きましたね。自分の名前を音名に置き替えて作品に潜ませるところ、パッサカリアを使って内面の炎をたぎらせていくところ・・・。
ショスタコーヴィチには、交響曲でも弦楽四重奏曲でもバッハをほのめかすシーンが認められるし、この大先輩をかなり意識していたのではないでしょうか。ヴァイオリン協奏曲第1番もバッハ繋がりの1曲のように思えてなりません。

そしてボルト。待ってました。今回は「間奏曲」(破壊者)、「官僚の踊り」(ポルカ)、「御者の踊り」(変奏曲)の3曲が取り上げられましたが、どれも面白いものばかり。
ロジェヴェンさんの指揮がまた実に面白い。
最初の間奏曲は所々にテューバの低い音が炸裂します。ここでマエストロ、「今のは客席の誰かがブッ放したんだろ」と言わんばかりに、客席を向いて顔をしかめる。聴いている方も思わず吹き出してしまうのです。
2曲目はピッコロとファゴットという両極端の絡みで始まる軽快なポルカ。トロンボーンのド派手なグリッサンドが楽しく、マエストロの指揮棒も変幻自在。
3曲目はもう圧巻。金管と打楽器の激しいリズムに乗って弦合奏が、ラド・ミーミミ・レドシミ・ラーミーとジンタを始めます。これに史上最強の読響ブラスがここぞとばかり吹き捲る壮絶は、痛快を通り越して爆笑を誘うほどのもの。

拍手に何度も呼び出されたマエストロ、コンマス(藤原浜雄氏)と何やら声を交わして最後の曲をもう一丁。悪乗りしたマエストロはマーチのリズムに乗って指揮棒を上下、ヴァイオリンの間を縫って楽屋へ。最後の「ジャン!」で客席に「どうだ!」と言わんばかり。

ショスタコーヴィチといえば、重い・暗いというイメージですが、その反面、こうした冗談音楽のような作品も書いているのです。これらは恐らく、「くだらない」として無視されたり、「悪意ある中傷」と評されて演奏を禁じられたのでしょう。
日本では持ち前の真面目さから、交響曲や弦楽四重奏曲ばかりが注目され、こうしたショスタコーヴィチの意外な一面は不当に閑却されてきた感があります。
このコンサートでは、ショスタコーヴィチの人間を良く知るロジェストヴェンスキーが、隠れた作品に光を当て、聴衆の蒙を啓いたとも言えるのです。

貴重なコンサートでした。それにしてもテレビ・カメラが入っていなかったのは真に残念。こういうものこそ放送して欲しかった。

 

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